cafe-BOTANICA [α]・・・地球温暖化---new


知っているようで知らない・・・・

 生物に関する身近な話題を取り上げて
小学校の同級生佐藤八十八(元大学教授)さんに語って頂きます 
 

地球温暖化問題〜3  2008/9/3

  この春ごろから、マスコミで取り上げられる地球温暖化に対する批判がポツポツと出始めるようになりました。この問題に対するマスコミの扱いが余りにも扇情的であることへの批判が、市民側にあるからではないでしょうか? 地球温暖化問題は、今期サミットの主要テーマとなっていたことでもあり政治問題化してはおります。しかし、これとてサミットの時にあわせてのみ、ライトアップしていたものを消灯して済ませていたのでは、まさにお茶を濁すような事態です。これが我が国での地球温暖化問題に対する取り組みの象徴でなければいいのですが。
市民側の批判の例を挙げて起きます。毎日新聞朝刊には仲畑流万能川柳という欄があります。それに載っていたものの中から2つ紹介しておきます。
     木を切ってコーン作ってエコ語る(4月16日)
     エコを説く四駆でやって来た人が(4月28日)
  マスコミの扱い方は別として、地球の温暖化は私達にとって重大な問題であることには、違いありません。しかし、前にも述べたように、この問題はヒステリックになったり、情動的になったりしても解決しないでしょう。あるいは、また、経済優先や生活優先に行動しては、悪化させるのみでしょう。この問題を考える時にもう少しお伝えしておいた方がいいと思われる事柄がありますので、それについて述べてゆきます。

大気中の二酸化炭素

  大気中の二酸化炭素の濃度は、大気の中へ放出される二酸化炭素と大気の中から吸収される二酸化炭素と量のバランスで決まってきます。今マスコミが問題視しているのは、過去に固定され地下に埋蔵されていた二酸化炭素(石油、石炭)を、人間が掘り出しそれを大量に燃焼させているからです。これを抑制することは、つまりは、排出規制ですが、これは人間の活動、換言すれば経済的豊かさと密接に関係しています。それ故、困難な過程を辿っています。
  緑色植物は、周知のように、大気中の二酸化炭素の調節に重要な役割を担っています。大気中の二酸化炭素を吸収して有機物としているのです(これを炭酸固定といいます)。これが、大気中の二酸化炭素を減らす唯一の反応です。大気中の二酸化炭素を固定するには、エネルギーが必要です。緑色植物はこの反応のエネルギー源として光を利用しますので、光合成としてよく知られています。

植物の役割

  植物という表現は正確さを欠く言い方ですが、一般によく定着しております。植物という言葉から連想されることは、「緑」です。光のエネルギーを生物が利用できるエネルギーに変換するのに最初に役割を果たす物質が、緑の素である葉緑素(クロロフィル)です。葉緑素には、様々な種類がありますが、最も大切な葉緑素(クロロフィル)は、クロロフィル a です。光合成をする生物は、全てクロロフィル a を持っています。クロロフィル aがなければ、光エネルギーを利用する事が出来ません。陸上の緑色植物は、クロロフィル aの他にクロロフィル bを持っており、その他の色素の助けを借りて、二酸化炭素を固定しています。
  生物の分け方は、幾通りかのやり方がありますが、有機物を自前で作り出すことができるか否かという観点で生物を分けると、自前で作り出せるもの(独立栄養生物)と自前で作り出せることができないもの(従属栄養生物)となります。緑色植物は、無論、独立栄養生物です。その他の生物、人も含めて、は全て従属栄養生物です。
  緑色植物は大気中の二酸化炭素を有機物化(固定)し、さらに土壌中の様々な無機物を使って生命維持に必要な全ての物質を自前で作り出すことができます。これがこの地球上での命の連鎖の始まりですので、これを生産者と生態学では呼んでいます。従属栄養生物には、消費者と呼ばれるものと分解者と呼ばれるものとがあります。
  植物は、地球上での炭素の循環の始まりという非常に大切な部分を担っているのですが、それだけではありません。地球上のあらゆる物質が循環的に利用されています。生物にとって大切な元素で言えば、水素、酸素、窒素などです。物質として言えば、水、酸素ガス、窒素ガスなどです。これらの物質、あるいは元素が全て循環的に利用されています。たとえば、植物が根から吸い上げた水は、葉から大気中に放出されます。これを蒸散と呼んでいますが、蒸散がなければ、私達にとっての恵みの水は生まれません。
  窒素分の利用も、また、私達にとってきわめて大事なことです。窒素固定細菌の働きで固定された大気中の窒素ガスが、様々な細菌の働きによって、植物が利用できる窒素成分となり(これを硝化作用といいます)、アミノ酸、タンパク質となって各生物に利用されています。

