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平成17年9月11日、日本の岐路となるだろう衆議院選挙が行われた。結果は自民党の歴史的大勝、民主党の壊滅的惨敗となった。その中で、日本の伝統を尊重する保守系の議員の多数が自民党から公認を得られず、またそのうち約半数が議席を失った。自民党と公明党の選挙協力はかつてないほどに深まり、自公の一体化が進んだ選挙でもあった。今後、自公が一層融合していくのか、それとも数を得た自民党が公明党と決別するときが来るのか、注目されるところである。 衆議院で絶対安定多数を得た自公連立政権は、これからさまざまな「改革」を進めるだろう。参議院はこれに概ね同調するだろう。郵政民営化の次は、憲法改正が焦点となるだろう。 しかし、私はどのような改革も、日本人が自らの伝統的な精神を取り戻し、「日本精神」を発揮することなくして、成功しないと見ている。そのような考えのもとに、これからも日本の舵取りを担う「保守」について検討してみたい。
私の見方は、文明論的な観点に基づく。文明論的とは、幕末における西洋列強との遭遇、今日における中国・コリアとの軋轢等を、文明間の問題としてとらえる見方である。この観点をしっかり持っていないと、日本の「保守」は、日本人本来の精神に基づく「保守」でなくなり、アメリカ・中国・コリアの圧力に右往左往し、従米・媚中・阿朝の「変造」を「改革」と偽るものとなる。それは、日本のためにも世界のためにもならない。私はそのように考えている。 そこで、日本的な「保守」について、右翼・左翼、進歩・革新・リベラルと対比して整理し、その役割と課題を明らかにしたい。 |
第1章 「右翼」「左翼」とは何か
だが、中国共産党は自民党のことを「右翼」と呼ぶ。「右翼反動勢力」とも言う。「新しい歴史教科書をつくる会」などは、「極右翼」だという。逆にわが国から見れば、中国共産党は左翼であり、国内の左翼以上の「極左翼」である。
ジャコバン党が暴力革命を推進し、煽動された民衆は王政を倒して、共和制を実現した。急進的な共和主義の中から、社会主義が登場した。社会主義は、1848年の二月革命において、世界史の表舞台に登場した。その中に、革命によって「コンミューン(共同体)」をめざす共産主義の思想があった。中心となったのが、マルクス=エンゲルスである。同年同月、「共産党宣言」が出され、マルクス主義的共産主義が、以後の「左翼」の中心となっていく。
右翼と左翼の関係は、左翼の視点から論じられることが多い。左翼は、既存の体制を変革しようとする。フランス革命を肯定し、共和主義を推進し、社会主義・共産主義を実現しようという思想である。これに対抗する右翼は、「進歩(progressive)」に対する「保守(conservative)」、「急進(radical)」に対する「漸進(gradual)」、「革命(revolutionary)」に対する「反動(reactive)」だとされる。ここには、「進歩」「急進」「革命」は良いもの、右翼は改革に対する反対派という価値判断が入っているわけだ。
ところが、自由の拡大を進歩的と考える立場から見れば、左翼のいう「進歩的」は、逆に自由の後退であり、自由への障害である。結果の平等より、機会の平等こそ尊重されるべきだとする。また、人間の精神的向上を進歩的と考える立場から見れば、唯物論は、精神の退化であり、精神への抑圧である。20世紀以降、共産主義によって命を失った犠牲者は、1億人とも推算されている。(註1)
次章では、その「保守」の由来について述べたい。 註 (1)共産主義については、以下の項目をご参照ください。 「共産主義」 |
第2章 保守主義の源流
フランス革命は、右翼・左翼を生み出しただけではない。「保守」を西欧に生み出した。「保守」とは、フランス革命に対抗するため、イギリスに現れた政治的態度である。フランスの急進的・暴力的な共和主義から、イギリス自生の君主制議会政治を守ろうとしたのが、西欧の「保守」の始めである。
(1)私の日本文明論は、以下の拙稿をご参照のこと。 (2)私の近代文明論は、以下の拙稿をご参照のこと。 「心の近代化と新しい精神文化の興隆」 |
第3章 日本的な「保守」と西欧の「保守」
西欧の保守主義の根底には、フランス革命への対抗がある。その対抗の結果として、西欧には君主制を維持し、共和制をとっていない国々がある。イギリスをはじめ、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ベルギー等である。 註 (1)日本精神については、以下をご参照下さい。 「基調」 |
第4章 「保守」と「進歩」「革新」の違い
イギリスでは、19世紀中ごろから、「保守(conservative)」に対して、「進歩(progressive)」が現れる。産業資本主義の発達によって、貧富の格差が拡がり、社会的矛盾が増大した。そこで、これまでの自由競争的な自由主義を修正し、社会改良を行っていくという考えが「進歩」である。社会主義の主張も理解しつつ、議会を通じて漸進的に社会政策を進めていこうという思想である。代表的なのは、ジョン・スチュアート・ミルである。
