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■「日本弱体化政策」の検証〜日本の再生をめざして 1996.12.15初版/2001.2.19一部改訂 <目次> |
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第1章 アメリカによる「日本弱体化政策」
私は、今日の日本人は、心の危機にあると思います。その危機の背景には、戦後の「日本弱体化政策」と「反日共産思想」があると思います。いわば、戦後の米ソの冷戦構造が、日本人の心の深層に構造化されたまま、心理空間をワープしているといえましょう。危機の背景の一つ、「日本弱体化政策」について、検証します。 1.日本占領の期間 大東亜戦争=太平洋戦争の期間は3年8ヶ月でしたが、連合国軍による日本の占領はその約1.8倍の6年8ヶ月の長期に及びました。戦争が終わったのちこれほどの長期間、占領軍が駐留して占領政策が行われたという国は、他にありません。 実は、戦争は8月15日に終結したのではありません。国際法上は、戦争状態の終結は、講和条約の発効する時点においてです。それまではれっきとした戦争状態です。それゆえ、連合国軍は「戦闘段階終了後の占領段階において、連合国の利益にかなった日本社会の改造政策を戦争行為(軍事行動)として推進した」(佐藤和男博士)のです。それは、武器による物理的な戦争の段階に続く、政治と宣伝と教育による戦争の継続でした。物理的破壊ではなく、心理的・制度的破壊が徹底的に行われ、日本人の精神的改造が行われたのです。この遂行のために「日本は無条件降伏した」という虚偽の下に、他に比類なく長い日本占領が行われたのです。(註1) 2.占領政策の目的 アメリカの占領政策の目的は、明確でした。「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月22日)には「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記されています。アメリカは、日本が決してアメリカに報復戦争をすることのないように、日本人に戦争の贖罪意識を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪いとろうとしました。そして日本人を精神的に去勢し、日本の国家と社会をアメリカの意のままになる従属的な体制に変え、宗主国に対する従属国、保護国に対する非保護国的な存在にしようとしたのです。すなわち、占領政策とは、日本弱体化を目的とする政策だったのです。
大東亜戦争=太平洋戦争において日本は無謀な戦争に突入して、敗れるべくして敗れました。しかし、国民は精神的には敗れていませんでした。終戦直後の日本人は深い悲しみの中にありながらも、誇りと勇気を持っていました。 それゆえ、日本占領を開始したアメリカ人にとって、敗れてもなお静かに整然と行動している日本国民の姿は、不気味なものと映ったのでしょう。激戦直後の彼らにとって、日本人は「邪悪な悪魔」であり、いつかは自分たちに報復してくるのではないか、という脅威を感じていました。そこで、二度と歯向かってこないように、日本人の精神を打ちのめし、徹底的に精神改造をしようと企てました。 江藤淳氏の言葉を借りると「日本軍の『物的武装解除』をもたらした直接の引き金が、原子爆弾の投下であったとするなら、『精神的武装解除』(=バーンズ国務長官)のためにも無差別的な原子爆弾が投下されなければならなかった。そのことによって日本人の誇りを打ち砕き、日本人のセルフ・イメージを根底から塗り替えなければならなかった」というわけです。 精神改造の始めは「日本は無条件降伏した」と思わせ、連合国軍の政策への抵抗の意志を奪うことでした。さらに強引な言論統制と巧妙な検閲によって、批判を封じたうえで、日本人に戦争に対する罪悪感を植え付ける計画を実行しました。民族の固有の伝統と歴史を否定して愛国心を根こそぎに抜き去ること、国の指導者に対する国民の不信感をかき立てること、共産主義者に活動をさせて国論を分裂させることなどして、日本人の精神的団結を破壊しようとしました。これらの政策は、すべて一つの目的のために遂行されましたーー日本を弱体化することです。 その効果は、決定的でした。原爆に匹敵するほどの破壊力を示し、今日もなおその放射能は日本人の精神を汚染し、日本人の背骨を虫食み、自滅へ導いています。 マッカーサーが米国への帰国後、日本人は占領が終わって独立国になっても、なお占領時代の自分のダマシに気がつかないから、「日本人の精神年齢は12歳だ」と嘲笑したことは有名です。 「君の精神年齢は12歳だな。日本人はみんなそうだ」といわれて、あなたはどう感じますか?
