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■「第二の敗戦」からの復興
2001.1.24 平成10年ごろ、「第二の敗戦」という言葉が頻繁に使われた。日本はアメリカとの「日米経済戦争」に負けた。これは、大東亜戦争の敗戦に続く第二の敗戦だという意味である。 ◆「第二の敗戦」とは 平成5年(1993)、大統領に就任したクリントンは、日本を「敵国」と名指しで表現した。以来、クリントン政権は、米国資本の意志を受けて、我が国への激しい経済的・外交的攻撃をかけてきました。そして、グローバル・スタンダードという名の下に、アメリカ主軸の世界を築くための戦略をもって、「経済戦争」を展開してきた。 その約5年後、平成10年(1998)、日本はもろくも、この戦いに敗れた。当時のわが国の状態を「経済敗戦の焼け跡に再び呆然(ぼうぜん)と立ちつくすしかないかのようです」と中西輝政京大教授は述べた(『諸君!』平成10年9月号)。そこへ、欧米の金融機関が押し寄せてきた。廃業した山一証券をほぼそっくり買い取ったのは、米国の大手証券会社メリルリンチだった。このほかシティ・トラベラーズ、J・P・モルガン、GEキャピタル等といった世界指折りの実力金融会社が続々と日本上陸を果たし、日本の銀行、証券会社などを掌中に収めつつある。 この状態は、半世紀前、大東亜戦争に敗れ、焦土と化した日本に、占領軍が進駐して各所を接収した時の再現のようである。米国資本は、経済的に「焼け跡」と化した日本に乗り込み、日本人が戦後営々と築き上げてきた資産を、奪い取ってきたのである。 しかも、これはただ奪うだけではない。米国は、日本の富を吸い上げ続ける構造をつくりあげたからである。この構造を、石原慎太郎氏は「米国は日本を金融奴隷として使役しようとしている」と述べている。(『宣戦布告 NOと言える日本経済』光文社)。 かつて世界最大の債権国だったわが国は、いまや700兆円以上の負債を抱えている。この負債は、国家予算の10倍近い額である。それほどの事態となっていながら、日本人は働けば働くほど、上がりを吸い上げられる、アメリカの「金融奴隷」となっているのである。 ◆プラザ合意と超低金利政策 一体、こうなった原因は何か? 冷戦下の1980年代、ソ連の増大する軍事力が西側諸国に大きな脅威となっていた。これに対抗するため、アメリカのレーガン大統領は、強力な軍事力をつくりあげる政策を打ち立て、その経済的分担を、日本に要求した。 そして、アメリカの軍事力と日本の経済力が合体することにより、ソ連の経済を行き詰まらせ、遂に共産主義体制の崩壊を引き起こすことに成功した。共産主義の克服と世界平和の実現に向けて、日米はこうした役割を果たしたのである。 しかし、この過程は、日本にとって、日本経済が、アメリカ経済に構造的に組み込まれる過程だった。その組み込みをもたらしたものが、昭和60年(1985)9月のプラザ合意である。これによって、日本はアメリカの財政赤字を支え、アメリカは日本に支えさせることによって、繁栄し続けるという構造ができていたのである。 プラザ合意とは、日米独の協調介入で、1ドル240円台から140円台に下降させたものだった。その後、日本の公定歩合が常にアメリカより3%低い所に設定されてきた。 国際経済研究家の吉川元忠氏は、次のように述べている。 「この金利差によって、日本の生命保険会社などの機関投資家がアメリカの国債を買い、アメリカの貿易赤字と財政赤字が埋められ、ドルも買い支えられる、という構図である。この構図にしたがって、87年10月から、89年5月まで、2年3ヶ月にわたって、日本は2.5%という超低金利政策をとった。当時、GDP成長率は5%に達していた。国内経済を考えれば、金利を上げて、景気の過熱を防ぐべき所だ。しかし超低金利は放置され、過剰な資金が株や土地に向かって、空前のバブルを引き起こしたのである」(『マネー敗戦』文春新書) ◆内需拡大と市場開放 経済学者の飯田経夫氏は、次のように分析している。 「レーガノミックス以降のアメリカは、『供給力』を上回る国内需要を放置し、そのギャップを貿易赤字で埋めるという、まったく『規律』もしくは『節度』を欠くマクロ経済運営に終始していた。そしてアメリカは、みずからの経済運営を反省する代わりに、不当にも(ほんとうに、心からそう思う!)、批判の矛先を日本へ向けた。