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  人類の展望

                       

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人類史の中の日本文明

2005.2.1

 

<目次>

第1章 人類の歴史と文明

(1)文化と文明の定義

(2)人類文明史の6つの転換期

(3)主要文明と周辺文明

(4)人類文明史における日本文明

第2章 日本文明の展開

(1)第1期 黎明期〜人類革命から日本文化の誕生へ

(2)第2期 準備期〜日本の農業革命

(3)第3期 形成期〜日本の都市革命と精神革命

(4)第4期 確立・熟成期

(5)第5期 発展期〜日本の近代化革命

(6)第6期 飛躍期〜新人類革命の推進

第3章 新しい指導原理の出現〜日本文明への期待

 

 

この地球に人類が棲息するようになってから、数百万年が経過しました。この間、人類は、言語や道具や火を用い、大地を耕し、都市を築き、真理や法則を語り、自然のエネルギーをわが物にして繁栄を続けてきました。とりわけここ数百年の文明の発達は目覚しく、人類は空を飛び、地に潜り得て、さらに宇宙にまで進出しています。

ユーラシア大陸の東端に位置する日本には、1万年程前から独自の文化が生まれ、大陸の文明から恩恵を受けつつ、確かな個性を持つ文明が発達してきました。日本文明は、いまでは世界の主要な文明の一つとして、人類社会に確かな存在感を示しています。

本稿では、日本文明を、人類の歴史の中に位置づけて、その誕生・形成・発展の跡をたどってみたいと思います。また、そのうえで、現代世界における日本文明の役割について述べたいと思います。

今日、人類は、史上かつてない転換期に直面しています。核兵器の破壊力の増大や、地球環境の悪化、文明・国家・民族の交流、情報通信の発達など、様々な変化が加速度的に進んでいます。こうした世界において、人類の課題を確認する時、日本文明が担うべき役割が明らかになるでしょう。

 

第1章 人類の歴史と文明

 

1)文化と文明の定義

 

本論に入る前に、まず文化と文明という言葉について整理したいと思います。これらの言葉には、いくつもの定義があり、しばしば混乱を招いているからです。

文化にあたる西欧言語(英語・仏語 culture、独語 Kultur)は、ラテン語のculturaに由来し、もとは「栽培」「耕作」を意味します。文明にあたる西欧言語(英語・仏語 civilization、独語 Zivilisation)は、ラテン語のcivisに由来し、もとは「市民」を意味します。方や農耕に関する言葉、方や都市の住民を意味する言葉が、自然や動物と区別される、人間に固有な生活・活動の総体を意味する言葉として使われるようになったわけです。

これに対し、西欧の原語の訳語にあてる「文化」「文明」という漢字には、「文」という文字が使われます。「文」は、もとは土器につけた縄文の模様の一こまを意味し、そこから文字の意味となりました。シナ文明の影響圏である漢字文化圏では、文字の使用が、「文化」「文明」の指標となっているわけです。

欧米では文化と文明をほぼ同義に使うことが多いのですが、19世紀後半のドイツでは、文化の精神性、文明の物質性というように対比させるとらえ方が行われました。この区別では、宗教・道徳・芸術などの精神的所産を文化といい、技術的・物質的所産を文明と呼びます。そして、文化の方に文明よりも価値を置くのです。こういう分け方は現代でも一部に影響を与えています。そのことが、文化・文明の定義の混乱の一要因となっています。

文化人類学者のエドワード・B・タイラーは、文化を知識・信仰・芸術・道徳・法律・風習などの諸要素の複合体であると定義しました。この定義に基づくと、人類の古今東西の様々な社会は、それぞれ特徴的な文化を持っています。その文化には精神的・物質的にそれぞれ発展の度合いがあります。また社会には、規模の大小や組織の密度等に違いがあります。そこで、人類の文化や社会を、世界的な視野で歴史的にとらえるときには、文化という言葉だけでなく、文明という言葉を併せて使うことが有用です。

