ふすま・障子張りアート工房のご案内

私は東京都高齢者事業振興財団で
就業支援のふすま・障子はりコースを卒業しました。
その中で特に著名な兵頭喜久一先生他に指導を受け、
日本の良き伝統技術とプロの職人を継承する夢多き
ロマンを持つ匠のグループです。

又、日本初の直筆襖のオリジナル・アートに挑戦!!
芸術家の皆様も一緒に研究しませんか。

あなただけの襖絵・襖書をオリジナル制作しませんか。
あなた好みの画題・あなたの俳句、詩、言葉を新調した襖に一流作家が直筆で仕上げます。
一生に一度の贅沢空間を納得価格で。

襖の歴史
平安時代

襖は平安時代の寝殿造りから始まるようです。
几帳、屏風、衝立は寝殿造りの内部の調度品のなかにあって日本独自のものとして生まれた。
これが工夫されて、間仕切りの少ない寝殿造りの防寒、機密性を保つ為に作られたものと
考えられている。
当時の襖は骨組みの上に絹・麻布を張り、柱と柱と長押の間にはめ込み式に作られ引き手はなかった。
9世紀、寝殿造りが大成され、中国より唐絵が渡来。
平安中期になると大和絵が描かれ、襖はその良き表現の場となり
初期の防寒具の役目から部屋の装飾として上流階級の生活を楽しませる
重要な要素と成った。

鎌倉時代

仏画や襖絵の制作は隆盛となり、来迎図や絵巻物は理解し易いので
今まで以上に需要が増えてきた。
「絵画」
源氏物語絵巻、鳥獣戯画、信貴山縁起絵巻等
「障壁画」
春日権現記、北野天満縁起、平家物語縁起、蒙古襲来絵詞等
13世紀はじめ頃、長押の間に敷居と鴨居を入れ、襖が引き違いになる。

南北朝時代

手工業が発達した時代で、紙では美濃・播磨・讃岐・越前・大和等で地方独自の紙が漉かれた

安土桃山時代

武家階級による書院造りが完成し、襖は寺院やお城等において、
絵画芸術の発表の場として大きな役割を果たした。
信長・秀吉に仕えた狩野永徳は安土城・大阪城・聚楽第のほとんどの襖絵や屏風絵を画いたと言われる。
その襖の縁には漆を塗り、引き手には緋の房を付け、豪華絢爛たる芸術品を後世にのこした。

「茶道が生まれる」

栄西が中国から持ち帰った茶の種は初め、薬として引用された。
村田珠光が侘茶を称え、15・16世紀にかけて武野紹鴎、千利休が継ぎ、
信長や秀吉の時代において、和敬静寂に基づく「侘び寂びの精神」を
根本とした質素な茶の道を完成した。
茶席や茶室の襖はその好みによって種々工夫され
太鼓襖が生まれる。

江戸時代

京の二条城、日光東照宮、桂離宮が竣工した。
桂離宮
書院造りに数奇屋風様式を加えて建てられて八条宮家の別荘。
内部は狩野探幽が描いた墨絵の襖や市松の張り合わせしたものがある。
これまで、襖は公家や大名などの住居のものであったが、豪族・豪商に使われ
江戸末期より、一般町民にまで普及した。

明治時代

襖の骨縁を作る専門職が出来た。

大正・昭和時代

機械化により、大量生産が行われる。

平成時代

マンション建築の増加と共に、襖も消耗品と見られ、使い捨てで、
ダンボールの芯で出来たものも出現する。

襖は日本の気候風土に合致した独自の建具であり、実用的かつ 装飾的価値観からも、憩いの部屋作りに欠く事の出来ないものである。
(東京都高齢者事業振興財団発行の襖と障子のテキストより引用)

襖の職に携わるものとして、尚一層 お客様に喜んでいただけるような時代に相応しい仕事を日頃より
研鑚努力し、伝統を守り、次の世代に継承していかなければなりません。
どのようなケースの仕事もこなしますが、お受け出来ない場合もございます。
ご予算に合わせて、丁寧な仕事をこなすのをモットーに致しております。福岡自宅周辺に限定。ご一報を。
電話・福岡・吉武0930-42-0274