そのひとつが、日本への『内需拡大』要求であり、もうひとつが『市場開放』(のちに『規制緩和』)要求にほかならない」(『日本の反省』PHP新書) こうしたアメリカの要求に応じて、内需拡大・市場開放の大合唱が国内に沸き上がった。その中で昭和61年(1986)4月に「前川レポート」が出された。対米貿易黒字を反省し、内需拡大・市場開放に努力して、黒字減らしを行おうという趣旨である。 日本の経済力を脅威と感じていたアメリカは、日本の経済力を利用して、自国の国益を実現する仕組みを考えた。それが生み出したものが、仕掛けられたバブル経済だった。そして、バブルとその崩壊こそは、戦後日本の最大のつまづきとなった。 吉川元忠氏は次のように述べている。 「あるシンク・タンクの推定によれば、89年から92年にかけて、株式の時価総額420兆円、土地等の評価額380兆円が減少したという。この金融資産のロス、計800兆円は、国富の11.3%に相当し、第二次大戦での物的被害の対国富率、約14%にせまる数字である」(「マネー敗戦」文春新書) 「第二の敗戦」とは、単なるたとえではないのである。国富の損失と言う面をみれば、まさに敗戦に匹敵する出来事なのである。 ◆仕掛けられた経済戦争 平成元年(1989)11月、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が取り払われ、続いて平成3年(1991)までに、ソ連・東欧で共産主義政権が軒並み崩壊した。これにより、ソ連の脅威はなくなった。その後、アメリカにとって、最大の脅威となったのは、日本の経済力だった。日本の高い技術力と、強い輸出力が、アメリカ経済を圧迫していたからである。 ここに、日米の経済摩擦は、あらたな段階に入った。「日米経済戦争」が仕掛けられたのである。しかし、それは既に、昭和60年(1985)のプラザ合意の時に始まっていた。 そして、アメリカの主張する「内需拡大のよる貿易黒字削減」に従い、国内経済の安定よりも、アメリカの貿易赤字と財政赤字を埋め、ドルを支える事を優先した結果がバブルなのである。 バブルの崩壊は、日本経済に甚大な影響をもたらした。その後、日本は「平成大不況」あるいは「平成恐慌」といわれる経済危機に陥っている。そして、そこから容易に抜け出せないでいる。 「第二の敗戦」は、アメリカの戦略に乗せられ、敗れるべくして敗れた、第二の大東亜戦争だったのである。 ◆追い討ち バブルの崩壊後、容赦なく追い討ちをかけたのは、米国のヘッジファンド等の計略だった。彼等によって、韓国やASEAN諸国は、壊滅的な打撃を受けた。深刻な政情不安に陥った国もあります。これは、アジアに膨大な資本輸出をしてきた日本にとっても大打撃となった。 1990年代から急速に進展してきた情報技術革命のなかで、日本から吸い上げる冨によって、財政を支えるアメリカは、大規模な予算を投じて、IT革命を推進している。一方、日本は欧米に大きく遅れをとっている。アメリカに対し、日本は10〜20年の遅れがあるとも言われる。 かつて、日本の経済力に反発して、アメリカでは Japan
bashing が行われた。しかし、今では、Japan nothing といわれる。つまり、日本はもはや競争相手として、眼中にないような存在に成り下がっているのである。 このまま、なすすべなく過ごせば、わが国は、一層、国際社会での地位を失っていくだろう。大東亜戦争の敗北によって、日本は、軍事・食糧・エネルギーにおいて、アメリカへの従属構造に置かれた。さらに今日においては、経済・金融においても、対米従属構造に、ほぼ完全に組み込まれつつある。 ◆日本精神の復興を この「歴史的敗北」から日本を立て直し、巻き返すためには、どうすべきか。 抜本的な改革が必要であることは、明らかである。行政改革、財政改革など、なすべき課題は、とうに出ている。しかし、そうした改革計画は、骨抜きにされ、容易に進まない。 求められるのは、改革を強力に推し進める指導力、リーダーシップである。そして、日本を復興しようという国民の意志である。指導者と国民が、一致団結しなければ、復興は実現できないだろう。 アメリカ人で日本で事業を行っているビル・トッテン氏は、次のように述べている。 「究極の疑問は、日本経済が自国の企業や国民のためにあるのか、それとも外国の、特に米国の経営者や政府のためにあるのかということである。