「別に」「関係ないよ」などと思う人もいるかもしれませんね。今も日本には、マッカーサー好みのよい子が多いのです。不正に対しても怒れない、戦えない、卑屈で、依存的で、自尊心も自衛本能も失った日本人こそ、彼の目標でしたから。 3.占領政策の内容 占領政策とは、日本弱体化政策であり、それは同時に、連合国軍側の戦争行為の正当化、戦争犯罪の免罪でした。私は、占領政策のポイントを主に5つに分けて考えています。 (1)言論統制と検閲の実施 特に連合国軍総司令部の占領政策への一切の批判の封じ込め (2)民族の伝統・歴史の否定 特に修身、国史の授業停止による、伝統的な倫理道徳と歴史観の根絶 (3)戦争犯罪宣伝計画の徹底 特に『太平洋戦争史』による「勝者の歴史」=「真相」という洗脳、罪悪感の移植 (4)東京裁判の開催 国際法に根拠を持たぬ勝者による復讐劇。 日本=極悪犯罪国家という一方的断罪 (5)GHQ製憲法の押し付け 占領政策の総仕上げ。法制化による継続化。主権の制限による属国化・被保護国化。 以上の五つです。以下の章で、これらについて具体的に記述したいと思います。 (ページの頭へ) 註 (1)日本は無条件降伏していないことについては、以下の拙稿をご参照下さい。 |
第2章 「日本弱体化」と文明の大転換
今日の日本人の心の危機は、背景に、戦後の「日本弱体化政策」と「反日共産思想」があると書きました。私は、これらは異文化間のダイナミックスの産物であり、文明の歴史的転換に伴った抵抗力・反動力の作用だと考えます。 1.異文化の破壊と同化 大東亜戦争=太平洋戦争は「異文化間戦争」でした。そして、アジア・太平洋の全域に繰り広げられた、「文明の挑戦と応戦」の一大ドラマでした。それは、白人種西洋文明と有色人種東洋文明という異質なものの激突でした。ここで、西洋欧米の側には、白人の有色人種に対する人種差別、キリスト教徒の異教徒(東洋宗教)への優越意識、西洋的価値観=普遍的真理、という心理的要因が強烈なファクターとして働いたと思います。 西洋キリスト教文明の白人にとって、東洋・日本の文明は全く理解できないものだったでしょう。風貌は黄色いサル。何をしでかすかわからない。バンザイ突撃、特攻隊等はクレージ。死にもの狂いで攻撃してくる姿は、東洋鬼。日本の固有の宗教である神道は恐ろしい異教であり、土人の悪魔教のように映ったのではないでしょうか。彼らには、日本は邪悪な国というイメージが強烈に焼き付いていたのです。 トルーマン大統領やバーンズ国務長官をはじめとする当時のアメリカの指導者たちは、日本という異文化を自らの文化と同化させ、自分たちと異なる哲学を破壊して、同一の価値観を強制しない限り、日本による報復の危険は去らないと考えました。それゆえ、日本弱体化政策とは、異文化を破壊する政策であったともいえると思います。 英国のサー・ジョージ・サンソムは、名著『西欧世界と日本』のなかで、「このように強力な政治的圧迫と高度に組織化された宣伝とによって、一つの文化が意図的に他の異文化に影響力を強制しようとしたのは、史上ほとんどその前例を見ることができない」と指摘しています。 こうした「異文化の破壊と同化」のための政策は、日本人の精神の徹底的改造を進めるものであり、日本人の心の深層領域までワープするものだったといえましょう。その最も強力な動力が、戦争犯罪に関する罪悪感の植え付けでした。この辺、なんとも、キリスト教の原罪観念的であり、また狩猟民族=ゲルマン=アングロ・サクソン的な発想だなあという気がします。 2.文明の歴史的転換の中で 以上のことをさらに大きい枠で、捕らえたいと思いますーーー20世紀から21世紀へと入り、世界は大転換を続けています。図式的に言えば、西洋から東洋へ、物質科学から精神科学へ、人間中心から宇宙との調和へ、という転換です。そういう転換の「時」がきているのです。この転換期において、日本は東洋と西洋の融合点に位置し、文明の総合と進化のために重要な役目を担う運命にあります。 しかし、戦前の日本の指導層は、この「時」を計ることができませんでした。日本とアジア発展の時を見誤って、戦う必要の無い無謀な戦争に突入し、自滅してしまいました。東条英機らが描いた「大東亜共栄圏」構想は、花に例えれば、人工的に早咲きさせようとして、かえって散らせてしまったものです。