植物は飢えているか

  光合成に必要な条件は、光、水、二酸化炭素、適切な温度です。これらの条件のどれかが低く抑えられれば、全体の光合成は抑制されます。植物が光を求めて伸びてゆく事はよく知られていますが、それは光合成を行うために夫々の植物にとって最適は光条件を求めていることに他なりません。つまり、植物は、光に飢えているのです。
  水(H2O)がなければ、植物に限らず生き物は全て活動を停止するか死にますので、曲がりなりにも光合成が行われているなら、水は十分に供給されていることになります。生育温度は、植物に限らず、全ての生物にとって、重要な要件ですが、これには長年月かけてそれなりに適応して過ごしています。 
  生物の世界では、大気中の二酸化炭素は光合成によって吸収され、呼吸によって大気の中に戻されていることになります。二酸化炭素を大気の中に戻すのに最も大きな役割を果たしている生き物は、土壌中の微生物と言うことです。生物界では、これによって、大気中の二酸化炭素の濃度が一定に保たれています。その濃度は、0.03%とされています。いまでも、この値は変化していないでしょう。今問題視されている大気中の二酸化炭素の濃度は、小数点3桁目のことです。大気中のこの0.03%という値は、光合成を行う緑色植物にとって、十分な二酸化炭素に当たるかというと、そうではありません。研究室での実験では、光が十分ならば植物は少なくともこの3倍の二酸化炭素濃度で満足するという結果が得られています。つまり、植物は、二酸化炭素にも飢えているのです。

地球温暖化問題〜2

地球温暖化問題で、マスコミが取り上げているのは、「人間が排出する二酸化炭素(CO2、炭酸ガス)が地球温暖化の元凶である」という論調です。確かに、この一世紀ほどの間に地球が温暖化したのは過去のデーターを見れば明らかでしょう。また、私のとった甚だ不確定なデーターからもそれは頷けますし、冬枯れという情景が関東以西では見られなくなったことからも生活実感としても捉える事が出来ます。
大気中の二酸化炭素濃度が増加してきていることも事実でしょう。その大気中の二酸化炭素濃度の上昇に、産業革命に伴うエネルギー消費、つまりは人間活動、が深く関わっていることも事実でしょう。そしてまた、二酸化炭素が温室効果を及ぼす気体であることも事実です。しかし、それでも疑問が残ります。それは、「人間が排出する二酸化炭素(CO2、炭酸ガス)が地球温暖化の元凶である」という因果関係の捉え方にあります。

因果関係

地球は、氷河期と比較的温暖な時期(間氷期)とを繰り返しながら、長い歴史を刻んできています。それから見ると、現在の地球は、間氷期のま只中です。温暖な気候ゆえに、人間がぬくぬくと繁茂していられるのでしょう。氷河期は、全ての生物の生存にとって極めて厳しい状況です。現在の人口も極端に減るに違いありません。現在の地球が間氷期のま只中であるなら、「一定程度の」地球温暖化はいたし方のないことであるといえます。この「一定程度の」地球温暖化と大気中の二酸化炭素濃度とが関係しています。
  二酸化炭素(CO2、炭酸ガス)は、酸性のガスです。水によく溶けます。酸性とかアルカリ性という言葉は日常的にもよく使われます。たとえば、「血液が酸性に傾くと体に色々な障害を生じるため、アルカリ性に保つためにアルカリ性食品をしっかり摂取することが必要だ」などといいます。酸性やアルカリ性を決める基準は水です。酸性とかアルカリ性をもっと一般的表現するには、pHという表示を使います。理論的に判定した水のpHが7で、この値より小さな値を酸性、大きな値をアルカリ性といいます。
な方法を使って、水道水をより純粋にします。これを純水と呼んでいます。本来なら、この純水のpHは7(中性)のはずですが、磨き上げ綺麗にした純水のpHは、決して、7ではなく、弱酸性を示します。それは、直ぐに二酸化炭素が溶け込むからです。このように二酸化炭素はみずによく溶け込みますが、二酸化炭素は酸性のガスのため、アルカリ性の溶液には一層よく溶けこみます。一方、一定の圧力の下では、二酸化炭素の液体に対する溶解度は、温度が高くなればなるほど低くなります。従って、0度近くの水と40度近くの水とでは、0度近くの水のほうがより多くの二酸化炭素を溶かし込んでいるのです。従って、水温が上がれば、液体に溶けている二酸化炭素は少なくなり、少なくなった分は大気中へと放出されるのです。
地球は、水の惑星といわれるほど、多くの水をたたえています。その水の大部分(98%近く)が海です。私達は飲料水として利用できる水は、地球全体の水分の0.1%以下であるという算定もあります。地球にある水のほとんどを蓄えている海は、弱アルカリ性ですので、多量の二酸化炭素を溶かし込んでいることになります。この大海の温度が上がれば、結果として当然大気中の二酸化炭素濃度は高くなります。つまり、何らかの理由で、地球の温度が上がり、それに連れて海の温度が上昇し、その結果大気中の二酸化炭素濃度が高まっている事が十分に考えられるのです。
こういうことをまず抑えておいて、地球温暖化問題を議論しなければならないと思うのです。現在の地球の温暖化と大気中の二酸化炭素濃度の上昇との因果関係について、ヒステリックにならずにもっとよく調査する必要があるのではないかと思うのです。それでも、人間が排出する二酸化炭素を減らさねばなりませんが、確かな証拠の上に立って、冷静な議論を巻き起こさねばならないのではないでしょうか。
今後、その点についていくつかの観点から、考えてみたいのです。