日本はこれまで自国の国粋主義の再燃を慎重に避けてきたが、現実は米国主導の国粋的な世界金融秩序の波に飲み込まれることになったのではないだろうか」 国際社会において、自国の主張を述べ、自国の国益を追求できない、戦後日本人の意識のあり方が、日本の「第二の敗戦」をもたらしたのである。その背景には、戦後日本の制度・機構の問題がある。戦後体制を支える二つの柱は、日本国憲法と東京裁判史観である。つまり、大東亜戦争の敗戦によって、占領期にかせられた憲法と歴史観が、「第二の敗戦」をもたらしたのである。これら二つこそ、私たちが克服すべきターゲットである。そして、一個の独立国として、国家と国民の意識を回復することが必要である。それなくしては、アメリカをはじめ、他のまっとうな国々に伍していくことはできないのである。まして、かつては「後進国」と呼ばれていた国々が、急速な勢いで経済発展をしてきている。いまや世界は大競争時代といわれているのである。 日本再生のためには、精神面からの改革が必要である。そのためには、戦後失われている日本精神を取り戻すことが必要である。国民が日本精神を取り戻すことなくして、制度・機構の改革は推進できないのである。 日本人が日本精神を取り戻すこと、それが最も必要だと思う。 (ページの頭へ) |
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■国家破産の危機と日本再生の道
2005.6.16 ◆アメリカによる日本改造とは 大東亜戦争の時、わが国はミッドウェー海戦で惨敗して以降、戦局は悪化していく一方だった。ガダルカナル、マリアナ、レイテと負け続け、サイパン、硫黄島、沖縄までが落ちた。B29による本土空襲は、首都東京を始め60余りの都市に及んだ。それなのに、政府は虚偽の大本営発表を繰り返し、事実を国民に伝えなかった。国民は実態を知らないまま、かつてない敗戦を迎えた。 ◆日本の国家破産の危機 日本は世界最大の債権国である。アメリカ国債を約1兆ドル(1ドル=100円として約100兆円)保有している。民間も含めると2〜3兆ドルになっているとも見られる。総額430兆円になるという推算もある。もっともこれは実際には、売ることのできないものである。売却すれば莫大な為替差損を計上しなければならない。またドルを売ることゆえ、円高を促進してしまう。それゆえ米国債は、事実上、売ることのできない永久債である。回収不能の不良債権と同じである。米国債を買わされてきたことは、わが国の財政を圧迫する一要因である。現在も、政府・民間を合わせて年間20兆円ほどが、米国債の購入に当てられているという見方もある。 ◆国家破産は、滅亡ではない 経済評論家の森木亮氏は、「国家破産は、そのまま日本の破滅 ruin ではない」と述べている。国家経済が破産しても、日本民族が滅亡するわけではない。国家破産は、旧ソ連、アルゼンチン・韓国などにも前例がある。これらの国は、それぞれの仕方で経済の復興を行ってきた。日本の場合も、やむを得ず国家破産となってしまった場合は、3流国に転落するだろうが、そこからやり直すことになるだろう。
日本精神の一端として、わが国には「百姓」と書いて「おおみたから(大御宝)」と読み、人民を大切にして仁政に努める伝統がある。いま最も学ぶべきものは、こうした伝統に基づき、為政者として「修身斉家治国平天下」を実践することだと思う。まさにそれを実践したのが、上杉鷹山だった。彼を模範とするような真の改革者が現れ、国民が痛みを分かち合い、私利を捨てて助け合えば、日本の再生は可能だと思う。 日本の破産は、世界の経済に悪影響を与え、諸国の人々の生活にも迷惑を及ぼすものとなることも考えなければならない。破産後、もし混迷が続けば、それが長引くことになるだろう。日本人が自国をしっかり建て直し、国際社会における役割を果たすことは、世界人類への貢献にもなる。このことは、各自が個人レベルで仕事やボランティア活動で行うこととは別に、日本人が国民の一員として考えるべき課題なのである。 ◆日本経済を再建するには 日本は、このままでは国家破産となることが避けがたい。では、具体的にどうすればよいのか。 第二に、「国債削減法」の導入である。@長期政府債務残高の対GDP比を、現在の151.2%から60%以下に抑える、A財政赤字の対GDP比を、現在の6.1%から3%以下とする、B赤字国債は60年償還をやめ、最長3年で償還する、C建設国債は最長30年で償還するという方法である。 