20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビーは、国家を単位とした歴史研究では歴史の真相の究明は不可能であり、人間に役立つような歴史学は生まれてこないと考えました。そして、人類の歴史を国家や民族を単位としてとらえるのではなく、文明を単位としてとらえることを提唱しました。彼のいう文明とは、一般に一つ以上の国家や、複数の人種・民族を含む大規模な社会であって、他とは異なる文化を持つものを意味しています。

トインビー以後、文明を単位として歴史をとらえ、文明間の比較研究をする学者が増えています。その研究の成果に基づいて、現代世界を文明を単位としてとらえる国際政治学者サミュエル・P・ハンチントンは、文化を「人々の間に共有された生活様式の総体」と定義し、文明を「文化のもっとも大きなまとまり」としています。これはかなり粗い定義です。わが国を代表する比較文明学者の伊東俊太郎氏は、もっと具体的に次のように定義しています。「民族の慣習、さまざまな社会の知識の形態、そこでつくられるいろいろな制度、科学、芸術などを文化という」。そして、「文化が発展していって、ある程度の高度のもの、広範囲に制度化されたものに達すると、文明になると考える」というものです。(註1) この定義は、タイラー以降の文化人類学における文化の定義と、トインビー以降の比較文明学における文明の定義を、最大公約数的に表わしたものと思います。私は、基本的にこの伊東氏の定義にならいたいと思います。

次に私見を述べますと、文明は、ある程度高度に発達した文化を持つ“社会”を意味するのに対し、文化はその社会の持つ“生活・活動”の総体、つまり慣習・知識・制度・科学・芸術等を意味する点が異なります。前者は、行為の主体であり、後者は行為の対象や内容です。但し、文明段階以前の社会を文化の語で表わす場合もあります。

私は文化の内容を述べる時は、「精神文化」「物質文化」と分けることにします。宗教・道徳・芸術などの内面的・精神的所産は精神文化、外面的・物質的所産は物質文化と呼びます。また、精神文化を特徴とする文明を「精神文明」、物質文化を特徴とする文明を「物質文明」と呼ぶことがあります。例えば、近代西洋文明は、物質文化の発達を特徴とするので西洋物質文明という言い方ができます。その西洋物質文明の中にも、ギリシャ=ローマ思想やキリスト教などの精神文化があり、産業に応用される高度な科学技術などの物質文化があります。一方、東洋アジアの諸文明は、精神文化に特徴を持つので、東洋精神文明という言い方ができます。その東洋精神文明にも、仏教、ヒンズー教、イスラム、儒教、神道のような精神文化と、インド・シナ・イスラムなどの伝統科学(近代西欧科学と区別して)やアジア各地の農耕技術のような物質文化があります。

さて、文化は民族や言語や伝統と結びついていて、その社会に固有で他の社会に伝播し得ないものであるとし、文明は民族や国家を超えて普及していくもの、技術的な諸手段の総体をさすという考え方があります。しかし、この分け方は、例外が多く、十分有効ではありません。独創的な比較文明学者の山本新氏は、この点に関して、文明の「様式」「内容」「価値」という概念を用いています。

山本氏によると、文明の「様式」とは、「それぞれの文明が持っている個性」であり、「その文明を他の文明と基本的に区別する文明の特色、文明の相貌、文明の色合」です。次に「内容」とは、文明の中身であり、文明を構成している政治・経済・制度・思想・宗教・芸術などの文化要素です。最後に文明の「価値」とは、「文明の普遍的な側面」です。3つの概念の関係は、様式は内容の様式であり、価値は内容が実現している価値です。他の文明の「様式」は、かりに模倣したところで、わがものにすることはできません。土着させるには、様式を変容させることが必要です。これに対し、文明の内容は、その価値に応じて評価され、「価値」は「文明を越えて伝わり、それぞれの文明の様式に従って受け入れられる可能性」があります。(註2)