地球温暖化 (その1−序)

社会保険庁、国交省、防衛省を始め高級官吏の自堕落な腐敗振りが大きな話題になっていますが、健康に関することと地球温暖化問題もマスコミを賑わせています。官吏や政治化の腐敗に関する報道は、痒いところに手が届かないという感じの苛立ちを持つのは、決して、私一人ではないでしょう。健康に関するマスコミ報道も適切を欠いているという気持ちが抑えきれません。たとえば、ある日(3月29日)の毎日新聞の健康に関する記事には、「最近では、その名を知られるようになったプロバイオティクス(腸内細菌のバランスを改善することで人に有益な作用をもたらす生きた微生物)といわれる乳酸菌は、腸内の細菌のバランスの改善を通じて免疫力を上げる働きをする。実は免疫細胞の半分以上が小腸に集まり、異物などを撃退する抗体の多くは小腸で作られる。」と書いてありました。この記事が、どうもよく分からないのです。
免疫というのは、読んで字のごとく、疫病を免れるために私達の様な動物に備わったシステムですので、本来は広い意味を持つものですが、通常免疫といえば、外から「体内」に入ってきた異物を「非自己」と認識して、排除する巧みな仕組みをさします。一般に、私達は自分のおなかは体のうちと考えていますが、腸内に住んでいる細菌(腸内細菌)は、腸管の中が「体の外」であるから、住み着く事が出来ます。もしも、他の生き物である細菌が「体内」に入ってきた場合は、免疫の対象となり排除されるか、私達のからだがそれに犯されます。その腸内細菌のバランスが「体内」の免疫力の増加に、たとえ、役割を果たすとしても、それは、2次的3次的効果であって、直接に「免疫力を上げる働きをする」とは考えにくいのです。
 また、「実は免疫細胞の半分以上が小腸に集まり」というのが本当だとしても、「異物などを撃退する抗体の多くは小腸で作られる。」というのは大変誤解を招く表現です。免疫を担当する細胞はリンパ球で、抗体を作り出すリンパ球をB細胞と呼んでいます。腹部には腹水というものがあるので、リンパ球が多く、したがってB細胞も多いのかもしれません。それなら、抗体の生成は腹部で多くなることになりますが、「小腸で作られる」訳ではありません。「異物などを撃退する抗体の多くは小腸で作られる。」と、あるいは、記者もそう信じていたのかもしれません。
このような記事には、大抵、学者が引っ張り出されています。上の記事には、順天堂大学医学部教授(免疫学)の奥村康という人の名がありましたが、この人がこういうことを言ったとは、とてもじゃないが、思えないのですが如何なものか本当のところは分かりません。健康に関する報道には、視聴者・読者に誤解を与える恐れの多い表現が目に付きます。
健康に関する話題には、専門用語が使用されます。専門知識はその筋の専門かのみが寡占するべきものでは、もとより、ありません。知識は、人類共通の財産ですので、広く知られて然るべきです。しかし、それには必須の条件があります。「正確に」という条件を抜いてしまっては、返って毒にすらなることでしょう。マスコミ報道を見ておりますと、わざと誤魔化して伝えている人がいるのではないかと疑心を起こしたくなる事が度々です。
地球温暖化問題の取り上げ方も、私には、気になることが多いのです。次回から、これに関する私の考えをお伝えしようと思います。