それは、独伊ファシズムの覇道をまねて、力づくで無理矢理に進めたから、自然の法則に外れ、狂い咲きとなってしまったわけです。しかし、木にしても、早咲きの花が散って終わりではなく、季節がくれば自ずと満開になっていきます。そのように、日本は時の勢いを受けて、戦後、奇蹟的に復興し、旭日が昇るように今日の繁栄へと至り、また隷属から立ち上がったアジアは太陽の光を受けるように成長発展の道を歩むことができているわけです。 そして、この21世紀には、一層この勢いが強まっていくでしょう。それを村山節氏や浅井隆氏のように「東洋ルネッサンス」と、また、ラビ・バトラ氏のように「黄金時代」ということもできましょう。 さて、私は、アメリカの戦前の極東政策と戦後の日本弱体化政策は、こうした文明の歴史的転換に対する西洋物質文明からの頑固な抵抗・反動だった、と見ることができるだろうと思います。また、同様な抵抗・反動の別の形態が、反日共産思想だと考えます。マルクス=エンゲルスに始まり、ロシアで定式化された唯物論的共産主義は、西洋近代の物質主義の極限形態であり、日本・アジアの共産化と、それに伴う東洋精神文明への圧迫は、文明の歴史的転換への抵抗・反動の別の形態である、と考えています。 その抵抗・反動が、日本において、最も激しく「自国民による反日」という形で現れるのは、日本が東洋と西洋の融合点に位置し、文明の総合と進化において、中心的かつ先端的な役目を担う運命にあるからこそでしょう。 しかし「時」の勢いというものは、人為によって押し止めることはできません。いやがおうでも、転換は進んでいきます。その過程で、人類の精神的な進化が進んでいくのだろうと思います。言い換えれば、人類の中の宇宙的な心が目覚めるとでもいいましょうか。きっかけは、まず日本人が目覚めなければならない、日本人が目覚めるとき人類が目覚めるーーーその役割を果たしうるかどうかは、日本人本来の精神を取り戻せるかどうかにかかっている、と私は考えます。 日本人が宇宙的な心に目覚め、人類の精神的進化に貢献するには、まず二つの心理的障害を取り除くことが必要です。それが、マッカーサーとスターリンという二人の亡霊によるマインドコントロールです。 このマインドコントロールからの解放という課題は、日本人であれば、どなたでも、主義・主張や、思想・信条、宗教・宗派などを超えて、考えてみるべき問題だと思います。 以上のような構図と展望の下に、「日本弱体化政策」について、次に具体的について書きます。(ページの頭へ) |
第3章 「日本弱体化」の秘密計画
戦後、日本を弱体化しようとした占領軍の政策には、ある秘密計画がありました。 1.秘密計画があった アメリカの日本占領政策は、日本人に戦争の罪悪感を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が決してアメリカに報復することのないようにすることを目的としていました。 日本占領の最高司令官マッカーサーがワシントン政府から受けた第1号命令は、日本を再び米国及び連合国の脅威にならないよう、徹底的に無力化、弱体化することでした。すなわち「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月6日受け、26日公表)に「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」とその目的は明記されています。そして、この目的の下に行われた占領政策は、日本人を精神的に去勢し、当時の日本人が持っていた愛国心を抹殺し、アメリカの属国的・被保護国な存在へと貶めようとするものでした。すなわち日本弱体化政策です。 この政策を実行するにあたっては、秘密計画が存在したのです。 2.ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム その名は、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム。「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」でした。以下ここでは「戦争犯罪周知宣伝計画」と呼ぶことにします。 