 私は山本氏の概念に学び、文明の持つ文化の様式・内容・価値という意味で、これら三つの概念を使用したいと思います。文明の持つ文化の内容つまり文化要素には、物質的な文化要素と、精神的な文化要素があります。そのうち、物の生産に用いる技術は、すぐ有用性の価値を判断でき、真似もしやすく、最も伝播・受容しやすいものです。近代科学技術がこの典型です。これに比べると、思想・宗教・芸術などの精神文化は、様式との結びつきが深く、また価値判断もしにくいものが多いです。そのため、ある文明に固有で他にはほとんど伝播し得ないものがあります。しかし、その一方、精神文化であっても、他の文明に広く伝わって、そこで新たな生命をもって発展していくものもあります。例えば、ギリシャやシナの古代思想や、キリスト教や近代西欧の啓蒙思想などがそうです。これらの内容は、固有の様式を持ちながら、高い価値を生み出したことによって、他の諸文明に広く受容されるものとなったと考えられます。

 文化と文明という言葉及びそれに関連する概念について、上記のように整理してみました。この整理に基いて、以下の考察を書くことにします。ページの頭へ

 

(1) 伊東俊太郎著『比較文明』(東京大学出版会)

(2) 山本新著『文明の構造と変動』(創文社)、『周辺文明論』(刀水書房)

 

(2)人類史の6つの転換期

 

人類が地球に出現して、数百万年が経ったといわれます。その間、人類の文化は、幾度かの変化を遂げてきました。哲学者のカール・ヤスパースは、『歴史の起源と目標』で、次のような世界史の図式を描いています。(註1)

 

第1段階  先史時代

時期: プロメテウス時代の始まり

  内容: 言語・道具・火の使用の発生

第2段階  古い高度文化の基礎付けの始まり

時期: 紀元前5000年以降

  内容: 四大文明の発生(メソポタミア、エジプト、インダス河流域、

黄河流域)

第3段階  基軸時代の始まり

時期: 紀元前800〜200年

内容: 諸宗教・哲学の発生、人類の「精神化」(インド、シナ、西洋)

第4段階  科学技術時代の始まり

 時期: 17世紀の科学革命と18世紀末の技術発展

 内容: 科学と技術による世界の変容

 

ヤスパースは、人類史に「基軸」となる時代を見出し、そこに軸を置いた人類史の段階論を提唱しました。「基軸時代」とは、インド・シナ・ギリシャ等に諸宗教・哲学がほぼ同時期に発生し、人類が「精神化」した時代です。その後、科学技術時代に入った人類は、こうした諸宗教・哲学に替わる新たなものを生み出しえていません。ヤスパースは、核戦争のおそれのある現代において、西洋だけではなく、「真に人類に共通する、人類的な、世界を包括する基軸」を生み出す「第二の基軸時代」の到来を待望しました。

ヤスパースの提唱を受け、いろいろな段階論が提案されましたが、特に優れたものが、伊東俊太郎氏によるものだと思います。伊東氏は、科学技術史に強い文明学者で、その研究に基いて、人類には過去、5つの転換期があったとします。それが「人類革命」「農業革命」「都市革命」「精神革命」「科学革命」です。そして、現在は6番目の転換期にあると説いています。この説を私見をもって一部修正して援用させていただいて、人類史を概観すると、以下のようになります。年代はおおまかな数字です。(註2)

 

第1期 人類革命

時期: 数百万年前

内容: 言語・道具・火の使用による人類の誕生

 

この地上に発生した人類は、言語・道具・火の使用を始め、他の動物と区別される文化を持つようになりました。こうして亜人類から人類への飛躍が行われました。いわば人類が人類となった変化を、伊東氏は「人類革命」と呼びます。