イギリスの歴史と伝統を踏まえて進むという点では、「保守」も「進歩=リベラル」も同じである。右翼・左翼という分け方で言えば、「保守」も「進歩=リベラル」も右翼である。社会主義・共産主義に反対し、資本主義・自由主義を維持しようとするからである。同時代のマルクス=エンゲルスの側からは、「革命」に対する「反動」ということになる。
わが国は、西洋諸国の圧倒的な軍事力・技術力・経済力に直面し、征服・支配の危機に陥った。この時、有色人種諸民族を殺戮・搾取していた者こそ、列強の「保守」であり「進歩」であった。「左翼」もまたその恩恵を受けて生活していた。白人種の「右翼」も「左翼」も、大陸間にわたる帝国の中枢部における内部対立である。西洋文明の非西洋文明への支配構造が構築されていた。
最も典型的なのは、昭和戦後期にわが国の論壇をリードした「進歩的文化人」である。彼らは、近代主義者・欧化主義者であり、またその多くは「左翼」に同調していた。代表的なのは、横田喜三郎、大塚久雄、丸山真男、大内兵衛らである。
昭和30年(1955)に社会党の右派・左派が統合され、日本社会党が再発足した。これに対抗するため、自由党と日本民主党の保守合同が行われ、自由民主党が誕生した。その結果、「55年体制」といわれる自民党と社会党の対立構図が出来上がった。これは、米ソ冷戦に対応した国内の構図だった。この時、右翼・左翼という用語を使うならば、自民党が右翼、社会党が左翼になる。しかし、右翼という言葉を避け、自民党は自らを「保守」と称した。
戦後日本の「保守」の本来の姿は、日本文明の固有の伝統・文化・国柄を保ち、皇室制度を護持し、自由主義・デモクラシー・資本主義を守ることを特徴とする。
この「革新的」な右翼は、ロシア革命後、日本に浸透した「左翼」に対抗して出現した。共産革命を防ぎつつ国家総力戦時代に対応するため、強力な国家統制体制を構築しようとする。北一輝らの影響を受けた青年将校を「革新将校」と呼び、ナチスやソ連の影響を受け軍部と結びついた企画院を中心とする官僚を「革新官僚」と呼んだ。日本主義的な「観念右翼」に対し、ドイツ模倣的な「革新右翼」という使い方もあった。
しかし、日本を愛する人々は、政治家や学者・評論家の中には今日、もともと「リベラル」だったような装いをしているが、かつては社会主義・共産主義を信奉する「革新=左翼」だった者がいることを忘れてはならない。 かつてソ連に追従していた者が、いまは中国やコリアとの連帯を説いている。そこに無いのは、日本である。日本精神を喪失して、大陸の抗日・反日を代行するような倒錯に陥っている。そうした人々には、是非、幕末からのわが国の歩みを、文明論的な観点から見直してもらいたいと思う。 |
第5章 「保守」と「リベラル」の違い
「保守」と「リベラル」の違いとは何か。「保守」は変化を嫌い、頭が古いタカ派の人、「リベラル」は進歩的で民主的なハト派の人。この程度のイメージの人が多いのではないか。一体、その違いは何か。 この「リベラル」は古典型と修正型の両方にまたがっており、国権抑制・自由競争的と社会改良・弱者救済的という本来異なった考え方が、一つの政党の中に共存している。それは、もともとわが国には、日本的な「共同体主義(コミュニタリアニズム)」とでも称すべき伝統があるからである。 今日、自民党の主導権を握っている小泉首相・竹中大臣の基本思想は、アメリカ流の自由主義的な新保守主義だと思う。そこには、わが国の戦後の「保守」が持っていた日本文明の固有性を守ろうという姿勢、個人より家族・共同体を尊重し、自由競走を基本としつつも弱者救済を配慮するといった態度が見失われている。 先ほど触れた日本的な「共同体主義」とは、個人の利益より、家族や地域社会等、共同体全体の利益を優先する生き方である。これは、近代西洋の個人主義に基づく自由主義とは、大きく異なっている。このわが国の伝統的な社会思想には、利己的個人主義の弊害を除くために社会改良や弱者救済を行う「リベラル」(修正的自由主義)とは多少通じる部分があると思われる。また、J・S・ミルを継承した、トマス・ヒル・グリーンが説いた「すべての人の人格の成長」を社会の理想とする理想主義的自由主義とは、より多く通じる点があると思う。しかし、いずれにせよ根本的な違いは、個人を価値の中心に置くか、共同体を価値の中心に置くかという原理的な違いである。これは、伝統・文化・国柄の違いによる。わが国には、天皇と国民が親子の情で結ばれ、祖先祭祀をともにしてきた歴史があるからである。 |
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(2)明治末期から戦後まで 日露戦争という存亡の危機を乗り越えたわが国は、立憲君主制議会政治を進めた。これが「憲政」として定着し、大正期には「民本主義」を説く吉野作造らを中心に「大正デモクラシー」が発達した。 |