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<W> フウテンの寅

  NHKTVの朝の連続ドラマが「芋・たこ・ナンキン」が3月で終わり、4月から新しくなりました。私は、新しいドラマは見ていないのですが、「芋・たこ・ナンキン」は時折見ておりました。藤山直美は、大した役者だと思います。父親の寛美よりも芸達者と私は見るのですが、いかがなものでしょうか? 
  藤山寛美は、世間でいう「アホ役」が大当たりした役者です。「フーテンの寅」の寅も世間からは「ばか」と呼ばれる「だめ人間」扱いを受けている人という設定ですので、よく似ています。藤山寛美も渥美清も、これがあたり役となったものです。渥美清が演じた役どころも藤山寛美のあたり役も、いまでいう知的障害者の役です。これらの役者が何故うけたのか、については、障害者の存在の意義に関わる事柄を含んでいると私は考えています。それについて述べて見たいと思います。
  藤山寛美の「あほボン」役は、「ウケ」を狙って製作されたが、計らずも障害者の存在の意義に関わる事柄を含んでしまった、という感じを受けます。一方、渥美清の演ずる寅さんは、「世間が言うバカはバカか」との問いかけがあるように見えます。
  「男はつらいよ」は、最初、TV用の番組だったと思います。脚本も監督も山田洋次氏です。私はあのシリーズを見ていて、どうも、山田洋次氏の身内には障害者がいるのでは、と思いました。それに何より「フーテンの寅」の方が藤山寛美の「アホ役」より世間に知られていると思いますので、「フーテンの寅」を取り上げて、どこが「障害者の存在の意義に関わる事柄を含んでいる」のかについて述べてみようと思います。
  「男はつらいよ」シリーズでは、「寅」が生まれた家に帰ってくると、途端に騒動が起こります。実家のダンゴ屋と妹夫婦の日常が破壊されるからです。「寅」は、「寅」の周りの人々(いわゆる健常者、つまりは私達)の日常を壊そうと思って壊しているわけではありません。「寅」の日常と「寅」の周りの人々の日常とが、づれているのです。「寅」の日常が私達の非日常、私達の日常が「寅」の非日常という関係になっているから、騒動が起こるのです。騒動は、一見、「寅」が起こしているように見えるのですが、しかし、騒動の起こる本当の原因は、私達の方にあることに、気が付くというのが筋書きです。こういう見方は、おいそれとは出来ないのではないでしょうか?
  私達が騒動の真の原因は「自分達にあると気がつく」のは、すったもんだの挙句、私達の持っていた善意が「寅」によって導き出されるからです。私達を取り囲む日常が、生活上あまりにも大きな比重を占めるため、「思い遣り」、「真心」、「信じあうこと」、「いたわり」などなど目には見えない大事なことを忘れて過ごしてしまっていたことに気がつくのです。 私達は日常の中にどっぷりと埋もれていたことを、「寅」という私達にとっては異質の人間が出現することによって考え始め、私達が忘れていたものを思い出し、決して投げ捨ててはいなかったのだ、ということに気がつくという筋書きです。それがほのぼのとした雰囲気を作り出しているので、人気番組になったと思います。    

<W>のつづき

障害者に対するこのような目は、山田洋次氏の周り近くに障害者がいなければ、生じないものではありませんか? 山田洋次氏の目は、障害者ばかりでなく女性にも注がれているように思えます。ダンゴ屋の「オイチャン」や社長の「タコ」は私達のご同輩です。彼等は「寅」を「バカ」と思っていますが、妹の「サクラ」に代表される女性達は、目には見えない「寅」のよいことろをそのまま素直に受け入れます。
    障害を持った人が家族の構成員として現れる場合、いつ、誰が障害者になるかは、障害者の家族にとって非常に大きな影響を与えます。たとえば、生まれ出た子供が障害者の場合、その人が長子であるか末子であるかあるいは中にはさまれた人であるかは、その家族者にとってはとても大切な事柄になります。私は、山田洋次氏のお兄さんが障害者、それも軽い知的障害者ではないのかと推察しています。「男はつらいよ」シリーズの「さくら」は山田洋二その人ではないのかと思っているのです。そして、彼の家族に理解を示したのは、女性が多かったのではなかろうか、と思っているのです。

   ところで、、「芋・たこ・ナンキン」の藤山直美の夫役は、「カモカのオッサン」と呼ばれていたのですが、この   「カモカ」  をインターネットで検索したところ、次のような文章が 
出てきました。インターネットちゅうのは、便利といえば便利ですが、なんかケッタイな感じがあることは否めません。
 
   日本国語大辞典小学館をひくと、大阪や京都の方言で、怖いものや化け物をさす言葉だって。
   こんな化け物は全国にいるみたい。民俗学者、柳田国男(やなぎた・くにお)先生の「妖怪談義(ようかいだ
   んぎ)」によると、岩手や秋田ではモッコ、山梨はモンモ、石川はモウカとガガモ、出雲はガガマ、鹿児島は
  ガゴ。高知は大阪と似てカモカー。呼び方はいろいろだけど、いずれも「噛もうか」「噛もうぞ」という言葉から
  なんだそうだ。

