毎日新聞 正月特集(2002.1.1)

「新時代の飛翔人」の一人に
選ばれました。

迫力…誰にも負けない

「浮かぶ風景は地元・和歌山の海」

 テレビ局のスタジオで初めて生で聴いた木下伸市さん(36)の津軽三味線は、体に響き、魂を揺さぶる迫力があった。
 悲しみ、懐かしさ、あこがれ。さまざまな感覚が押し寄せてきて、此岸と彼岸の世界の境目にいるような、不思議な気持ちになった。
 打楽器をたたくような激しい奏法で、即興で弾く津軽じょんから節は圧巻だ。
 「演奏は本当に命を削るような思いでやっています。このまま倒れてしまうんじゃないかな、と思う時もあるくらいに」
 演奏中の緊迫感とは打って変わった、人なつこい顔で彼は言った。
 津軽三味線がブームのなか、その才能は筆頭にあげられている。
 昨年11月に初めて出した2枚組アルバム「傳」「魁」(avex io)でも、迫力と繊細さがあふれる、彼の演奏を聞くことができる。
 「弾きながら、好きな海の風景が浮かんでくることがあります。僕は和歌山出身なので、浮かぶのはやはり和歌山の海。日本海と比べると穏やかで、でも黒潮なので、勢いがある強い流れです。紀伊半島の沿岸の風景は非常にきれいなんですよ。それが心に刻まれていて、演奏にも影響していると思います」
 生まれた時から三味線を聞いて育ち、10歳の時、芸人だった父に手ほどきを受けた。2曲習ったうち盆踊り歌はすぐに弾けたが、津軽三味線の曲弾き六段はなかなか進歩しなかった。
 「難しいんです。普通の三味線と弾き方が違って、バチを力強くたたかないといけない。最初は糸に当たらないんです。左手も指ではじいたり、弦をたたいたり、いろんな奏法があって」
 朝、登校前に練習し、帰ってからも寝るまで練習した。学校にいる間も、三味線のフレーズが頭の中で鳴っていた。
 「テレビを見る時も三味線を持って見て、CMになると練習する。そのぐらい好きでしたね」
 それなのに、三味線を習っていることを友達には言えなかった、と笑う。
 「恥ずかしかったんです。今でこそ、津軽三味線はかっこいい、と言われますけれど、当時はそんな時代ではなかったから。友達にバカにされると思っていました」
 普通の男の子だったのだ。
 高校卒業後、上京し、浅草の民謡酒場で修行した。20、21歳の時、津軽三味線全国大会で2年連続優勝。津軽三味線の神様と言われる白川軍八郎を彷佛とさせる、抜群の演奏が注目された。
 「若いころは、津軽の人じゃないってことで悩みました。津軽の人になりたい、津軽に骨をうずめたい、と思ったこともあります。でも、僕が和歌山出身だということは、津軽に住んでも絶対に消せない。だから、自分が和歌山出身であることに、もっと誇りを持ちたい、と思ったんです」
 雪深い津軽の地で、盲目の男芸人の門付け芸から始まったという津軽三味線を、自身のルーツを表現するソウルミュージックにした。
 3本の弦が生み出す豊かな世界は、自らの心の風景であり、ふるさとの風景だ。
 音を響かせる津軽三味線(太棹)の胴には、犬皮が使われている。
 「湿気や高温に弱いので、夏と梅雨の時期は、三味線が置いてある稽古場はクーラーをかけっぱなしです。地震が起きたら?貯金通帳よりも三味線を持ち出しますよ」。それほど大切な三味線だ。
 海外公演も多い。「外国ではどこに行ってもすごく受けますね。エジプト、トルコでは拍手が止まらなかった」
 ロックや和太鼓など多彩な分野の奏者とのセッションも続けている。6月の全国公演では、ハンガリーの超絶技巧のバイオリニスト、ロビー・ラカトシュと共演する。
 「常に新しいことにチャレンジするのは父親譲りですね。僕は決して器用じゃないけれど、だからこそ、これだ、と思うとのめり込むんです」
 「迫力は誰にも負けないつもりで、腕が折れてもいいぐらいのつもりで(バチを)たたいています」
 21世紀の伝説の津軽三味線弾きになるだろう、と予感させる人である。

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