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北朝鮮による拉致とは何か

2004.9.1 初掲/2006.11.29修正

 

Q1 拉致とは何か

Q2 いつ頃から拉致は行われてきたのか

Q3 日本政府は拉致事件をいつから知っていたのか

Q4 何人くらいの人が拉致されているのか

Q5 拉致の目的は何か

Q6 朝鮮人のいわゆる「強制連行」との違いは

Q7 北朝鮮が拉致を認めた理由は何か

Q8 拉致問題において、わが国の根本問題はどこにあるか

Q9 日本は国家として拉致問題解決にどう取り組むべきか

●拉致事件関連の年表2006.11.29現在

 

 

北朝鮮による拉致事件は、私たち国民が日本という国の現状を反省し、国と国民のあり方を根本的に改めなければならないほど大きな問題です。

拉致事件の解決をめざし、この問題の基本的な事柄について、Q&A形式でまとめてみました。

 

1 拉致とは何か

 

拉致とは「無理に連れて行くこと」(広辞苑)を意味します。

北朝鮮による日本人拉致事件とは、北朝鮮の工作船が日本の領海を侵犯し、工作員が日本の領土に上陸して、日本国民を強制的に連れて行ったことです。また、この活動には日本国内に存在する組織が加担していると見られます。これは、日本の主権が侵害されていることを意味します。また、我が国の国民の生命と財産が侵害され、外国によって人権が侵害されていることに他なりません。

こうした拉致は、北朝鮮の最高指導者の指示によって行われている組織的な国家犯罪であり、許しがたい国家テロです。ページの頭へ

 

2 いつ頃から拉致は行われてきたのか

 

昭和52年(1977)9月19日、久米裕(ゆたか)さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致されたのが、日本の領土で、北朝鮮工作員及び朝鮮総連系に拉致された始めとされます。

その2ヵ月後、11月15日、横田めぐみさん(当時13歳)〔新潟県〕が拉致されました。中学1年生、13歳のめぐみさんが、学校のバトミントン部の練習の帰り道に拉致されたのです。

平成18年11月20日、政府は同じ年の10月21日、鳥取県米子市から失踪した松本京子さん(当時29歳)を拉致被害者と認定しました。

また、昭和51年(1976)に失踪した埼玉県川口市の藤田進さんも拉致された疑いが濃いと見られます。

昭和53年(1978)には、3組のアベック、地村保志さんと浜本富貴恵さん〔福井県〕、蓮村薫さんと奥土祐木子さん〔福井県〕、市川修一さんと増元るみ子さん〔鹿児島県〕が拉致されました。この前後、田口八重子さん〔埼玉県〕や曽我ひとみさんと母親の曽我ミヨシさん〔新潟県〕、田中実さん〔兵庫県〕も拉致されたと見られます。

その後、昭和55年(1980)に石岡亨さんがヨーロッパ旅行中に、松木薫さんがスペイン留学中に拉致されました。昭和58年(1983)には、有本恵子さんがイギリス留学中にコペンハーゲンから拉致されています。

ただし、より古い例では、昭和38年(1963)寺越昭二さん(当時36歳)・外雄さん(24歳)・武志さん(13歳)〔石川県〕が、工作船が侵入しようとしたところを見たので、拉致されたといいます。一体いつから拉致が、どの程度の規模で行われてきたのか、真相は未だ解明できていません。ページの頭へ

 

3 日本政府は拉致事件をいつから知っていたのか

 

昭和52年(1977)9月19日、久米裕さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致された事件では、拉致した犯人を警察は現場で捕まえました。逮捕された実行犯(在日朝鮮人)が拉致を自白し、石川県警は暗号指令解読用の乱数表などを押収したのです。ところが警察は起訴猶予にし、公表もされませんでした。

もし久米さんの拉致の時、警察の情報を公開し、北朝鮮の犯行と報道していたら、2ヵ月後に被害にあった横田めぐみさんの拉致は起こらなかったかもしれません。また、同年10月の松本京子さん、翌年の地村夫妻、蓮村夫妻、市川修一さんと増元るみ子さん、田口八重子さん、曽我ひとみさん母子、田中実さんの拉致も起こらなかったかもしれません。

