「とくごうとうげ」。山岳派サイクリスト達にとって、憧れの名峠の一つである。それは、ずっと以前から「行ってみたい!」と願望だけは持ち続けていた『目標』だった。
昨秋、決行するにあたり、心身共に充実していたものの、「どうせ行くなら好展望を!」と、紅葉+新雪に拘り続けたのだが、生憎タイミングが合わず、行けず終い・・・・・・。結局は冬の間中ジレンマが我が身を包み、やりきれない思いで毎日のようにトレーニングに励むこととなる。・・・寒く、長い冬だった。
GWが間近に迫っていたある日の週間予報で、『太陽マーク』が三つほど並んでいることを確認していた。11月上旬以降閉まっていた峠小屋も、いよいよ営業開始の日が近づいている。「行ってやろうか・・・」。しかし、この時季の北アルプスといえば、まだまだタップリと残雪があるに違いない。峠の雪は如何ほどなのだろう?。危険と隣り合わせの峠行だけに、情報収集は是が否でもしておきたいところである。
何度か現地に電話してみたところ、営業準備のために小屋番の方が上がって来られていて、詳しい情報を聞くことができた。曰く、「夏道を使わずに沢を直登することになります。峠には2m近い雪がありますよ。小屋が埋まるぐらいですから・・・」と、有り難いような有り難くないような話だった。雪がよく締まって歩きやすい時季だとは思うものの、一度天気が崩れれば雨ではなく雪となり、その量によっては雪崩の危険も無いとは言えない。実にナーバスな毎日を送ることとなる。
さて、自転車という無骨な拘りを共にするなら、GWの混雑を避けたほうが無難というもの。上高地はもちろんのこと、山へ向かう林道さえ、人!人!人!で溢れかえることを過去の山行でよく知っていたからだ。出発を27日の朝一番とする。予定通りに移動できれば、上高地に昼前には着くことができるだろう。そこから夕暮れまでに何とか。とにかく天気を、そして「時」を最優先としよう。
27日早朝、最寄の駅で輪行する。そして京都を6:17、名古屋を7:10、松本を9:18、新島々を9.55に・・・それぞれの駅を出るという猛スピードで上高地へと移動した。道中、全ての乗り物のシートに楽々座れるほど空いていたのが嬉しかった。巷はまだまだGWとして稼動していないのだから。背中には16〜17kgのバックパック、それに10kg少々の輪行袋。こんなヘビーな格好でアプローチ途中に疲れたくはない。ここまでまずまず順調といったところである。
乗り物の揺れが余韻として我が身を包んでいたが、寝ボケ眼のその先に、焼岳や穂高連峰の純白がとてつもなく眩しく映った。胸の透くような快晴である。
上高地のバスターミナルの傍で輪行袋を紐解き、慌しく自転車を組み立てていると、タクシーの運転手が「おや、スパイクタイヤだねぇ、何処までいくつもり?」と興味深げに聞いてきた。「あぁ、まぁ行ける所までです・・・」と曖昧な返事をしておく。実際に何処まで行けるのか自分でも判らないのだから。
輪行袋や着替えの衣類などをデポするため、手荷物一時預所に立ち寄ると、ここでもオジサンが「自転車で何処まで?」と聞いてきた。「あっ、アプローチに使うだけです。目的地は徳本峠ですが・・・」と。気の良さそうなオジサンだったので、何気なく「徳本峠ってどんな状況か御存知ないでしょうか?」とお尋ねすると、「ん?さっきまで峠小屋の主人がココにいたんだけどなぁ」だとか。
(開山祭のために峠の御主人が下山していたらしい) そして親切なことに「電話で聞いてみるよ」と。その場で峠小屋に電話してくださって、そして小屋番の女将さん曰く、「雪も落ち着いているようだし大丈夫ですよ!」とのことだった。「よし!」。ボトルに水を補給して、いざ出陣。
河童橋では開山祭が行われていた。
主にホテル・山小屋・観光バスなどの『受け入れ側』を対象にした祭であろうか、登山者よりもネクタイ姿の『お偉いさん』がメインで陣取っているように思えた。鯉のぼりが大きく気持ち良さそうに泳いでいる。その周囲だけヤケに混雑していたが、人混みを掻き分けて自転車を押し進む。「良い旅が出来ますように・・・」と唱えつつ。
上高地を抜け出すと、実に閑散としたものだった。軽装なハイカーとほんの数人すれ違う程度。実に静かな『哲学の道』でのペダリングが心地良い。
明神の峠入口に着いたのが12:15頃だっただろうか。列車での移動が上手くいかず、もしこの明神到着が14:00頃になるとすれば、徳沢か横尾辺りで仕切り直し、翌朝に挑むつもりだったのだから・・・ 順調と言っていいだろう。