日本弱体化政策には、周到な計画が存在しました。それは、日米戦争中から立案され、占領後は、その方針にそって、日本人から、力と弾圧によって、民族の歴史、道徳、団結心等を奪っていったのです。「戦争犯罪周知宣伝計画」の実行は、連合国軍総司令部の民間情報教育局(CI&E)が強力に展開しました。これは民間検閲支隊(CCD)による検閲と相乗効果をなして、日本弱体化を進めるものでした。 CI&E発行の文書に、表題もズバリ「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」というものがあります。これは、計画実施の中間報告とでもいうべきもので、日付は昭和23年2月6日です。 その文書の冒頭には「民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼしてきた民間情報活動の概要を提出するものである」と書かれています。「日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける」ことが目的です。 またこの文書は「戦争犯罪周知宣伝計画を、広島・長崎への原爆投下に対する日本人の態度と、東京裁判中に吹聴されている超国家主義的宣伝への、一連の対抗措置を含むものまでに拡大するにあたって、採用されるべき基本的な理念、および一般的または特殊な種々の方法について述べている」と記しています。原爆投下への批判や日本側の言い分を圧殺しようとしています。 そして、その計画は3段階に分けて行われました。 3.『太平洋戦争史』(第1段階のa) 戦争犯罪周知宣伝計画の第1段階は、実質的には占領直後に開始され、CI&Eの文書によると昭和21年6月までに行われたものです。 連合国軍は占領後まもなく、昭和20年9月から通信社・新聞社等への言論統制、検閲を始めました。この言論統制と検閲の下で、計画実施の第1段階が行われました。ここで重要かつ決定的な役目を果たしたのが、『太平洋戦争史』です。 「太平洋戦争史」は、昭和20年12月8日から、日本のほとんどあらゆる日刊紙に一斉に連載されました。マッカーサー司令部は、日本の真珠湾攻撃の日を選んで、スタートしたのです。これは、日本全国民に対する戦争犯罪周知宣伝計画の開始でした。 『太平洋戦争史』は、CI&Eが準備し、GHQ参謀第3部の戦史官の校閲を経てつくられたものです。国務省(=外務省にあたる)が作成した資料を下にしており、勝者の立場で、米国中心に書いた歴史書です。 この文書は、まず「太平洋戦争」という呼称を日本の社会に導入したという意味で歴史的な役割を果たしました。連載開始1週間後の12月15日には、「大東亜戦争」という呼称は禁止されました(「神道指令」による命令です)。それとともに、日本の立場からの戦争の見方は抹殺されました。今日「太平洋戦争」という呼び名を安易に使っている人は、自分がアメリカ人の立場で戦争を見ていることに気づいていないのです。 『太平洋戦争史』は、「戦争を始めた罪と、これまで日本人に知らされていなかった歴史の真実を強調するだけではなく、特に南京とマニラにおける日本軍の残虐行為を強調している」ものです。それによって、日本人のセルフ・イメージを破壊し、日本の過去は悪の歴史であるというイメージを刷り込み、戦争の罪悪感を植え付けるものでした。それは、続いて、昭和21年6月から行われる東京裁判への準備でもありました。 『太平洋戦争史』はNHKのラジオでドラマ化され、ラジオ番組「真相はこうだ」として放送されました。昭和20年12月9日より翌年の2月10日まで、週1回10週間にわたっての放送でした。 なかでも東京裁判を通じて、日本人に初めて伝えられた「南京大虐殺」の放送は、国民に深刻な心理的打撃を与えました。これは日本人の罪悪感の形成に決定的な影響を与えました。虐殺行為を針小棒大に強調し、誇大な数字を捏造したキャンペーンでした。このキャンペーンの延長線上に、朝日新聞の本多勝一氏がいます。(1) 新聞連載終了の後、『太平洋戦争史』は、本として10万部印刷され、昭和21年3月より完売されました。それだけ売れたのは、学校の教材として使用されたからです。すでにマッカーサー司令部の命令により、昭和20年12月31日に、修身、国史、地理の授業が即時停止されていました。