人類の発生には単系説と多系説がありますが、現在のところ、人類のものと思われる最古の骨は「アルデピテクス・ラミドゥス」という450万年ほど前のものです。さらに発掘が進むに従って、人類の始祖はもっと前にさかのぼるかもしれません。発生後の人類には、オーストラロイド、モンゴロイド、ネグロイド、コーカソイドの四つの人種が形成されました。

最初期の人類は、狩猟と採集を行い、家族を中核とする氏族単位で生活していました。彼らは様々な形の石器を作り出し、調理を行い、塑像を作り、洞穴に写実的な絵を描くなどしました。アニミズム・シャーマニズムの世界観をもち、自分の始源を振り返って神話を語り、また死を意識して死者のための儀式を整えていました。

人類文化の発生から、次の転換期である「農業革命」を行うまでの期間は、人類史の99パーセントを占めています。また、ほぼ旧石器時代の全期間を覆います。

 

第2期                   農業革命

時期: 1万年頃〜1万年1千年前頃

内容: 農耕の開始

 

今から約1万年から1万1千年前、パレスチナで農耕が始まり、その後、メソポタミアを経て、インド・シナ・ヨーロッパ等に広がったと考えられています。また、東南アジアやシナ、西アフリカ等でも、ほぼ同じ頃、それぞれ農耕が始まったようです。これによって人類の一部が、それまでの狩猟採集という不安定な生活から脱し、野生植物の栽培を始めました。これが「農業革命」です。メソポタミアでは麦、東南アジアではイモ、シナでは稲、西アフリカでは雑穀の栽培化が行われました。最初は雨水や山の上方の細流を利用していたようです。

人類は、農耕という能動的な食糧生産を行うことにより、村落共同体を作り、より大きい部族集団を形成して、定住生活を開始しました。また新石器時代に入り、さまざまな磨製石器や農具・土器・織物などを作り、粘土その他で簡単な住居を造るようにもなりました。農耕に伴う儀礼が行われ、狩猟採集生活が生み出した精神文化を、より豊かなものに発展させました。

農耕と同時に、野生動物の家畜化が行われ、牧畜も開始されました。次第に、各地域の生態学的な特性によって、農耕を中心とした文化と、遊牧を中心とした文化とに別れ、農耕社会と遊牧社会との交流・対立・抗争が始まりました。以後、西アジア、東アジア、ヨーロッパ等で両者の相互作用が歴史を彩っていきます。

 

第3期 都市革命

時期: 紀元前3500年頃〜前2500年頃

内容: 都市の形成と古代帝国の建設

 

「農業革命」以後、農耕が発展し、大河の流域で大規模な農耕が行われるようになりました。人々は多くの村落を統一し、それまでの部族集団を統合した、より大規模な地縁集団を組織しました。生産力が伸長し余剰農作物が増加し多くの人口を養えるようになると、直接生産に従事しない集団が現れました。彼らは城壁をつくって都市を形成するようになります。 

最初の都市国家は、紀元前3500年頃メソポタミアで発生しました。都市国家では、王―僧侶―戦士―商工民―農耕民・遊牧民というように社会の階層化・分業化が進んでいました。また、組織化や制度化が進展しました。これが「都市革命」です。伊東氏は、都市革命によって、人類は「文化」から「文明」の段階に入ったとします。これは、「市民」という言葉に由来する西欧言語の「文明」の意味にかなっています。

メソポタミアに継いで、紀元前3000年頃エジプト、紀元前2500年頃インダスで、都市国家が成立しました。シナでは、黄河流域の殷文明より千年ほど前になる紀元前3000年から2500年頃、長江流域で文明が発生したようです。これら、都市革命によって誕生した四大文明が、いろいろな地方に伝播し、人類の文明化が進みました。

都市国家の支配階級は、文字をはじめとする様々な知的技術を開発しました。王を中心とした統治のために法律ができ、巨大建築物が建てられました。金属器が登場して、軍事力が格段と強化される一方、広い地域にわたる物資の交換が行われ、商業が盛んとなりました。そして、農耕を主とする都市国家の文明と、遊牧を主とする部族集団の文化との交流・対立・抗争が展開されていきます。