昭和53年の秋、警察庁は3件6人のアベックの失踪を北朝鮮による拉致と判断しました。しかし、政府は北朝鮮・親北派の反発を畏れて公表しなかったようです。

昭和55年(1980)『サンケイ新聞』が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで報道しました。阿部雅美記者は、外国の情報機関が関与した疑いがあることを報じました。拉致事件の最初のスクープでした。しかし、世間の反応はほとんどないままでした。このニュースに私たち国民が関心を示していたら、石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの拉致は防げたかもしれませんでした。

昭和62年(1987)11月、大韓航空機爆破事件が発生し、乗客115名が死亡しました。実行犯の金賢姫が、日本から拉致されてきた教育係・李恩恵(田口八重子さん)に言及しました。また事件は金正日の密命によるものと証言したのです。

翌年の昭和63年3月、衆議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長が、昭和53年のアベック失踪等について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁しました。しかし、これも大きく報じられることはなく、被害者救出の声も上がらないままになってしまいました。

外国の例では、昭和53年にレバノンで女性4人が北朝鮮による拉致にあいましたが、同国政府が強く抗議して翌年には被害者全員が解放されました。また、東西冷戦時代、西ドイツでは東ドイツに国民が拉致されるという事件が頻繁に発生しました。しかし、西ドイツでは警察も役所もすぐ対応し、被害者を救出しています。また国民もその解決を支援したそうです。

これらの例は、日本国政府の対応及び日本国民の行動とは、大きな違いです。

国家(政府)の役割の一つは国民の生命と財産を守ることにあります。また、国民は本来、自国を守り、相互に助け合うべき立場にあります。ところが、戦後日本は憲法によって国防を大きく制限され、憲法に国民の国防の義務が規定されていません。主権国家として大きな欠陥を持っているのです。外交においても軍事力に裏付けられていない交渉は、相手国に強い態度が取れません。そのため、日本は他国に対し、毅然とした態度がとれずに、国民が次々と外国による拉致の犠牲になってきたのです。

平成14年10月15日、北朝鮮に拉致されて24年ぶりに地村夫妻・蓮池夫妻・曽我氏5人が帰国しました。その5日後の10月20日、美智子皇后陛下からお言葉がありました。

「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います」

痛切なお言葉です。日本国民は、自国と自分自身について深く反省し、国家・国民のあり方を改めなければならないと思います。ページの頭へ

 

4 何人くらいの人が拉致されているのか

 

日本国政府は12件17人の人々(平成18年11月現在)を北朝鮮による拉致被害者と認定しています。平成16年5月の時点では北朝鮮は、久米裕さんと曽我ミヨシさんを除いては拉致を認めましたが、同月帰国した5人以外の人々を「死亡」「未入国」と通告してきました。その報告は、ずさんであり、矛盾に満ち、到底、容認することが出来ない内容でした。

日本国政府は、北朝鮮に対し、横田めぐみさんなど安否不明の10人について、再調査を求め、150項目に及ぶ質問を出しました。しかし、北朝鮮は一切答えていません。

その後、新たに認定された田中実さん、松本京子さん、拉致の疑いの濃い藤田進さんについては回答がありません。

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(「救う会」)系の「特定失踪者問題調査会」の調査によると、少なく見積もっても百名以上の人々が、北朝鮮に拉致された可能性があるといいます。

3家族の帰国は、まだ氷山の一角なのです。ページの頭へ

 

5 拉致の目的は何か

 

主に三つの目的が考えられます。

 

(1)     北朝鮮の工作員の教育係とするため

大韓航空機爆破事件の金賢姫は、教育係・田口八重子さんに日本語・日本の習慣等を教わった例など

(2)     拉致した人物のパスポートを取得し、工作員が本人になりすまして活動するため

北朝鮮スパイ・辛光洙(シン・ガンス)が原原敕晁(ただあき)さんになりすまして韓国でスパイ活動した例など

(3)     自国に必要な人材を得るため

拉致された可能性のある人には、特定の職業の人、原発関連技術者やミサイル開発関連技術者が16名いる

 

これらの目的に共通する大目的は、朝鮮半島の共産化のために、日本人を利用することであると考えられます。

平成16年6月、産経新聞は、ソウル特派員・久保田るり子記者の記事により、拉致が北朝鮮の最高指導者の指示によって行われてきたことを伝えました。

この記事は月刊『正論』(産経新聞社)の平成16年8月号に「拉致を命じた金日成の秘密教示」と題して掲載されました。

記事によると、産経新聞社が得た金日成(キム・イルソン)主席の「秘密教示」は、「北朝鮮が韓国に侵入させるために養成していた幹部工作員に金日成政治軍事大学で強制的に記憶させた内容」といいます。そして、北朝鮮の戦略的な原則や革命の基本は、この「秘密教示」にあるといいます。

