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希望の体験記 葛西臨海公園にて Woman's Interview (バスケットのインタビューより)
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勉強会(葛西夜間高校にて)

以前私が教えていた金町の青年の家の“マイム講座”で依頼されて 吉田先生と二人で子供達に「私のマイム人生」を紹介して来ました。
早いいものでパント・マイムに出会って8年がたってしまいまた。8年前は皆さんと同じ高校生でした。私は養護学校に通っていました。障害を持っている子供達が行く所です。私は3年通いました。クラスメートが障害者スボーツセンターにプールしに行っていて私を誘ってくれそこに私も行くようになったのです。  ある時1枚のチラシを母が見つけました。それは武蔵野青年の家パント・マイム入門と言う内容でした。母は「これだ!」と言いました。これを希望にさせようと思ったのがすべての始まりでした。母が武蔵野青年の家に問い合わせをしました。「うちの子に是非パント・マイムをやらせたいと思っています。   しかしうちの子は障害を持っていますが普通の子です」と言いました。武蔵野職員の人は吉田先生に相談したと言っていました。 考えて結果は講座を受けても良い事になりました。 講座の場所は家から1時間半かかりました。学校が終わってすぐに制服のまま着替えを持って行きました。講座が始まりました。みんな私よりも大きい人ばかりで障害者は私だけです。   始めは不安を持っていましたが吉田先生にパント・マイムを丁寧に教えてもらったおかげでパント・マイムの楽しさを覚えました。この当時、私の足はふらふらしか歩けませんでした。じっと立つ事も無理な状態でした。 マイムを始めて少しずつ足が良い方法に向き始めじっと立てるようにもなりました。講座を半年間終えて私は吉田明美スクールに入ろうと思いました。 もちろん両親もこれに賛成しています。スクールに入ってから細かなパント・マイムの動 きを吉田先生に教わりました。    少しずつ通って学校が終わった後お母さんが渋谷に送ってくれました。今では一人でどこでも行きます。マイムを始めて2年目の秋にマイムのプロになるために専門クラスに行く事にしました。そのクラスはみんなプロを目指すクラスでした。毎週みんなと同じ練習をこなしました。もし出来なかったら出来るまで練習しました。   専門に入って2ヶ月が小さい舞台に私達は出る事になり私も一人でマイムをする事になりました。始めはパント・マイムのネタを考える所から始め、ネタは自分のアイデアをいかして作りました。舞台に出て緊張しましたが面白かったです。その後いろんなステージに上がる機会があり毎週練習の連続でした。   「3月卒公」が終わった後、みんなでパリに行きました。パリでは町に出てマイムして子供病院(重度の病気を持った子供)に行きました。私にとってパリでのマイムはいい経験とマイムを障害者の人々に詳しく伝えたいと思いました。   卒業したら1年間考える時間をもらいました そのあいだ私は将来の事をいろいろ考えましたが、私は学校を卒業後、就職出来ませんでした。家の近くの福祉作業所に行く事を勝手に先生と両親達が決めました。 私は人にレールを引いてもらいそこを歩くしかありませんでした。施設に入ってから一生懸命訓練をうけながら障害者合同面接会に何回も行きました。しかし就職にはほど遠い道でした。  あきらめてずっと福祉作業所にいる事になるのかなと思ったやさきに父の会社郵便局のバイトはどうかなと?父の案で会社の人に相談してくれました。ためしに面接したら来週からここで仕事してもいいよと言われ私も両親にとっても夢のような話でした。こうして仕事に付きました。