 

第4期 精神革命

時期: 紀元前800年頃から前500年頃

内容: 高度宗教や哲学の誕生による精神文化の向上

 

「都市革命」が進展すると、紀元前800年頃から前500年頃にかけて、新たな宗教や哲学が誕生しました。これを「精神革命」と呼びます。ヤスパースのいう「世界史の基軸時代」は、この「精神革命」に当たります。

まずイスラエルに旧約聖書の預言者が登場し、神との契約による一神教を生み出しました。インドではヴェーダとウパニシャッドの哲学が出て、釈迦が仏教を開きます。シナでは、孔子を始めとする「諸子百家」が活躍し、ギリシャではソクラテスが哲学を論じます。

この時期、各地域で都市が統合され、より大きな領土国家が形成されました。人類はそれまでの共同体的な生活から放り出されて、新たな社会環境に置かれたため、人間はいかに生くべきかという問いを深めるようになったのです。宇宙や存在や真理について深められた宗教的・哲学的な認識が、以後、その系統の文明の精神的原理となりました。しかも、それらは文化の様式の違いを超えた高い価値を生み出したので、今日に至るまで人類の自己認識の基本的な枠組みとなっています。

世界を中東を基準に東西に分けると、「精神革命」の時代以降、西半球ではギリシャ=ローマ文明、ヨーロッパ文明等が、東半球ではインド、シナ、ペルシャ、アラビア等の文明がそれぞれ発達しました。これら東西の文明が交流して互いに恩恵を与え合いました。時代は遅れますが、紀元前後にイエスがパレスチナに、7世紀にムハンマド(マホメット)がアラビアに現れ、「精神革命」の成果をもとにした高度宗教を生み出しました。

概して西欧で近代化が起こるまでは、東が西に与えたものの方が、西が東に与えたものより大きかったといえます。これが逆転したのは、近代化という革命によるものです。

 

第5期 近代化革命

時期: 15〜19世紀

内容: 生活全般の合理化の進展による世界の変容

 

15〜19世紀に西欧で始まった現象を、「近代化」といいます。近代化とは、「生活全般の合理化」(マックス・ウェーバー)です。近代化・合理化は、文化的には宗教・思想・科学等における合理主義の形成、 社会的には共同体の解体とそれによる近代的な核家族、機能集団である組織や市場の成立、近代都市の形成、政治的には近代主権国家の成立、近代官僚制と近代民主主義の形成、経済的には近代資本主義・産業主義の形成等が進展していく過程です。私は、この文化・社会・政治・経済の各領域で進んだ合理化の過程を総合して、「近代化革命」と呼びたいと思います。(註3)

近代化の過程で決定的な役割を果たしたのが、物質科学の発達でした。物質科学こそ近代文明の中心であり、近代西洋文明は物質科学文明と呼ぶことが出来ます。

イスラム文明を通じて、古代以来の伝統科学を学んできた西欧人は、地動説の証明をきっかけに、仮説・実験・証明を経て数学的に表現する近代的な態度を確立しました。ルネ・デカルトは、物心二元論の認識論と要素還元主義の方法論を打ち出し、アイザック・ニュートンが機械論的世界観を構築しました。ここにおいて、フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉のように、人間は自然を支配し、改造する力を持つようになりました。これが「科学革命」です。

近代西欧科学はそれまでのインド・シナ・ギリシャ・イスラムにおける伝統科学が秘めていた可能性を爆発的に現実化しました。近代科学の発達は、人類の知識を一挙に広げました。人類に内在していた知能が、あたかも季節が来て木々の花が咲くように、一気に開花し始めたかのようです。まさに科学革命を中心とした近代化の進行によって、人類文明は大変化しつつあります。