記事によると、北朝鮮は朝鮮戦争(1950-1953年)後、韓国の共産化による朝鮮の統一を目標にした工作活動を開始しました。しかし、1960年代は韓国・朴正煕政権の反共政策で数多くのスパイ事件、地下党組織が摘発されました。そうした時代背景から故金日成主席はこの時代、日本を「対南工作の迂回ルート」と位置付けていたというのです。

故金日成主席は1960年代、工作対象として日本をこう分析していました。

「第三国を通じた迂回浸透(韓国に日本を経て工作員を送り込むこと)で興味深い対象国は日本だ。‥‥今後、日本を迂回浸透工作の基地として大々的に利用する必要がある」「日本は国内法上、スパイ防止法、反国家行為への法的(禁止)制度がない。従って日本を舞台に(工作)活動が発覚しても外国人登録法、出入国法違反など軽い罪にしか問われない」(いずれも1967年4月、対南担当要員との対話)

「帰国船(1971年から万景峰号)が新潟港と共和国を往復している。帰国船は帰国同胞を運ぶだけでなく南朝鮮革命と祖国統一推進に使うべきだ。(船が)新潟に停泊している間に同志たちは革命に有利な仕事をしなくてはならない。たとえば南朝鮮革命に必要な情報材料を入手し、必要なら日本人を対象に包摂工作(=とりこみ)や拉致工作もできるではないか」(1969年11月3日、3号庁舎 拡大幹部会議)(※下線は引用者)

久保田記者によると、「金日成秘密教示の真髄は、南朝鮮革命(韓国の共産化)にある」「対日工作はあくまでも対南工作の手段であった。日本は革命の基地であった。故朴正煕大統領の登場による韓国の反共化で日本の利用価値は高まり、日本は『黄金の漁場』となりスパイ基地となった」といいます。ページの頭へ

 

6 朝鮮人のいわゆる「強制連行」との違いは

 

北朝鮮や一部の日本人が、日本は戦争中に朝鮮人を「強制連行」したといいます。しかし、日本は朝鮮人を「徴用」したのであって、「強制連行」したのではありません。

明治43年(1910)、日韓併合条約により、朝鮮は日本の領土になりました。「併合」は、武力による植民地化ではなく、話し合いによる連邦化を意味します。この時から昭和20年まで36年間、朝鮮人は日本国民だったのです。

昭和12年7月に勃発したシナ事変が泥沼化し、その解決の出来ないまま、16年12月、わが国は無謀にも大東亜戦争に突入してしまいました。戦争が長期化すると、若い男性はみな戦地に行き、壮年、女性、学生も働かなければならなくなりました。こうして政府の命令で働くことを「徴用」といいます。

「徴用」は昭和14年から始まりましたが、これは国民徴用令によるものです。最初は日本人が対象でした。日本人と同じように朝鮮人が徴用されたのは、昭和19年になってからのことです。これは朝鮮人も同じ日本国民だったので、当時の法律に基づいて徴用されたのです。北朝鮮の行った外国人を誘拐する拉致とは、まったく違うものです。

徴用された朝鮮人(当時は日本国籍の日本人)は2千人たらずでした。徴用より早く始められた「官斡旋」という政府協力による募集で来日した人も含めて1万2千人程度でした。

戦前、朝鮮より日本の方が賃金が高いなど労働条件が良いので、自分から日本に渡ってきた朝鮮人も多かったのです。昭和8年から13年までの6年間に日本に渡ることを希望した朝鮮人は、108万7千人もいました。その6割は書類の不備などで渡航を認められず、そのため不正渡航があとを絶たなかったといいます。

戦後、米軍は在日朝鮮人を帰国させたので、終戦時200万人余といわれた在日朝鮮人のうち、8カ月足らずで約130万人は帰国しました。特に、独身者は大抵帰国したそうです。残りの80%の51万人も帰国を希望していました。帰国しなかったのは、すでに日本で家庭を持って生活の根を下ろしている人たちが主でした。それゆえ、今日本に残って生活している朝鮮人のほとんどは、戦争よりずっと前に日本に来て住み着いた人たちやその子孫と考えられます。戦後は、強制的に日本に留どめたわけではなく、自由に本国へ帰国できたからです。

