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フルマラソン17回目にして、2002年福知山マラソンでやっとサブスリーを達成することができました。
今年は立山登山マラニック(9/7)参加のため、早くから体作りをしていたので、好調なシーズンでした。ところが、疲れがたまってきたのか、11/3の丹波高原ロードレース(30km)以降、ずっと太腿とふくらはぎが筋肉痛でした。練習を減らして調整していたのですが、回復しないうちに本番の福知山になってしまいました。「レース前は多少足が重い方がよい」と言う話をよく聞くので、これでもいいのかなという思いもありましたが、今年ほどうまく調整できたことは今までになかったので、「何とかしないと」というプレッシャーも相当ありました。妻によると、スタート直後の表情は暗かったようです(写真はそうではありませんが)。
スタートのロスは50秒ほどありましたが、とにかく慎重に、確実にと思って、序盤は4分10〜15秒/kmになるようにかなり気を遣いました。5km過ぎてから、ふくらはぎの筋肉痛が始まり、やっぱりな、と思いましたが、そのうち足が軽くなることを信じることにしました。後半勝負に向けて、なるべくすべての給水所でドリンクを取るようにしました。ところが、10kmを過ぎても足は軽くならず、14kmで1時間を超えていました。ただ、1kmで2秒ずつでも借金を返していけばサブスリーを達成できるはずと計算して、あえてペースは上げませんでした。
中間点では1:30:01で、丁度3時間ペース。荒川の体験(後半の方が若干速い)がなければ焦っていたと思います。中間点では、きっと荒川と同じように25km過ぎればランニングハイになり楽になるはずだと信じていました。しかし、一向にその気配はなく、筋肉痛も治まらず、28kmを過ぎてしまいました。ただ、ペースは落ちず、1kmの標識の間隔が短く感じられたので、もしかしたら何とかなるかも、という思いもありました。この辺で少し貯金ができていたと思います。去年、35kmを過ぎて大失速したので、とにかくそれをクリアしなければという思いでいっぱいでした。30kmのタイムは2時間7分台で、丹波高原のタイムより5分遅いのに、その時より楽な感じはなかったので、やはりどこかでガクンと落ちるということが頭を離れませんでした。この辺ではごぼう抜きでしたが、そんな爽快感は全くありませんでした。他人のことどころではなかったです。去年は30kmくらいで、サブスリーを達成したときのガッツポーズを考えたりしていたのですが、今年はそれはやめました。同じこと(大失速)になりそうな気がしたので。
35kmを過ぎてもペースが落ちていなかったので、さすがに、サブスリー行けるかも、という思いが強くなってきました。残りの距離を普段練習しているところの区間と比較して、自分に「行けるはず」と言い聞かせながら走っていました。計算すると、10秒/kmくらいペースを落としても大丈夫そうだったので、その方が確実かなと思いましたが、落ち出すと極端に落ちるのが怖くて、行けるところまでペースを守ることにしました。例年、この辺の1kmはすごく長く感じられるのですが、今年はそうでもなく、かなり自信が出てきました。というより、ここまで来たら絶対何とかせな、という感じでした。39kmを過ぎて、はじめて少し足が軽くなったような感じで、39〜40kmは今日のベストの4分ジャストでした。この時点でこんなに走れるのが自分でも不思議な感覚でした。
川沿いの最後のコーナーを左に曲がったところで、やっとサブスリーを確信しました。あとはこの坂を登るだけ。とにかくゆっくりでも走り続ければ何とかなるのだから、と自分に言い聞かせました。あと少し、あと少し!残り1kmを切り、ゴールで流れる「炎のランナー」が聞こえたとき、少し涙が出ました。ゴール前200mで登りが終わると後は無我夢中でした。ゴール前の直線ではガッツポーズを連発してしまいました。周りの選手はサブスリーになれているのか、普通にゴールしていたので少し恥ずかしかったですが。
ゴールしてからも、しばらくは興奮が収まりませんでした。人生の大きな宿題を1つ片づけた感じでした。ゴール後、みほとなぎさっちが駆けつけてくれましたが、みほには本当に助けられたと思います。彼女がいなければサブスリーは達成できなかったと思います。感謝の思いでいっぱいです。
多くの方にサブスリーのお祝いの言葉をいただき、ありがとうございました。
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