西欧文明は、科学によって発見された新しい知識を物質的生産に応用して、「産業革命」を遂行しました。また、「科学革命」とほぼ並行して、近代国民国家が形成されました。合理主義・民主主義・個人主義・啓蒙主義など、新たな思想が創造されました。そして、科学技術と産業資本的経営組織と主権国家の権力とが合体したとき、西欧文明は他の文明を圧倒する力を持つに至ったのです。

西欧から北米に広がった近代西欧文明は、地理的には欧米文明というべきものとなりましたが、ここではこれを近代西洋文明と呼ぶことにします。近代西洋文明は、ギリシャ=ローマ文明から一直線に発展したものではなく、ギリシャ=ローマ文明が滅び、その文化的要素を一部継承した西欧文明が北米にも発展した文明です。

西欧白人種は有色人種を侵略・支配し、近代西欧文明による世界支配は、19世紀の後半から20世紀の初頭に絶頂を迎えました。アジアでは、インド・シナ・イスラム等の繁栄を誇った諸文明が、近代西洋文明の周辺文明と化すかのごとき状態となり、アフリカ大陸は列強によって完全に分割されました。しかし、日本が近代化に成功し、日露戦争の勝利によって、有色人種の解放運動がはじまりました。

近代化つまり全般的な合理化によって生まれた強力な力は、諸文明・諸国家・諸民族の対立・抗争を大規模化し、20世紀前半には、遂に世界的な規模の戦争が勃発するに至った。物質科学は、人20世紀前半には、遂に世界的な規模の戦争が勃発するに至りました。物質科学は、人類に物質的な繁栄をもたらしましたが、人類はそのために自己の智恵を過信し、自らの文明の産物によって危機に陥ったのです。

 

第6期 新人類革命

 時期: 1945年〜21世紀

 内容: 人類発生以来の危機と飛躍の時

 

現在、人類は第6の転換期にあります。これは危機と飛躍の時代です。「近代化革命」を経た人類は1945年以来、核兵器の使用により、存亡の危機に直面しています。核による世界戦争は、人類自滅にいたるおそれがあります。その愚を避けるために、国際協調を進め、核兵器を削減さらには廃絶し、また世界平和を実現・維持することのできる国際的な機構を作り出すことが、現代の人類の課題となっています。私は1945年以降を、現代とします。

核の危機のうえに、1950年代からは地球環境の破壊が顕著になりました。科学と産業の発達の結果です。人類が地球で生存していくためには、自然環境の保全と経済成長のバランスを維持していかねばなりません。そのためにも、従来の文明・国家・民族の枠を越えて、全地球的な取り組みが必要になっています。

核兵器の開発、環境の破壊等によって、人類は生存の危機に直面しています。私たちは、自滅したくなければ、自ら飛躍しなければならないという状況に立っています。今や人類は、世界平和の実現と、文明と環境の調和のために、新たな精神的な進化を求められているのです。現代の転換期は、人類が人類となった「人類革命」以来の大転換の時であり、いわば「新人類革命」とでもいうべき自己変革が求められています。「新人類革命」とは、過去に亜人類から人類となった「人類革命」を超えて、人類が新人類へと自己超越することです。「新人類革命」は、ヤスパースのいう「第二の基軸時代」の到来となるものです。

この「新人類革命」を成功させること、それが人類の課題です。そして、日本文明はその課題の一端を担っています。この点は、日本文明の歴史を概観したうえで、さらに述べたいと思います。ページの頭へ

 

(1)    ヤスパースについては、以下の拙稿をご参照下さい。

『新基軸時代』の日本〜ヤスパースを先達として

(2)   伊東俊太郎著『比較文明』(東京大学出版会)、『日本文明の系譜と文明史的可能性』(『日本とは何なのか』所収・NHKブックス)など

(3)   近代化については、以下の拙稿をご参照下さい。

  「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆

 

(3)主要文明と周辺文明

 