在日朝鮮人は、自らの意志で日本にいることを選んだ人々です。「強制連行」され、自国に帰ることも禁じられている人たちではありません。外国が侵入・工作して拉致され、外国で人権を蹂躙され、母国に帰国することのできない拉致被害者とは違います。

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7 北朝鮮が拉致を認めた理由は何か

 

北朝鮮は、拉致は「でっち上げ」と言ってきました。しかし、平成14年(2002)、小泉首相が、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化交渉の妥結はありえない」と明言すると、態度が変りました。そして、平成14年9月17日、日朝首脳会議で、金正日(キム・ジョンイル)総書記が、北朝鮮による拉致を認めました。この変化には、二つの理由が考えられます。

第一は、安全保障上の理由です。平成13年(2001)1月に米国にJ・ブッシュ政権が誕生しました。同政権は北朝鮮に核兵器の放棄と生産中止を求め、応じなければ攻撃もありうると警告しました。そして、北朝鮮は同年アフガニスタン戦争で見せ付けられた米国の圧倒的な軍事力に恐れをなしたのでしょう。米国の攻撃を逃れるために、日本を篭絡(ろうらく)しようとし、日本人拉致を認めて日朝交渉を推進し、日米を分断しようとしたと思われます。

第二は、経済的な理由です。北朝鮮は国家経済が破綻に瀕しています。特に食糧難は深刻で、人口約2200万のうち約300万人の国民が餓死したといわれます。そこで日本との国交樹立を進めて援助の引出しを狙っていると考えられます。ただし、援助の引出しは、国民を救うためではないでしょう。援助金によって軍備の増強やミサイルの輸出等を活発にし、現政権を維持するために使うだけではないでしょうか。ページの頭へ

 

8 拉致問題において、わが国の根本問題はどこにあるか

 

拉致事件は、戦後の日本の根本問題が集約して表れています。

第一は、日本国憲法の問題です。現行憲法は、GHQによって押し付けられた憲法です。憲法第9条によって国防が大きく制限され、またその条項の政府解釈によって自縄自縛の状態にあります。国民の国防の義務も規定されていません。軍事力に不備があるから、日本外交は強い姿勢を取れません。また、警察力も軍事力に裏づけられていないので、外国の侵入者に対しての警護が弱いのです。

第二は、自虐的な歴史認識の問題です。戦後、わが国では米国製の「太平洋戦争史観」が国民に刷り込まれました。また、東京裁判によって戦前のわが国の歴史は一方的に断罪されました。そのうえに、日教組教育や左翼的なマスコミによって、朝鮮に対する強い罪悪意識が吹き込まれました。間違った歴史認識を持たされた国民は負い目を持つようになり、北朝鮮に対し正当な主張ができなくなっています。

第三は、日本精神の喪失の問題です。戦後の占領政策は、日本の弱体化を狙い、わが国の国家と国民の結びつき、国民の団結を破壊するものでした。その結果、国民の間に利己主義が横行するようになし、自分のことしか考えず、国家・同胞に無関心な国民が増えてしまいました。特に政治家などの国家指導層の一部が、政治資金や利権等によって私利私欲に走り、他国に利用されています。

これらの三点をまとめると、敗戦後に行われた日本弱体化政策」の影響が非常に深くまで、国民の精神を蝕んでいることが、拉致事件に根本にある問題といえます。

日本国憲法教育基本法の改正、東京裁判史観の克服、教育・家庭の改革等が急務です。ページの頭へ

 

9 日本は国家として拉致問題解決にどう取り組むべきか

 

国家(政府)の役割の一つは、国民の生命と財産を守ることです。北朝鮮による拉致は、自国民が他国によって拉致監禁されているのですから、本来は軍隊を派遣してでも救出するのが、主権国家のあり方です。しかし、わが国には憲法第9条の制約があり、自衛隊を動かすことができません。

そこで、現行憲法の下では、経済制裁を行うことが効果的な手段と考えられています。経済制裁とは、対北朝鮮貿易・送金の停止、北朝鮮の船舶の入港禁止などです。これは、国連憲章でも認められている主権国家の権利です。北朝鮮の経済は、日本からの送金や物資によって支えられています。経済制裁は北朝鮮に大きな打撃を与え、拉致問題で譲歩を引き出すことができる可能性があります。