<V> 障害者〜遺伝病〜2

  デュシャンヌ型の筋ジストロフィーは、親から子へと遺伝子が伝わって起こる難病ですが、うちの卓に見られる遺伝病は、チョット様相が異なります。しかし、卓の場合も、遺伝子の特徴が現れた結果ですので、それについてお知らせします。   
* 遺伝子の欠落
  前回、遺伝子は染色体を構成し、人の場合23対の染色体があると述べました。23対の染色体は、夫々、1,2,3・・・と番号が付けられています。卓の第3染色体は、普通の人に較べて、短いのです。第3染色体の一部(それも中途)が欠け落ちているのです。それはまるで、ダルマ落としの遊びのようです。デュシャンヌ型の筋ジストロフィーの場合は、染色体(遺伝子)の長さに変わりはなく、一部が変化しているのですが、卓の場合は、あるはずの遺伝子が欠落しているのです。これは、実に奇妙なことでしょう。
  遺伝子は、1本のなが〜い紐のようなものと、思ってください。紐の一部(それも中ほど)を欠落させるためには、一旦紐を2箇所で切って、切り取った短い紐を放り出した後、あたかも何もなかったように、つなぎなおさねばなりません。そういうことが遺伝子には実際に起こっているのです。このような遺伝子の欠落は、遺伝子そのものの変化と同じように、いつ、誰の身に、起こるかは分かりません。大事な事は、一定の確率(実に低い確率です)で、確かに起こるということです。このような変化は防ぎようがありません。そしてまた、なぜか、こういった変化が起こりやすい染色体があるのです。一番変化を起こしやすい染色体は、前回触れたY 染色体ということです。卓の場合の第3染色体の欠損は極めて珍しいということでした。
*  障害の発生
  では次に、遺伝子が欠落すると、何故、障害者として生まれ出ることになるかについて述べます。
  ヒト(に限らず、多くの生物でそうですが)の発生は、1個の小さな受精卵から始まります。ほとんど肉眼では捉えられないような、小さな細胞から、誕生時には3kg近い大きさにまでなるのです。その発生の過程は、劇的な変化の連続です。発生の初期には、小さな卵が分裂し、より小さな無数の細胞になることから始まります。発生初期の受精卵の分裂は、多くの動物に共通した様式で進みます。それは、普通に細胞分裂に較べて、きわめて特有なので、特にそれを卵割という言葉で表します。特徴的なことの1つは、分裂速度が非常に速いのです。そして、3つの組織に分化します。それを、外胚葉、内胚葉、中胚葉といいます。夫々の胚葉は、将来、多数の臓器を作り出してゆきます。因みに、発生初期の受精卵の卵割速度は、がん細胞と同じぐらいの分裂速度といわれています。
  卓の場合は、この中胚葉がうまく生じなくなっていたのです。もしも、中胚葉が全く生じなければ、発生は続かず、胎児とはなりませんので、「うまく生じなかった」という事は、いい加減に生じたということです。中胚葉は、泌尿・生殖器・循環器・筋肉組織・骨などの結合組織などの元になる組織ですので、卓の場合は、これらの器官・組織の発育が極めて悪いのです

<V>のつづき

*  いつ遺伝子が欠落したか
  卓の第3染色体の一部が欠損していることが判明し、私達の染色体も検査しました。私達の染色体に同様の欠損があるなら、勿論、卓とほぼ同じ症状を呈する可能性が高いので、私達の第3染色体に欠損がない事は、調べる前からほぼ分かっていたことですが、マァ、念のためということもあったのでしょう。私達夫婦の染色体に欠損がなく、卓にのみ、それが起こっている事は、世間で言うところの「遺伝」ではないことを意味しています。遺伝子に変化が起こっているにもかかわらず、それは親から受け継いだものではない、ということはどういうことなのでしょうか?
考えられる事は、2通りです。1つは、受精直前に私かあるいは家内の配偶子(つまり、精子か卵)のレベルで、遺伝子の一部欠損という事態が生じ、遺伝子を欠いた配偶子が受精した。2つ目は、受精直後、まだ第1回目の分裂前に(受精卵の分裂を、特に卵割といいます)1対ある染色体の片方にのみ、それが起こった、の2つです。ヒトの場合、通常は、1つの卵に対して無数の精子が群がり、その中の1つだけが卵と合体(受精)することが出来ます。従って、精子にある遺伝子に欠落があったとすれば、その欠落した情報を持った卓という特定のヒトが生まれ出る可能性は、きわめて低いというか真に偶然といえます。
なんにせよ、通常の「遺伝」とは違った様式で、私達から卓へ短くなった遺伝子を伝えたのですが、もしも、卓が子をなせば、子供は通常の「遺伝」と同様の形式で父親である卓の遺伝子を受け継ぐことになります。