人類の歴史を振り返ると、幾多の国家・民族が盛衰興亡を繰り返してきました。トインビーは、歴史をとらえるには、次々に現れては消える国家よりも、数百年あるいは千年以上の長さで生滅する文明を単位として歴史を見ることを提唱しました。彼は世界の諸文明を研究し、1934年から61年にかけて、『歴史の研究』全12巻を著述しました。本書によって、文明を単位として歴史を見る歴史観が成立しました。

トインビーは、世界史において「充分開花した文明」の数を21としました(最終的には23)。文明が誕生する原因については、「挑戦と応戦」の理論を提示しました。「挑戦(challenge)」とは、ある社会が環境の激変や戦争などによって、その存亡にかかわる困難な試練に直面することであり、「応戦(response)」とは、この課題に対して、創造的に対応しその脅威を乗り越えようとすることをいいます。文明は、この「挑戦」に対する「応戦」によって発生するとトインビーは考えました。彼はまた、文明の興亡盛衰には、ひとつの法則性があり、文明は誕生ー成長ー挫折ー解体を繰り返すと説いています。解体後は、先行文明の刺激を受けて発生した新たな文明に継承されることが多いのですが、滅亡する場合もあります。文明の過程のどの段階でも「挑戦と応戦」は行われ、その繰り返しが文明を成長させます。

文明の成長は、哲学者アンリ・ベルグソンの説く「生命の飛躍(エラン・ヴィタール elan vital)」の一種だとトインビーは考えます。「エラン」とは、生命の進化をもたらすエネルギーの表れであり、人類においては「愛の飛躍(エラン・ダムール elan d’amour)」として働き、道徳と宗教の源泉となったとベルグソンは説いています。トインビーは、この「エラン」によって、人類が利己心を超え、精神的に向上することを願いました。しかし、彼は歴史家として、自然または他の文明による「挑戦」に対して有効な「応戦」ができなかった文明は滅亡した事実を指摘しています。(註1)

トインビーは、21ないし23の文明を5つの系統と3つの世代に分け、諸文明間の空間的・時間的な影響を論じました。しかし、諸文明の関係については、十分考察ができていませんでした。これに対し、文化人類学者のフィリップ・バグビーは、諸文明を「主要文明(major civilization)」と「周辺文明(peripheral civilization)」に分けるべきだと主張しました。独立した主要な文明と、その文明の刺激を受けて発生し、これに依存し、宗教・政治制度・文字・芸術・技術等を借用する周辺文明とを区別して研究しなければならないというのです。バグビーが主要文明に数えるのは、バビロニア、エジプト、ギリシャ=ローマ、インド、シナ、近東、西洋、中米、ペルーの9文明です。他方、それぞれの文明に派生する周辺文明として、28の文明をあげています。周辺文明の特徴は、基礎的な制度の自己展開がないこと、独創性の欠如、持続性が短いこととしています。(註2) 

この批判を受けて、トインビーは、諸文明を「独立文明(independent civilization)」と「衛星文明(satellite civilization)」に区別しました。「衛星文明」とは、「独立文明」の刺激を受けて発生し、独立文明に依存し自立していない文明です。こうした区別によって、周辺文明・衛星文明の比較研究が行われるようになりました。

 次に日本文明についてですが、トインビーやバグビーは、日本文明を独立した主要な文明とはみなしていません。トインビーは当初、日本文明をシナ文明の分派、つまり本体から枝分かれした「側枝(offshoot)」とし、その後、「衛星文明」に格下げしました。バグビーは、日本文明はシナ文明の周辺文明として発生したが、その後、かなり独立性を持つにいたったと注目しています。山本新氏は、バグビーを受けて具体的に研究し、シナ文明の周辺文明として成長した日本文明は、遣唐使廃止後の9世紀末〜10世紀初め頃から相当の独立性を持ったことを強調します。ただし、周辺文明の地位のま