峠入口から南へ白沢沿いの林道を行く。所々ガチガチに凍ったアイスバーンがあったのだが、自作のスパイクタイヤが心地良く効いて、林道終点まで乗り込むことができた。ここを乗るか否かで大きな時間差が生じるだろう。いずれ耐え難い辛さが待っているのだから、せめて迅速なアプローチによる時間をストックしておきたい。冬の間、コツコツとスパイクピンを打ち込んでいた日々のことを思い出すと、自然と笑みがこぼれてきた。
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木立ちの中、延々と続く雪上の急登。
しかしながら、この辺りはまだまだ序の口・・・。 |
林道終点から早速「押し」が始まった。多少の踏み跡があってルートファインディングには苦労しないのだが、凹凸が激しく小径ホイールでは押すにも苦労させられる。踏み跡の無い雪面を選んで行くと、時々「ズポッ」と足を取られるし・・・。特に午後からは雪が腐ってくるので致し方ない。早速「こんな所で自分は一体何をやっているのだろう?」とボヤキも出てくる始末。
白沢を離れ、黒沢に行くようになると傾斜も増してくる。振り返れば、明神岳がまだまだ高い所に見えた。
長い長い登りを行く。
何故こんな時期に挑んだのだろう。夏道ならば、地形の弱点を突くような道の付け方、或いはそういった歩き方ができるように思うのだが、この時期は延々の直登である。とにかく仮借のない登り。一歩一歩を踏み出すことが非常に苦しい。名古屋発特急『しなの』の列車内で弁当を食べて以来、ここまで何も補給をしていない。出来るだけ食い延ばす癖が身に付いてしまっているため、携帯食にもなかなか手を出さない性質なのだが、さすがに「どっかり」と大休止した時にはチョコバーを齧ってしまった。ボトルの水もグビグビ飲んでしまう。
「ホッ」と一息つけば、小鳥のさえずり、木々の擦れる微かな音、谷から吹き上がる風の声・・・。普段なら興味すら湧かないありきたりのシーンの中で、豊かな気分になった自分が存在していた。「さぁ、頑張ろう、いい旅になりそうだ」。
まだまだ登りは続く。
ただでさえ重いバックパックに、いよいよ自転車を縛り付けねばならない急勾配になってきた。前後輪を外し、フレームごとストラップでザックに縛り付ける。そして・・・雪質は柔らかいのだが、荷を少しでも軽くするという意味と、必要を感じた時に楽に装着できる場所が得られるかどうか心配なので、この時点でアイゼンを履くことにした。
さて、歩荷(ボッカ)の始まりである。
そうこうしているうちに、この沢に入って以来初めて登山者とすれ違う。中年の御夫婦だった。一言二言、会話をしてくださるが、感心されていた言葉の本意は『狂気の沙汰』と受けとめていらっしゃるのかも?・・・自分でもそう思うのだから。
息も絶え絶えで、10歩進んでは休み、5歩進んでは休む。そんな調子である。
所々に、新しいものではないもののデブリ(雪崩の跡)が確認できる。「大丈夫ですよ」と太鼓判を押していただいているが、ゆっくりとしか進めない身にとっては、やはり気味が悪いものである。
かなり登ってきたようだ。明神岳もそれほど高い位置にあるようには見えない。相変わらずの急勾配は、少し腰を曲げ、そして手を伸ばしさえすれば、雪面に触れることができそうなくらいになってきた。傾斜は35〜40度?・・・まさか!。 しかしサイクリストの感覚としては、まさに「壁」と言っても過言ではあるまい。
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・・・・ |

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かなり標高を稼いできたが、傾斜は益々厳しくなっていく。
明神岳をバックに、ダイナミックな景色の中を登行し続けた。
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( 左右の写真は共に同じ地点にて撮影 )
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頭上の空がかなり広くなってきた。峠も近いようだ。
が、僅かな踏み跡が二つに分かれている。上へと向かう踏み跡、そして左に伸びる踏み跡。さてどちらへ?・・・疲労困憊なのに「まだ上があるのでは?」と逃げを打つことなく前進する。しかしその上へと向かう踏み跡は、よくよく見ると一人分の足跡だった。アイゼンの前爪の向きが「往復」しているのを確認できたからこそ判ったのだが。目印になる赤テープも無く、同じような樹木がアチラコチラにあって、「迷ったか?」と本気で思った。疲労度も手伝って発狂しそうになる。