その中で、21年4月、文部省は全国の小中学校に、これらの授業停止中の教材として『太平洋戦争史』を使用するよう通達しました。そして、『太平洋戦争史』は学校で、子供たちの頭に教え込まれました。それは、とりもなおさず、戦争犯罪周知宣伝計画の浸透でした。 一方、マッカーサー司令部は、文部省に対して、この勝者の歴史観に沿って教科書を書き改めさせました。ここで協力した学者が、教科書裁判で有名な家永三郎氏らでした。改ざん後、子供たちの教科書は『太平洋戦争史』に基づく歴史観で書かれ、基本的にはほとんど改正されずに現在に至っています。 『太平洋戦争史』が宣伝された5ヶ月後、昭和21年5月3日に、東京裁判が開廷されました。6月24日に市ヶ谷法廷において行われたキーナン首席検事による劈頭陳述は、『太平洋戦争史』に呼応し、それと同質の歴史観に基づくものでした。まさに『太平洋戦争史』こそ、いわゆる「東京裁判史観」の原点です。 『太平洋戦争史』とは、どんな内容でしょうか? 端的にいうと、米国の国益のために書かれた宣伝文書です。戦争の原因を国際関係を動かすさまざまな動因から総合的に把握しようとするのではなく、歴史的事象の一部を断片的に切り取って並べ、日本にのみ戦争責任があるように、描いています。一方、米国にとって都合の悪いことは一切触れていません。その典型として、排日移民法は一切ふれられていません。この法律は、日本を一方的に敵対視して、日本人のみを特定して排除した人種差別的な法律です。その結果、日本の平和主義者を潰し、軍国主義者を台頭させて、日米戦争を招いた誘因となったものです。また、米国が大不況への対策として自国の経済を守るためにブロック化し、これに対抗したイギリスもブロック経済化したことが、世界経済に重大な影響を与え、市場から締め出された日本は自存自衛のために大陸へ活路を求めていかざるをえなかったという事情も、描かれていません。このように一面的な記述であるため、この文書は歴史書というより、政治的な宣伝文書と呼ぶべきものです。 江藤淳氏によれば、「『太平洋戦争史』なるものは、戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖したという意味で、ほとんど民間検閲支局(CCD)の検閲に匹敵する深刻な影響力を及ぼした宣伝文書である」「教育と言論を的確に掌握しておけば、占領権力は、占領の終了後もときには幾世代にもわたって、効果的な影響力を被占領国に及ぼし得る。そのことをCCDの検閲とCI&Eによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、表裏一体となって例証している」。 そして、戦後日本の歴史記述の大部分は、言論弾圧と検閲の下に、日本人の脳髄に刷り込まれた「太平洋戦争史」に基づいたものです。昭和57年の第1次教科書問題も、中国・韓国等に対する謝罪外交も、来年使用予定の中学歴史の「危ない教科書」も、基をたどれば、この宣伝文書に発するものといえましょう。 註 (1)南京事件については、以下の拙稿をご参照下さい。 4.記憶と歴史の剥奪(第一段階のb) 「ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶を消すことだ」という箴言があります。アメリカは、この古来の鉄則に忠実に、日本の弱体化政策を実行しました。つまり、日本民族の固有の記憶と歴史を剥奪し、代わりに勝者の歴史を吹き込んだのです。 与えられた勝者の歴史とは、戦争犯罪周知宣伝計画の第1段階において決定的な役割を果たした『太平洋戦争史』でした。そして、民族の固有の記憶=歴史の剥奪には、『太平洋戦争史』が出された1週間後の昭和20年12月15日に発せられた「神道指令」が重大な効果をもたらしました。 「神道指令」は、日本固有の民族的信仰の神道と国家との結びつきを禁止するものでした。今日では、神道は、宇宙生命との融合、自然環境との共生を重んじた宗教であり、原始文化と現代文化を調和させたユニークな日本文明の根本にあるものとして、世界的に高く評価されています。また、多くの識者から、21世紀に人類文明が新生するために、神道の持つ平和的でエコロジカルな性格が期待されています。