財政法と憲法に関して補足すると、財政法の第4条1項には、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と定められている。 上記の四つの方策以外にも、いろいろな方策が考えられるだろう。どんな方策も、問題は実行するかどうかである。もし日本人が従来のように、自主的に改革を行わないまま、推移した場合はどうなるか。早晩、日本は国家破産に立ち至るだろう。その時には、世界の金融を管理しているIMFが乗り込んでくる可能性が高い。IMFによる管理は、日本の再占領である。かつてのGHQがIMFに代わったようなものだ。日本全体をアメリカ型社会に改造する改革が、現在行われているより、もっと徹底的に断行される。日本の伝統や文化を考慮せず、アメリカ的な自由主義・個人主義の原理を押し付け、自由競争・市場万能・訴訟本位の社会に変えようとするに違いない。 ここで少し補足すると、私は、経済の問題を含めて、現在の日本のもろもろの危機は、すべて精神の問題に帰着すると考えており、制度的には憲法と教育基本法の改正を最優先課題と考えている。憲法と教育基本法に、日本の国柄や伝統に関することを盛り込み、国民の愛国心・公徳心の回復を進めることが、極めて重要だと思う。 ◆財政の「破局」を避けるために 産経新聞は、平成17年6月7日朝刊の一面と社説(「主張」)に、財政問題について掲載した。特に「主張」の「財政再建 自立なければ破局が待つ」という題名は、国民に財政危機の深刻さと取り組みの急務を訴えるものである。 (ページの頭へ)
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関岡英之著『拒否できない日本――アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書、平成16年4月刊) ・藤井厳喜著『国家破産以後の世界』(光文社、平成16年12月刊) |
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■ODAは徹底的に見直すべき
2005.6.16 ODA(政府開発援助)とは、政府や関係機関が発展途上国の経済発展や福祉向上などを目的に提供する資金や技術援助のことである。不況と財政危機のなかで、近年ODAの見直しがされてきている。 中国へのODAは、円借款だけで累計約3兆円。第三機関を通した援助も加えると、軽く6兆円を突破し、10兆円ほどになるとも見られる。確かに外務省のいうように、「経済発展に貢献」してはいる。中国は世界一の年間成長率での高度成長を続け、「世界の工場」といわれるほどになった。 (ページの頭へ) |
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■郵政民営化より財政の根本的立て直しを
2005.6.15 ◆郵政民営化の強行は危険である 小泉純一郎氏が首相になる前年、平成12年に、あるシンポジウムで郵政民営化論について氏の持論を聴いた。それによると、論拠は3点である。@全国に宅急便が行き渡っているから、郵便は民間に任せても大丈夫、A郵便貯金が民間の金融機関を圧迫している、B郵貯の巨額の金が財政投融資に回って問題を起こしている。この3つである。問題解決には財投のあり方を抜本的に見直す必要があり、それには郵政を民営化しなければならないというのが、小泉氏の主張であった。 ◆米国は郵便を民営化してない 郵政民営化論は、民間で出来ることは民間へ任せる、官業が民業を圧迫してはならない、だから郵政公社を株式会社にすべしという思想に基づく。これは、市場万能・自由競争至上主義の考え方である。わが国は、いよいよこのアメリカ流の考えの構造改革を本格的に進めようとしている。その一大焦点となっているのが、郵政改革である。 ◆郵便貯金が狙われている 郵政改革で最大の問題は、金融部門である。郵便貯金は、全国各地にある郵便局の窓口で預けられる。少額でできる簡易で安全な貯蓄手段となっている。元利払いを国が保証していたから、金が集まった。簡易保険も同様の理由で人気があり、簡保に預けられている保険金は、国内の保険会社の合計額にほぼ匹敵する。かくして、日本の国民の個人金融資産1400兆円のうち、約4分の1が、郵貯と簡保に預けられている。郵貯が228兆円、簡保が117兆円、合計で345兆円である。 ◆民営化に米国保険業界の要望あり 簡保に預けられている保険金は、国内の保険会社の合計額にほぼ匹敵する。この大切な財産に、アメリカが目をつけている。 ◆安易な郵政民営化はやめ、財政再建を 小泉―竹中政権になって以来、アメリカの要望が、ほとんどそのまま日本政府によって実行されるようになっている。日本政府は米国政府の出先機関かと見まがうばかりである。国の指導者が進んで、アメリカに日本を身売りするかのような、おかしな政策を行っている。