振り返ると、先ほど見かけたトラバースしている踏み跡の近辺にも、ほんの僅かながら数人がトラバースした跡が確認できた。どうやら標高的には峠の高さに達しているようだ。初めてのルートでたった一人、しかも積雪期というのは、やはり慎重に事を運ばないと命取りになる。
トラバースに入る。
左利きの私は、当然ピッケルを左に持つことが多い。だからだろう右手を山側にしてトラバースすることがどうしても苦手である。例え右手にピッケルを持ち変えたとしても、二点確保しながらの歩行がぎこちなくなるのだ。オマケに木々の枝にサドルとかディレイラーとかペダルとかが引っ掛かると、いとも簡単によろめいて、バランスを崩しそうになる。足元には・・・見た目45度ぐらいはありそうな急斜面が広がっているのだから、慎重に慎重に一歩を進めていくしかない。
疲労と緊張とが入り混じって、逃げ出したい心境になりかけた頃、ようやく見えた!峠小屋の屋根が。「やっと着いたぁ」。・・・感激というよりも安堵のほうが、圧倒的に胸中の割合を占めていたのが実際のところであった。脈拍が落ち着くまで随分な時間を要したと思う。徳本峠、15:00到着。穂高連峰が真横に見えた。
本当なら島々谷側から登って、この穂高連峰をドカーンと仰ぎ見るのが感動的な訪れ方なのだろうが、積雪期に限っては上高地側から登って正解だったと思う。終始、あの穂高連峰に励まされながら登ることができたのだから。
テント場に着いてまず最初にやること・・・それは水作り。何も大変な労力を必要とする作業ではない。単に持参した黒いビニール袋に雪を詰め込んで陽光に晒しておくだけ。今の季節なら、太陽さえ出ていれば1時間もすれば結構な量の水が確保できる。完全に溶けなくても雪の密度が高まって・・・いずれにせよガス燃料の節約ができるからだ。
そして峠小屋に挨拶に出向く。
今夜テントを張らせていただく旨を伝え帳簿する。そして「あのぅ・・・生意気なんですが」と差し入れした物は「ビール券」
!?。しかも一枚だけ。これにはお手伝いの女将さんも唖然としたことでしょう。自転車担いで来たのだからこんなジョークも受けとめてくださいな。下界に下りた時にでもチョット一杯飲ってくださいませ。
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2001年4月27日
雪に埋もれる徳本峠にて |
峠は快晴無風。こんな上天気だとテントの設営も楽で助かる。憧れだった峠の道標に細引きを掛け、1つ目のアンカーをとった。次はピッケル、スノーショベル、そして自転車で駄目押しのアンカー。嬉しい。今夜はこんな場所で野営ができるのだから。夜空を眺めることが楽しみで仕方がない。
『峠から45秒の展望台』へ行ってみると、穂高連峰の全貌が明らかになる。天を突き刺す槍のような鋭鋒が前穂高岳だ。その右に連なるノコギリのようなスカイラインが、いつの日か攀じ登った前穂北尾根である。左に目を移せば・・・なんとこの場所から見えるのか・・・笠ケ岳ではなかろうか。息を飲む絶景にしばし佇んでしまう。
そうこうしているうちに、細身で飄々とした登山者が上がって来られた。実に軽装である。挨拶しようとする前に、その方が開口一番、「早かったねぇ、河童橋で見かけたよ。自転車で何処へ行くつもりか興味あったのだけど、明神からコチラへ向かってタイヤの後がついてたものだから、慌てて登ってきたんだ。しかしよく来たねぇ。この時期では初めてだよ!」と。なんとその方が峠小屋の御主人だったのである。そして手で飲むマネをする・・・「後で飲もうな」・・・という意味だった。一気に気分が打ち解けてニンマリ顔となる。
テント設営後は、やはり自分自身に祝杯したい。缶ビール350mlが500円、しかも『00
08 中』という古い製造年月日がプリントされているものの、「美味い!」に決まっているではないか。そしてそこそこ溶け出した水で定番のシチュー餅を作る。だが、迂闊にも、お箸を忘れてきたのだった。何という情けなさ・・・自分が恥ずかしくなる。小屋を覗いて「あのぅ・・・お箸を」と。「おぉ、おぉ、そんなことはよくあるよぉ、1膳でいいの?、とにかく後で飲もうな」、「・・・・・」。何と気さくな御主人だこと。
そんなこんなで美味いシチュー餅を平らげ、缶ビールもそこそこ飲み干して、律儀に天気図も付け終えた頃、静かにテントを叩く音が・・・「お〜い、○○君、ボチボチ飲もうよ!」と。「えっ、ホントにいいんですかぁ?」。-----その後の様子は御想像にお任せいたします----- (峠小屋の御主人、女将さん、身に余るもてなしを戴き本当に有り難うございました)