さらに根本的には、戦後日本の国家と国民のあり方を反省し、日本国憲法を改正し、国家の自然権である国防を整える必要があります。また誤った国家観や歴史認識を改めて、自国民の生命と財産を守ることのできる国づくりを行わなければならないのです。ページの頭へ

 

参考資料

    日本弱体化政策については、以下の拙稿をご参照ください。

 「日本弱体化政策の検証

    憲法については、以下の拙稿をご参照ください。

日本国憲法は亡国憲法――改正せねば国が滅ぶ

    国防については、以下の拙稿をご参照ください。

国防は自然権であり堤防のようなもの

国防を考えるなら憲法改正は必須

 

 

●北朝鮮による日本人拉致事件関連の年表

平成18年11月29日現在

 

1960年代

 

朝鮮戦争で朝鮮統一に失敗した北朝鮮の故・金日成主席は1960年代に入ると、「南朝鮮革命」のために、日本を工作対象として利用する方針を打ち出した。「必要なら日本人を対象に包摂工作(=とりこみ)や拉致工作もできるではないか」(1969年11月3日)などと指示した。

1963年

(昭和38年)

5月11日

寺越昭二さん(当時36歳)・外雄さん(24歳)・武志さん(13歳)〔石川県〕が失踪。24年後、北朝鮮による拉致と判明した。

1970年

(昭和45年)

3月31日

よど号ハイジャック事件起こる。共産同赤軍派のメンバー9人が北朝鮮に入国。以後、思想教育を受け、北朝鮮の工作活動に従事し、日本人拉致に加担する。

1977年

(昭和52年)

 

 9月19日

久米裕(ゆたか)さん(当時52歳)〔東京都〕が拉致される。逮捕された実行犯が拉致を自白し、石川県警は暗号指令解読用の乱数表などを押収したが、公表されず。

11月15日

横田めぐみさん(当時13歳)〔新潟県〕が拉致される。その後、1997年(平成9年)まで行方不明だった。北朝鮮の金一族や工作員に日本語を教える教育係として利用されていたことが、後日判明する。

1978年

(昭和53年)

 

 

 

 

 6月29日

田口八重子さん(当時22歳)〔埼玉県〕が拉致される。工作員の教育係として利用されていたことが、後日判明。

 7月 7日

地村保志さん(当時23歳)と浜本富貴恵さん(当時23歳)〔福井県〕が拉致される。恋人の男女を二人とも連れ去り、北朝鮮で生活させて利用する仕方だった。

 7月31日

蓮村薫さん(当時20歳)と奥土祐木子さん(当時22歳)〔福井県〕が拉致される。

 8月12日

 

市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(当時24歳)〔鹿児島県〕が拉致される。

曽我ひとみさん(当時19歳)と母親の曽我ミヨシさん(当時46歳)〔新潟県〕が拉致される。曽我さんは、後日、アメリカ人脱走兵ジェンキンズ氏と結婚。

  秋

警察庁は3件6人の失踪を北朝鮮による拉致と判断。しかし、政府は北朝鮮・親北派の反発を畏れて公表せず。この年、レバノンで女性4人が北朝鮮による拉致にあうが、同国政府が強く抗議して翌年には被害者全員が解放される。

1980年

(昭和55年)

 

 

 1月 7日

サンケイ新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで報道(阿部雅美記者)。拉致事件の最初のスクープ。外国情報機関が関与した疑いがあることを報じた。

 6月 7日

石岡亨さん(当時22歳)がヨーロッパ旅行中に、松木薫さん(当時26歳)がスペイン留学中に拉致される。後年、よど号メンバーの妻たちの犯行だったことが判明。

 6月17日

原敕晁(ただあき)さん(当時43歳)〔大阪府〕が拉致される。

1983年

(昭和58年)

 7月15日

有本恵子さん(当時23歳)がイギリス留学中にコペンハーゲンから拉致される。後年、よど号メンバーの妻・八尾恵が犯行を自供。

1985年

(昭和60年)

   2月

韓国国家安全企画部が原敕晁さん名義のパスポートを保持していた北朝鮮スパイ・辛光洙を逮捕。

1987年

(昭和62年)

   5月

昭和38年以来行方不明だった寺越外雄さんから手紙が来て、3人は北朝鮮にいることがわかる。(武志さんは、その後、朝鮮労働党平壌市委員会副委員長に)

11月

大韓航空機爆破事件発生。乗客115名が死亡。

1988年

(昭和63年)

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