今こそ日本人は日本精神を取り戻し、日本再生に立ち上がらねばならない。 参考資料
・関岡英之著『国民が知らない米公式文書「年次改革要望書」「外国貿易障壁報告書」の驚くべき内容』(月刊『正論』平成16年10月号) ・森木亮著『2008年 IMF占領』(光文社) (ページの頭へ) |
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■国家と国益を考える
2005.9.14 国益を考えない国家・国民は、衰退する。戦後日本人は、戦後の日本弱体化政策の結果、国家観念を喪失し、国益を考えない人が増えている。このままでは、日本は沈没する。日本の再生のために、国益について考えてみたい。 ◆国家・国益とは何か
政府は指導者と、その指導者を支え、意思決定したこと(政策)を実行する組織によって構成される。国民には多数の構成員が存在する。理想的には、その構成員の意思が一致していることが望ましいが、現実には、さまざまな意見や利害の相違がある。それゆえ、指導者は、国民の多数にとって利益にかなうように、意思を決定また実行しなければならない。指導者は、国家と国民の利益を常に考えて、政治を行わねばならない。(註1) ところで、ここにいう国益とは、現在の世代だけではなく、先祖や子孫の世代をも含めた国民の利益である。私は、国益というものを、こうした歴史的な総国民の幸福ということから考えている。上記の生命的・経済的・精神的価値は、祖先が願ったことであり、我々が自らのため、また子孫のために努力しているところ、子孫もまた求め続けることであとう。特に精神的な価値を補足すると、日本国民に生まれたことへの誇り、先祖への感謝、子孫への希望を持てること、それらも私は国民の幸福追求に欠かせないものであり、国益の要素だと思う。その点から、日本人が、歴史を独自に解釈し教育する権利、英霊の名誉を顕彰し自らの伝統に従って慰霊する権利なども、国益の一部だと私は考える。国益とは、単に領土の保全・拡張や、経済的権益の維持・拡大等といったものだけではないと思うわけである。 註 (1)主権について補足する。 国家の持つ権利は、主権と呼ばれる。主権には、三つの意味がある。(1)国家固有の統治権、(2)国権の最高性、(3)国権の最高機関である。 主権という概念は「最高の力」という概念を核としている。自己の意思を自由意志に基づいて決定し、その意思を心理的・物理的に強制することのできる、国内的・対外的に最高の「力」(実力 powerにして能力 ability)である。それゆえ、このような「力」の裏づけのないものを、主権というのは、概念の自己矛盾になる。
また、力の担保なしには、国内的にも対外的にも、国益は追及できない。法という言葉による取り決めは、力の裏づけを要し、外交という言葉のやり取りも、力の裏づけを要する。いざというときには、力で意思を強制できるという担保を持ちつつ、いかに対話によって、相互の意思の合成を行うかが、政治であり外交である。また、その「力」の担い手は、ほかの誰でもなく、国民自身であって、それが近代国民国家の基本原理である。この原理を実現していない国は、主権を持たないか制限されている国家であり、事実上の属国である。
わが国は、憲法に国防の義務、国家忠誠の義務を定めていないことにより、近代国民国家に不可欠の「力」の裏づけに欠陥を持ち、その結果、対外的な国益(領土・歴史・慰霊等)を守ることができないままでいる。