暖かい炬燵、暖かい小屋から一歩外に出ると、満点の夜空に再び感激してしまった。そして、煌く星空に照らされて穂高連峰がほんのりと浮かんでいたのだから。「う〜っ寒い!」。そそくさと寝袋に潜り込めば、「ZZZ・・・」の世界に難なく突入できた。おやすみ。
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早朝、
『峠から45秒の展望台』から望む穂高連峰
最も高い鋭鋒が前穂高岳である。 |
明けて28日。
今日も胸の透くような快晴で幕が開けた。昨日と同様に『峠から45秒の展望台』へ行ってみる。生憎、頂がピンク色に染まるような荘厳なモルゲンロートを味わうことは出来なかったが、一日がこんな素晴らしい眺めからスタートできるのだから、これ以上の何を求めよう?!。
写真に収めた後は、やはり朝御飯。定番のチキ○ラーメンである。昨夜の残りの薄切り餅も加えて「あ〜っ美味し!」。体がグンと温まった。
峠小屋にも朝がやってきた。煙突から昇る煙が少しばかり棚引いて、ほんのりと鼻孔をくすぐる。
小屋は、大正時代からの面影を今尚とどめていると聞く。食事時に仄かに漂うマキを燃やす匂い・・・これが何とも堪らない。雪上に投げ倒されたプロパンガスやドラム缶を見ていると、これからがシーズンと思わざるを得ないが、とにかくこのマキを燃やす匂いがいい。そして、その煙が昇る小屋の風情がまたいいのである。小さな窓枠、カイコ棚のベッド、板塀、屋根の重石。こんな小屋がいつまでも残っていきますように。
一晩で去るには全く勿体ない場所なのだが、致し方ない・・・そろそろ出ようか。
ずいぶんお世話になった御主人と女将さんに「また必ず来ますから、次は嫁さんも連れて」とお伝えすると、笑顔で見送ってくださった。朝の一仕事を終えて炬燵でのんびりされていたのに、わざわざ寒い表まで出てきてくださって。早く立ち去ればいいものの、いつまでも「ありがとうございました」と何度も繰り返してしまう。そして意を決し、アイゼンが小気味良く効く雪道を下っていった。(8:00)
峠を下る。もちろん自転車は・・・背負ったままである。まだ陽光の当らない谷筋は、昨日とは違い完全にクラスト(氷化)していた。例の『見た目45度ぐらいはありそうな急斜面』のトラバースには非常に緊張させられる。木々の枝にでもひっかかりバランスを崩そうものなら、一体何十メートル滑落するか判らない。もし事故を起こして、人の手を借りなければならない事態になったとしたら、登山界からは冷笑され、自転車界からはモラルを問われることになるだろう。そんな緊張感が我が身を包んでいた。慎重に、慎重に。
それほど長くもないトラバースなのだが、心理的にはとても長く、何とか抜け出せたという感じだった。ここからは延々まっすぐの下降となる。自転車は?・・・やはり背負ったまま。下るにつれ除々にではあるが傾斜は緩んでくる。しかし、前述のように事故は絶対に起こせない。乗って乗れないわけではない勾配に変わってきても、やはり乗る気にはなれなかった。GW前半の好天を意識してか、土曜日ということもあって、一人、二人、と登山者を見かけ始める。とにかく安全第一。
下山路にて
入山中、穂高連峰には一片の雲さえ掛かることがなかった。 |
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長いように思えた下山路も、元の林道入口まで1時間ほどで難なく辿り着く。
少し手前から四苦八苦しつつ、楽しみながら(?)のダウンヒルを試みたものの、イマイチの感もあり、やはり林道のライディングが心地良い。まだまだ朝の早い時間ゆえ、昨日に比べ更にガチガチに凍ったアイスバーンを「タッタッタッ・・・」と駆けていった。これから向かうであろう徳本峠への登山者を横目にして。
さすがGWの『奥上高地自然探索路』。そぞろ歩きのハイカーから登攀目的のエキスパートまで、ズラ〜リと歩いていらっしゃる。混雑を避けて正解だった。抜け目なく晴天を捉えて正解だった。そして単にラッキーだったのかも?。明神岳がずいぶん高く見える。「嗚呼、無事に成し遂げることができた・・・心配かけたね、ありがとう!」素直にそう思った。上高地はすぐそこ。今すぐにでも「元気の知らせ」を伝えなければ。 (完)
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