<V>のつづき2

*  遺伝子欠落と障害の発生
  発生は、形を作り上げてゆくことです。これを形態形成といっております。ヒトの発生の場合、母体内での短い時間の間に、ヒトが進化してきた過程を丹念にたどって、ヒトらしくなります。チョット話は外れますが、生まれたてのヒトは、ただ、ピィピィ泣いているか寝ているだけです。チンパンジーなどの類人猿の生後すぐの子に較べて体力・知力などあらゆる面で能力が劣ります。ヒトが能力的に類人猿を越すのは、3歳過ぎてからです。
  話を戻しましょう。発生における形態形成には、遺伝子が順序よく働くのですが、遺伝子そのものが直接に形態形成に関与しているわけではありません。遺伝子には、情報があるのです。その情報に基づいてタンパク質が作られ、作られたタンパク質が一定の決まった働きをすることによって、次第に形が出来上がってゆきます。つまり、遺伝子は、タンパク質の作用を通して、その働きを表しているのです。ヒトの形態形勢に関わる遺伝子がうまく働かなかった場合は、働きのあるタンパク質が作られていませんので、その程度に応じて形に障害が生まれます。
では、遺伝子が変化していなかったり、不足がなかったならば、正常な発生が見られるかというと、そうでもありません。ヒトに限らず、動物の発生時の形態形成は、どんなことがあっても夫々の動物種に特有な形態になるという保証があるわけではないのです。以前問題になった、サイドマイドは手足の形成時に働いて、それを阻害したのでしょう。この場合は、遺伝情報は、正確に発現されたのだが、タンパク質が働こうとする時に、それを邪魔するもの(サリドマイド)があったので、形態の形成が妨げられたのです。
  中胚葉の形成に関わる遺伝子は、おそらく、1つではないのでしょう。もしも、1つなら、今頃卓はこの世にいません。中胚葉の形成に関わる遺伝子が、どれほどあり、どんなものかについては、私は知りません。しかし、卓の場合は中胚葉形成に関わる遺伝子が少なくとも1つ(glycogen synthetase gene)欠落していることが分かっています。だから、中胚葉が「うまく」生じなかったのでしょう。
*  遺伝子の特性
  遺伝子に関わる障害者の誕生についていままで述べてきたことの1つは、遺伝子は備わっているが、その遺伝子が変化してしまった結果と、2つ目は遺伝子そのものがなくなってしまった場合です。この2つの例は、遺伝子という化学物質に起こる変化ですので、遺伝子そのものの特質です。必ず、一定の割合で起こるものです。従って、ヒトに限らず、生き物全てが持っている特質です。いってみれば、生き物は遺伝子のこの特質ゆえに進化してきたものであり、ヒトがこの地球に生まれた大本です。
  もっといえば、私達のから打破、細胞から出来ています。嘘か真か知りませんが、その数60兆とも言われています。その細胞1つ1つに核があり、遺伝子が存在しています。その遺伝子も、変異を免れ得ません。遺伝子が変化し、それが伝わる確率が百万分の一と試算されています。それを私達の体にそのまま当てはめると、私達は変化した細胞を実に多く持っていることになります。
遺伝子はその組成が変化したり、ちぎれたり、くっついたり、よそから割り込んできたりと様々に変化しますが、私達ヒトのような生殖(増え方)をする生き物は、遺伝子の組み合わせにおいて違ったものを持つことがあります。染色体数異常といわれる症状です。ヒトが持っている染色体の数が合わない場合が出てくるケースです。ダウン症として知られる症状がその代表です。

<U> 障害者〜異数染色体  染色体の由来

  ヒトの染色体の数は、46(23対)であることは、前に述べました。人の細胞にある46個の染色体は、雄性配偶子と雌性配偶子(精子と卵子)に由来します。これら2つの配偶子(配偶子も細胞です)が合体(受精)してヒトが発生するのですから、各配偶子は23本の染色体を1セットとして持っていることになります。つまり、ヒトの体の細胞にある染色体の数は、実は、23 (雄性配偶子)+ 23(雌性配偶子) = 46なのです。ヒトの場合、配偶子に存在するこの遺伝子の1セットをゲノムと呼んでいます。
ところで、配偶子は体の中で作られますので、配偶子を作る場合は、体を作っている細胞の持つ染色体数(46)が半減せねばなりません。これが実に巧妙かつ複雑な仕掛けで行われます。その仕組みの詳細については、ここでは述べませんが、染色体数の異常は配偶子が作られる段階、つまり染色体数が半減する段階で起こることです。これもまた、低い確率ですが一定の率で起こります。一定の確率で起こるといことは、「必ず起こる」ということで、「たまたま間違って起こる」ということではありません。
ダウン症の人の染色体数は私達より1本多いのです。23対ある染色体のどこかが対(2本)になっておらず、3本になっています。これをトリソミーといいます。よく見られダウン症は、第21番目の染色体が3本になっている状態です。性染色体がトリソミーになっている人は、ターナー症候群やクラインフェルター症候群として昔から知られています。

ドーピング

  今のオリンピックは、ドーピングで揺れていますが、少し前には、セックス・チェックというのがありました。男は対象になりません。対象になるのは女子選手です。私の記憶では、そのきっかけが東京オリンピックの時にあるのです。東京オリンピックの時、ソ連にタマラ・プレスという女子選手がいました。確か、砲丸投げの選手だったと思います。この女性のだした記録が、当時の男の選手にも匹敵しようかというものすごい記録だったのです。それで見掛けは女だが、おかしいのではないかと疑われたのです。
タマラ・プレスはXXYではないか、と疑われたのです。通常の女性は、XXでY 染色体はありません。ところが、XXY のようなトリソミーの「女性」も一定の確率で生まれます。Y 染色体の入った「女性」の女性機能は、「おんな」として完全に機能する人から、ほとんど「おんな」としては機能しない人まで様々なようです。これらの「女性」が様々なのは、恐らく、これらの「女性」の細胞に含まれるY染色体の働き具合によるのでしょう。
前に述べたように、Y染色体には雄性を発現させる遺伝子が存在しています。これが働けば、男となるのです。男となることの最大の意味は、精巣が出来ることです。精巣が生じて、それが働くようになれば、男性ホルモンが分泌されます。男性ホルモンには、筋肉増強作用があります。したがって、XXYという染色体構成の「女性」は、場合によっては両性具有となり、男なみの力が出ることもありうるのです。
いま流行のドーピングで使用される薬物は、男性ホルモンだけとは限らないのでしょうが、男性ホルモンが必ず入っているはずです。昔のオリンピックは、アマチュアだけの参加でした。ところが、ソ連や東独のような共産圏の選手は、プロとアマの区別が明確につきません。国お抱えのアマチュアと言う意味で、ステート・アマと呼ばれていました。これらの選手はオリンピックで活躍するため薬物を投与され国威発揚のために利用されたのです。薬物には、男性ホルモンが使われましたので、その時薬漬けにされた女子はかつて使用したドーピング剤(男性ホルモン)の影響で、年とともに男性化してきて体のアンバランスに悩まされ続けることになります。特に東独の女子選手に深刻な影響が出ているそうです。
Y 染色体に雄性を発現させる遺伝子が存在しているなら、XYY のように Y 染色体が2つもあれば、「おとこ」・「おとこ」でスーパーマンになれるかというとそうではなく、不思議なことにこれまたよくない影響が出るのです。同じようにXXX もスーパーウーマンとはならないのです。