しかし、戦後間もない頃には、神道は、日本の「侵略戦争」の思想的根源のように見られていました。 占領軍によるいわゆる「国家神道」の解体を、政教分離、信教の自由の実現として評価する人も多いことでしょう。しかし、一つ忘れてはならない問題があります。それは、ポツダム宣言及び降伏文書に違反するものだったことです。ポツダム宣言は第10項で「言論、宗教及思想の自由」を明示的に保障していたからです。 戦争の勝利者が、敗者の宗教に手をつけるということは、異例なことでした。文字どおり無条件降伏したドイツにおいてさえ、行われていません。日本における「神道指令」は、有色人種への人種差別と、ユダヤ=キリスト教による異教への弾圧という意志があったと、私は推察しています。 「神道指令」は、例えば、ホメイニのイランや、フセインのイラクをアメリカが破って占領したとした場合、「イスラム教指令」を出して、国家と宗教の結合を断ち切ろうとするようなものです。西洋では17世紀のドイツ30年戦争前に行ったことです。 マッカーサー司令部は、「神道指令」と同時に、神武天皇による日本建国の理想とされた「八絋一宇」という言葉の使用を始め、日本民族の理想やロマンを伝える伝承や神話の抹殺を命じました。古事記・日本書紀はもちろん、古くからのおとぎ話までが消されました。これは、欧米でいうならば、聖書・ギリシャ=ローマ神話からイソップ物語までを否定することにあたりましょうか。 同時に、楠木正成、東郷平八郎などの国民的英雄の名が削られ、反対に足利尊氏、幸徳秋水ら反逆者や不忠者を讃えられました。また、西郷隆盛、吉田松陰らに関する本の発行も禁止されました。彼ら明治維新の英傑たちは、西洋の植民地化に対抗して、日本の独立を守り、アジアの興隆を目指した指導者でしたから、近代日本の背後にある危険思想と見なされたのでありましょう。西郷さんなどは、内村鑑三が英文で書いた『代表的日本人』の人物像の一人であり、まさに「代表的日本人」こそが、アメリカにとっては、危険人物だったともいえましょう。 5.東京裁判の準備(第2段階) 秘密計画を報告した連合国軍総司令部民間情報教育局(CI&E)の文書によると、戦争犯罪周知宣伝計画の第2段階は、昭和21年年頭から開始された、となっています。CI&Eの文書には、この段階では「民主化と、国際社会に秩序ある平和な一員として仲間入りできるような将来の日本への希望に力点を置く方法が採用された。しかしながら、時としてきわめて峻厳に、繰り返し一貫して戦争の原因、戦争を起こした日本人の罪、および戦争犯罪への言及が行われた」と記されています。そして、新聞、ラジオ、映画等のメディアが徹底的に利用され、特に新聞へは、記者会見、報道提供、新聞社幹部と記者への教化等によって「毎日占領政策の達成を周知徹底」した、と記述されています。 特に重点が置かれたのは、東京裁判という歴史的な一大イベントの予告と、報道です。昭和21年6月に極東国際軍事裁判所が開廷されるにあたっては、国際法廷の解説や戦犯裁判の資料を提供して、東京裁判の違法性を隠蔽しました。裁判中は、「とりわけ検察側の論点と検察側証人の証人については、細大漏らさず伝えられるよう努力している」と文書は報告しています。日本の弁護側と弁護側証人については、わずかしか伝えないという情報操作が行われたのは、言うまでもありません。 6.原爆批判と日本の言い分の封殺(第3段階) この文書がだされた昭和23年2月6日現在では、第3段階は進行中です。第3段階は、東京裁判の最終論告と最終弁論を目前にして、緊迫した情勢を反映したものでした。文書には、原爆投下への批判と敗戦国の言い分を圧殺し、連合国を全面的に正当化しなければならないという連合国側の危機感が漂っています。 文書の述べているところを要約するとーーー合衆国の一部の科学者、聖職者、ジャーナリスト等の発言に示唆されて、日本人の一部が、原爆投下を「残虐行為」の烙印を押してはじめている。さらに、これらのアメリカ人のあいだに、一部の日本の国民感情を反映して、広島での教育的人道主義的運動は、「贖罪」の精神で行われるべきだという感情が高まりつつある。これとともに、東京裁判で東条英機が「自分の立場を堂々と説得力を以て陳述したので、その勇気を国民に賞賛されるべきだという気運が高まりつつある。