「じょんがらブルースの歳月」 −木下伸市伝−

林 英哲(はやし えいてつ)
(1997年9月14日、15日「日本の太鼓」国立劇場公演プログラムより)

 いまさら言うのも恥ずかしいが、僕は20歳代には舞台で太鼓演奏と共に津軽三味線(のようなもの)を弾いていた。
 「日本の太鼓」に出演するのは今回で8度めになるが、18年前、初めて「日本の太鼓」に出演した時の記録ビデオには僕の三味線の演奏シーンが残っているはずだ。今となってはそれが現存する唯一の舞台演奏の証拠である。
 録音ではレコード(CD)にもなり、繰り返して発売されたが、当時はグループの一員であったため僕が演奏しているということは一切クレジットされていない。
 その時代、ダウンタウン・ブギウギバンド(宇崎竜童さん)とジョイントコンサートをやり「じょんがらブルース」という曲をライヴレコーディングした。僕がブルースギターが好きで、BBキングのライヴに何度も行ったというような話から実現した曲だが、(その中で僕は三味線によるブルースのようなもの、を弾いている)なんとそのレコードを聞いて育った(?!)という和歌山の三味線少年が、今回共演する木下伸市君なのである。

 彼の演奏を初めて聞いた時の鮮烈な印象は忘れ難い。
 エレキギターやドラムの大音響の中、肩からストラップで吊った三味線で速い曲弾きの旋律を一音の乱れもなく軽々と弾きこなしていた。あの状況の中で軽々と弾く、ということがどんなに驚くべき高度な技か、まがりなりにも三味線を弾いていた者にはよくわかる。
 三味線にはギターのようなフレットがないため音程が定めにくい。その上もともと膝に乗せて弾く楽器なので、立って弾くと棹(さお−ギターのネックに当たる)が不安定になり音がさらに定まりにくい。バチも当たりにくい。沖縄の三線(さんしん)長唄の細棹と違って津軽三味線は大音響の中では音程がとても聞き取りにくい−と、いいことはひとつもない不利な状況の中で、リズムの乱れも音の乱れもまったくない歯切れのいい三味線が響き渡る。僕の「じょんがらブルース」の比ではなかった。
 断言するが、三味線でこのようなことが出来る名手はかつて日本にはいなかった。革命的な人材が出現した、と思った。

 伸市少年は1965年、和歌山市生まれ。幼少時からプロの芸能人であるお父さんに民謡と三味線の指導を受けて育った。歌でもいいノドを聞かせるのはそのせいだが、少年時代は三味線をやっていることを友だちに知られるのが恥ずかしかったという。彼の世代を思えばわかるような気がする。
 18歳でプロを目指して単身上京、まったくつてのない東京で腕一本で生きる道を歩み始める。飛び込みで民謡酒場のオーナーに電話をかけて受話器の前で演奏し「よしッ明日から店に出て弾け!」と即、採用されたというそのスタートからして、すでに伝説を地で生きているような人生だ。
 21、22歳の時には連続して津軽三味線の全日本チャンピオンとなる。彼の出場が続けば対抗馬が出て来なくなると案じられたほどの圧倒的な勝ちっぷりであった。
 その後、伊藤多喜雄さんのバンドメンバーとして活躍した後にソロ活動を開始。自身の率いる三味線ロックバンドの活動の他、ソリストとして今やジャズや世界の民族音楽とも自在に渡り合う堂々たるミュージシャンだが、意外なことに20歳になるまでは洋楽というものを一切聞いたことがなかったそうだ。
 これが彼の音楽性を育んだ秘密だろう。世界的になるために外国の音楽をあれこれ聞く必要はなく、たったひとつの音楽への深い理解と表現力がありさえすれば、世界中の音楽や聴衆とコミュニケートできる、というシンプルな事実を彼は体現し得たのだ。しかし今の日本で、日本の音楽だけ聞いて育つ環境がまだあったとは…。

 誠実な人柄そのままにどんなジャンルの音楽と共演しても端正な品の良さが出るが、加えて努力の人でもある。自作曲は全て丁寧に5線譜で書かれており、今回共演する彼の作品「海流」「SHI・BU・KI」(初演は1995年)も5線譜で手渡された。
 津軽三味線のフレーズを文化譜(三線譜)で書く人はいるが、5線で書き作曲する奏者に会ったのは初めてのことだ。これは才能に加えて彼の背中に、先人が成しえなかった新たな音楽の領域へと飛翔するための強力な翼があるということでもある。
 僕との共演は1995年の彼のコンサートへのゲスト出演が初めてで(正確にはそれ以前にレコーディングで一緒になったことがあり、今、北海道で大ブレイクしている群舞の祭り「よさこいソーラン」の発端となったタキオ・バンドの「ソーラン節」の録音で共演している)以来、僕のコンサートには何度もゲスト出演してもらって大好評を博している。
 津軽三味線というのは一種の太鼓(打楽器)でもあるし、僕自身、津軽三味線のフレーズが体に入っていることもあって、彼との共演は毎日、阿吽の呼吸の応酬バトルとなる。

 「じょんがらブルース」から既に18年が経つ。その月日が、さまざまの変化が感慨深い。そして大げさでなく、その月日の中で今の日本が木下伸市という音楽家を得たのは奇跡のような幸運だと思う。そのことに気がついている人が、まだあまり多いとは言えないのが僕にすれば残念でならない。

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