ダウン症

  ダウン症の人の染色体の総数は47ですが、1本増えているのは性染色体以外の染色体(常染色体といわれます)のうちのある特定の染色体です。ダウン症は、かつて、蒙古症と呼ばれていたことから想像できるように、特徴のある顔つきをしています。特徴のあるという意味は、ダウン症の人の顔つきは皆よく似ているという意味です。それに対して、我々、いわゆる、普通の人の様相は百人百様で、染色体数は46です。
トリソミーになっている染色体の3本の内の2本は、1つの配偶子由来のものです。子をダウン症にする配偶子の染色体数は23ではなくて、24になっています。このことをよく考えたいのです。
ダウン症の人の両親の配偶子のいずれか1つがトリソミーの素になる染色体を持っていた事は確実です。数で表現すると、普通のヒトは23+23=46(両親の体の細胞)→23+23(配偶子)ですが、ダウン症の人が生まれる場合は、23+23=46(両親の体の細胞)→22+24(片親の配偶子)→24+23(両親の配偶子の合体)=47(ダウン症の人、本人)となります。
夫々が対になっていている染色体は、配偶子を作る場合はその対が分かれるのが本来の姿なのですが、分かれるのが嫌という染色体が出てくるのです。こんなことが起こってしまうので、24本の染色体を持った配偶子が出来るのです。分かれるのが嫌という染色体は、その両親の体の中にあったものであり、その親の体は祖父母から受け継いだものです。つまり、「分かれるのが嫌という染色体」は、ダウン症の人の親の体にあった祖父母のものがそのままダウン症の人の中に入ったということになります。1本多い染色体を受け渡した親は、ダウン症を発病していませんから、トリソミーになっている染色体にある遺伝子は、全て、「正常」です(チョット問題がありますが、マァ、そう思ってください)。その「正常」の遺伝子と「正常」の遺伝子を持った配偶子の合体でダウン症の人が生まれるわけですから、ダウン症の人の遺伝子は、何処にも「異常」はないことになります。ただ、数が多いだけなのです。
遺伝子の質においては、なんら変わりはないのですが、その量が多いというだけで、私達とは違いダウン症の人は皆よく似た様相を呈するようになり、人種を超えて、「人類皆兄弟」といった感じがする顔つきになります。

エイズと染色体

  チョット長くなりますが、もう1つ遺伝子の性質を現していることについて述べておきます。エイズは、HIVウイルスの感染によって発病する症状です。では、HIVウイルスに感染すれば、必ずエイズを発病するかというと、そうではありません。感染して「保因者」となってはいるが、元気に生活を送ることが出来る人もいます。HIVウイルスの遺伝子はRNAという物質ですが、これが私達の細胞の中で、私達の遺伝子と同じDNAを作り出し、私達の遺伝子(DNA)の中に潜り込んでしまします。つまり、私達がHIVウイルスと合体したことになるのです。そして、密かに増える機会を狙っているのです。
私達の遺伝子は、前に述べましたように、1本の長い紐のようなものですので、HIVウイルスが私達の遺伝子の中に潜り込むということは、私達のDNAを一旦切り、そこへHIVウイルスが入り、再び何事もなかったように繋ぎ直さねばなりません。HIVウイルスはそんな芸当が出来るのです。私達の大切この上もない遺伝子に別のものが潜りこむなんて、想像するだけで何か気持ち悪くなりはしませんか?HIVウイルスが潜り込んだ私達のDNAは少々長くなり、遺伝情報量はその分増えることになります。遺伝子には、まるでSF映画のような、こんなことも起きるのです。
もしも、HIVウイルスが配偶子を作る基となる細胞に感染するようなことになれば、HIVウイルスが遺伝することになりますが、今のところそんな事はなさそうです。しかし、生物進化の段階で、これに似たようなことが起こってはいないという保証は何処にもありません。