この分で行けば、東條は処刑の暁には殉国の志士になりかねない」云々。 こうした原爆問題と東條証言による連合国・米政府への批判の高揚に対抗して、戦争犯罪周知宣伝計画の第3段階が展開されたのです。 その内容は、それまでの段階以上に、繰り返して日本人に「日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍が行った残虐行為について自覚」させようとし、特に「広島と長崎に対する原爆投下の非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーン」を行おうとしたものです。日本の「侵略」や「残虐行為」は、原爆投下の免罪のために強調されたのです。そして、日本は犯罪国家だから原爆を投下したのは当然だ、悪いのは日本の軍部指導者である、という意識が徹底的に植え付けられました。特に、東條証言で陳述された日本側の言い分を一切認めず、「悪者はコイツだ、うらむならコイツだ、俺たちはワルクナイヨー、なんの罪もナインダヨー」と、日本国民が連合国批判に向かわないように、宣伝しました。 実は、東京裁判はそれ自体が、最も大規模なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムであったといえます。それとともに江藤淳氏の言葉を借りれば、「日本人から自己の歴史と歴史への信頼を、将来ともに根こそぎ『奪い』去ろうとする組織的かつ執拗な意図を潜ませていた」ものでもありました。 連合国側は、日本の戦争は「共同謀議による侵略戦争」と決め付け、日本の指導者を「平和と人道に対する罪を犯した戦争犯罪人」として処刑する意志でした。これに対し、東條英機は、総理大臣としての責任を認めつつも、大東亜戦争は自存自衛の戦争だった、と日本が戦争に至った世界史の展開と、日本の立場を陳述しました。それはCI&Eの文書が、東條は「自分の立場を堂々と説得力を以て陳述した」と書き止めたほど「説得力」のあるものだっただけでなく、東京裁判では連合国側の戦争責任が一切問われていない、という矛盾を鋭く指摘するものでもありました。 判決は下り、東條は、連合国に操作された日本人同胞の憎悪を浴びながら、絞首刑にされました。マッカーサーは、そのわずか2年半後の昭和26年5月3日に、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会で驚くべき発言をしました。「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」ーーーつまり、太平洋戦争は、日本にとっては自衛戦争だった、とほとんど認める発言を行ったのです。そこには、朝鮮戦争で、ソ連・中国・北朝鮮の共産軍と戦い、共産主義の脅威を身を以って知ったマッカーサーの姿がありました。彼は、東アジアにおいて共産主義化を防ぐということが、戦前の日本にとって、いかに重大な死活問題だったか、ということを理解したのです。実は、マッカーサーは、その前年の10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領に対して、「東京裁判は誤りだった」と告白した、と世界中に伝えられています。 しかし、東京裁判を行っていた時点でのマッカーサーは、国際法を超える最高決定権者として、「力と正義」の絶頂にありました。ジェネル・トージョーの言い分を、後に自分が認めるようになることなど、思い付くわけもありません。そして、戦争犯罪周知宣伝計画を遂行していきました。 7.プログラムは作動中 占領時代は終わりました。東京裁判は、マッカーサー自身によって否定されました。しかし、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、多数の日本人の脳にセットされたままです。このプログラムは今、現在も作動しています。あなたの脳の中でも、おそらくーーーそして、日本という国が滅ぶ時まで、作動し続けるでしょう。 但し、このプログラムをデリートすることは、簡単です。それが、謀略だということを知れば、それでいいのです。 参考資料 ・江藤淳著『閉ざされた言語空間』(文春文庫) (ページの頭へ) |