そこで、国益ということを、国家・国民とは何か、国民は国益のため、国民みなの幸福のために、何をなすべきかという観点から考えてみたいと思うわけである。 ◆国民意識を高めよう 国家は、政治的・文化的・歴史的な共同体である。わが国に比べ、世界には多言語、多人種、多文化、多宗教等の国が多く、国家の構成は一様ではない。そうした多様な要素を持つ国民を、一つの国民へと形成するのは、国民の意識である。 註 (2)デモクラシーについて補足する。 デモクラシーとは、「民衆が政治権力に参加する制度」である。民衆が一応国政に参加できる仕組み、議会なり選挙なりの形式さえあれば、どういう政体でもデモクラシーといえる。君主制のイギリスも、共和政のアメリカも、民主集中制実は共産党官僚独裁の旧ソ連も、かの北朝鮮でさえ、みなデモクラシーを自称できる。また、経済的には、資本主義であれ社会主義であれ、自由経済でも統制経済でも計画経済でも、デモクラシーを自称できる。それゆえ、デモクラシーというだけでは大して価値はない。デモクラシーを真に価値あるものにするには、国民の努力が必要である。 ◆個人と企業と国家と 国益を考えるために、個人の利益を「個益」、企業の利益を「社益」と呼ぶことにする。聴きなれない言葉だが、便宜のために使わせていただく。 ◆国益を考えてこそ国民 わが国に比べて、アメリカではどうか。
(2)郵政民営化については、以下の拙論をご参照下さい。 |
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■だれのための司法改革かーー裁判員制度の問題点
2005.6.15 ◆司法制度改革も米国の要望 アメリカは、徹底的に日本のことを調べている。日本の政治・経済・社会・文化を研究し尽くしたうえで、日本の改造を要求してきている。司法制度の改革もまた、アメリカの要望にそって進められているものだ。以下は、関岡英之氏は名著「拒否できない日本」(文春新書)に負うところが大きい。 ◆裁判員制度が始まる 近年わが国では、アメリカによる日本改造の一環として、司法制度改革が進められている。平成13年から弁護士法が改正されて、法律事務所の法人化、弁護士業務の自由化が行われている。また、平成15年に裁判迅速化法が成立、16年には法科大学院が開校し、裁判員法が成立した。私は法律の専門家ではなく、ただの素人である。しかし、国民生活や国の運命に関わることには、黙していられない。 ◆だれが裁判員制度を推進したか 現在進められている司法制度改革には、裁判の迅速化、法曹人口の増加、裁判員制度の導入という三つの柱がある。裁判の迅速化と法曹人口の増大は、アメリカの要望に応じたものだ。司法制度改革は、アメリカによる日本改造の一環なのである。しかし、裁判員制度の導入については、アメリカは一言も要望していない。アメリカの圧力に便乗して裁判員制度の実現を推進したのは、日本の左翼や人権派だと思われる。 本年(平成17年)4月16日に内閣府が発表した世論調査の結果によると、裁判員制度について7割が「参加したくない」と回答した。これを「7割ショック」という。法務省だけでなく、最高裁や日弁連でも、これほど消極的な回答が多いことに、ショックを受けているらしい。 裁判とは「人が人を裁く」ものである。日本人の多くは、他人を裁いたり、重い刑は科したりしたくないだろう。「罪を憎んで、人を憎まず」の国民性である。素人の判断では、有罪であるべきものが無罪になったり、または量刑を軽くして甘くしまうということが起こりうる。裁判員が担当するのは重大犯罪だけというが、殺人の容疑者には政治犯や思想犯もいるわけで、過激派やテロリストの活動を助長するおそれもあると思う。 裁判員制度の実現においては、さらに大きな問題は、実質的に実現を推進したのは誰か、その目的は何かということにある。 しかし、アメリカの方はもっとしたたかである。自らの要望を実現するためには、日本の左翼・人権派の意思を容認したのだろう。裁判員が刑事事件の一部を扱うだけなら、アメリカにはマイナスはない。もし裁判員が日米の企業間・国家間の利害を争う裁判まで担当するのなら、外資には不利になる。外資に反発する国民感情が判断に入ってくるだろうからである。 裁判員制度を推進した左翼や人権派は、自分たちの背後から、アメリカがそっくり日本を管理しようとしていることには、気づいていないのだろう。もし気づいたなら、日本人として国家について、また国益について、真剣に考えざるを得なくなるだろう。 (ページの頭へ) |
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