                                          佐藤八十八

<T> 障害者〜遺伝病

   4月5日のNHKTVの夜ニュースで、「ムコ多糖類症」という病がレポートされていましたので、御覧になった方もおいででしょう。「ムコ多糖類症」は遺伝病です。症状としては、背が伸びないで骨が次第に変形してゆき、ついには死に至るということです。
   因みに、「ムコ多糖類症」のムコは、ネチョネチョしているという意味です。多糖類とは、たとえば、デンプンのようなものを指します。デンプンは、単糖(ブドウ糖)が数知れず結合したものです。(単)糖が多いので、多糖類と呼ぶのです。多糖類というのは総称ですので、その中には、沢山のものが含まれています。ダイエット食品として名高いマンナンも多糖類の1種です。マンナンは、マンノースという単糖が繋がってできたものですが、多糖類の多くが、デンプンのようにブドウ糖が繋がったものです。
    カエルの卵を包んでいるのもムコ多糖類ですし、多くの海草がネチョネチョしていて乾燥しにくいのも、ムコ多糖類の所為です。私達のからだの中でも、ムコ多糖類は重要な働きをしています。ムコ多糖類は、水分をよく含みますので、保水性が必要な関節のような場所に多量にあって、関節の動きを助けています。ムコ多糖類症というは、体の中で(つまり細胞で)ムコ多糖類が作られなくなる病気なのか、あるいは逆に作られすぎるのかは知りません。
   障害を持って生まれる人の原因は、ムコ多糖類症のように遺伝子に関係したものもありますが、それだけではありません。遺伝子が原因で障害が生じる場合は、難病に指定される障害は遺伝子が原因のものが多いようです。うちの卓も、遺伝子が原因の障害ですが、難病に指定はされていません。この遺伝子が原因の障害についてお知らせしたいと思います。障害者の理解への一助になればと願っています。 
   遺伝病として古くからよく知られているのは、デュシャンヌ型の筋ジストロフィーです。デュシャンヌ型の筋ジストロフィー患者は、3歳ぐらいに発病し、20歳までは生きることだ出来ないといわれていました。このタイプの筋ジストロフィーは、伴性遺伝します。

つづき

私達の遺伝子は、細胞の核の中にあり、染色体というものになっています。通常、染色体の数は決まっており、人の場合、46本です。46本の染色体はそれぞれ対になっていますので、23対ということになります。23対の1セット(23本の染色体)は父親から、残りのもう1セット(23本の染色体)は母親から受けつながれてきたものです。ヒトの体のあらゆる細胞にある46本は、じつは、23+23だったのです。
   46本の染色体のうち、2本が性の決定に関与していることが知られており、これを性染色体といいます。因みに、残りは常染色体といいます。性染色体のパターンは、男女で違いがあり、女をX X(対になっていることを示しています) と表し、男をX Y と表示する慣わしになっています。男を現すX Y
のうちX を X 染色体、Y を Y 染色体と呼びます。X 染色体には多数の遺伝子が存在しているのですが、Y 染色体には、ごくわずかの遺伝子しかありません。そのうちもっとも大切な遺伝子が、雄性化に働く遺伝子です。
  このように、性染色体にも遺伝子が存在しますので、「遺伝」という現象が起こるのです。これを性に伴って遺伝するという意味で伴性遺伝と呼びます。デュシャンヌ型の筋ジストロフィーの遺伝子は、X 染色体にあるのです。
   男の性染色体は父親から受け継いだY 染色体が、母親から受け継いだX 染色体と ペアーにはなっているのですが、Y 染色体には遺伝子がわずかしかありませんので、X 染色体の遺伝子の性質がモロに現れてしまいます。それ故、男に筋ジストロフィー患者が多く出現するのです。これを別の形式で現すと次のようになります。
   筋ジストロフィーになる遺伝子を持っている染色体を[ X ]、筋ジストロフィーにはならない遺伝子を持っている(いわゆる、正常)染色体を X と現しますと、いわゆる、正常男性は X Y 、筋ジストロフィー患者は[ X ] Yとなります。 女性には、3つのタイプがあります。いわゆる、正常女性は X X と [ X ] Xです。 [X ] X の女性は、筋ジストロフィーになる遺伝子を持ってはいるのですが、もう1つの片割れの染色体( X )には「正常」な遺伝子がありますので、みかけは「正常人」となります。このような人は、自分は筋ジストロフィーになってはいないが、なる遺伝子を伝えるという意味で保因者と呼びます。女性が、 筋ジストロフィーになるのは、[ X ] [ X ] という組み合わせが起こったときですが、この場合、片方の[X ] は父親から伝えられてきます。しかし、この遺伝子([ X ] )を持つ父親はすでに筋ジストロフィーが発症している可能性が高いので、子を残す可能性は実に低いものです。こういう訳で、女性の筋ジストロフィー患者が少ないのです。 
  長くなりますので、今回はこの辺で。

                         佐藤八十八




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