その2


日本海
 2000.06.03

 目と鼻の先、僅か100m足らずの右岸側に三人くらいの釣り人が糸を垂らしている。 三人くらいというのも可笑しな話であるが、二人だったかも知れないし、4人だったかも知れない。
 何でもないような浅瀬から必死に逃げようとしていたその様を、そして努力のかいも虚しく転覆してしまった無様な一部始終を高いところから見られてしまったのではないかという気恥ずかしさから彼らのほうをまともには見れなかったのである。

 彼らがいつからそこに居たのかはわからないが、私が妙見堰からスタートした時よりも早くから釣りをしていたに違いない。 その釣り人たちは、糸の伸びている先をただジっーと見つめているように思えた。 膝くらいまでの浅瀬に乗り上げて横転してしまった滑稽な様には、まったく興味がないといったような態度である。 興味がないというよりこんな小舟の存在すらも目に入っていなかったのであろう。

 ここに来るまでに何回か見た、上流に素早く逃げる魚影は、大きな魚ではなく浅い川底にあるただの石ころであったのだ。 州をゴミや流木の塊と見間違えたり、船底に何度となく擦っていた石ころを大きな魚と勘違いしてしまったのである。

 州を州と判断し、水面下の黒い影を石ころだと気づいていればこのような無様なまでの横転劇はなかったのである。 川のことを余りにも知らなかったツケがもろに及んだというのが実感である。 成るべくして起きただけのことであろう。


 笑って済まされるのは、たぶん、このように早めに座礁、転覆したからに他ならない。 多くのことを勘違いしたままその先に進んでいれば、もっと大きな勘違いを重ねて、最悪の事態を招いたかも知れない。 とにかく、漕ぎ始めてからほんの僅かな時間で座礁、転覆してしまったのである。 目線の低い位置から見たもの、感じたもの、身に起きたもの、このすべてを正確に捉えることができ、的確に対処、判断していたならばもう少し下流まで下れたはずだ。
たぶん...

 この川下りには私なりの想いがあった。
単独でゆっくりと下ること。 下りながら、信濃川にかかる橋を写真に撮ること。 州に上陸して昼寝をすること。 川面から川岸の人々を見上げながら眺めること等であった。 だが、私の未熟さがこの想いをことごとく打ち砕いてしまった。

 川の真ん中からカヌーを引きずりながら左岸側の州へと向かう。 横転の際に片方のサンダルを流してしまったので、足には片方しか履いていない。 サンダルを履いていない片方の足が石ころにあたって痛い。 それにヌルヌル滑って歩きづらい。 しかも、腹が減って底力が出ないのである。 流してしまった食料のパン、おにぎり、飲み物がうらめしく思えてしまう。

 重く痛い足を引きづりながら、ようやく州の岸に辿り着くことができた。 州から左岸側の流れを見渡し、その流れの速さに怖れ戦くのである。 速過ぎる。 20m程度だと思っていた川幅が実際には30mくらいあった。 どうしよう。 力強く必死に漕がないと対岸には渡れないと直感する。 その対岸には、ブロック護岸が張ってあり、急な法勾配になっている。
漕ぎ着けたとしてもそこから上陸するときに掴まる草木すらないのだ。 しかも、座った状態でどうやってカヌーを接岸させておくのか。 掴まるものは何もない。 独り思案に暮れるのであった。




 再び空復感が込み上げてきた。 こんな状況下でも人間て奴は空腹感を抱くものなんだと知り愕然とするのである。 少しくらい腹が減っただけでは死なないが、大河の中で転覆して死ぬかも知れないという時に非常にも空腹感が襲うのである。 なんて奴なんだ俺は...。

 州の岸辺に腰を下ろし、釣り人の小さく見える右岸の方を眺めた。 こっちの様子などまったく意に介していないのである。 彼らに助けを求めようか、それとも携帯電話で小千谷市消防署に救助を要請しようかと短い時間ではあったが、いろいろと思いを巡らせるのである。 と同時に今晩のテレビニュースや明日の朝刊の見出しが鮮明に脳裏をよぎる。 「中年男、無計画にも無謀な川下り.....。」 そんな恥ずかしい真似だけはご免だ。 

 暫くして、何が何でも自力で対岸に辿り着くんだという決意が沸いてきた。 最短距離を力強く漕ぎきれれば何とかなるだろうと思えるようになった。
向こうに辿り着けさえすれば、ブロック張りの法面に何としてでも這い上がれると自分に言い聞かせた。気力が満々となったように感じた。 やるなら今だ。この気力の充満した今を逃す手はない。

 意を決し、素早くカヌーに乗り込み、30m先の対岸の一点を目指してパドルを思い切り漕いだ。
力強い流れを横にまともに受けるものの大きく流されることもなくブロックのところに辿り着くことができた。 思ったよりも簡単であった。 気力が勝ったということであろうか。 だが、ここからが問題だ。 どうやって這い上がればいいんだろう。 掴まる木々が何もないのである。

 ブロックのつなぎ目の僅かな突起部に指をかけてみるが、指先だけではカヌーと私の体は支え切れなくなるのだ。 そうこうしている間にもカヌーは流されていく。 流されながら何度も挑戦するのであるが、その度に手を払われるようにして拒まれるのであった。

 ブロック沿いに50mほど流された。 その時、あることが思い浮かんだ。 ここの水深はどれくらいなんだろう...。 浅ければ川の中に降り降り立ってからゆっくりとブロック護岸にアタックできるのではないか。 パドルを川に突き刺してみれば深さがわかるのでは...

 そこは1mくらいの深さしかなかったのである。 なーんだ浅いじゃん。 過度な緊張がスゥーっと解き離されるのを感じた。 カヌーのヘリから足を乗り出して川の中に滑り降りてみた。 胸の下くらいまで体が沈んだであろうか、充分立てる深さである。 川底も結構平らだ。 何故、こんな簡単なことがすぐにも思いつかなかったんだろうと悔いてはみるが自分の浅はかを呪うより外にないのである。 

 人は、状況の変化に伴って、パニックになることがある。 その状況が的確に把握できていないときほど対応もできないのである。 他人から見れば、とるに足らないようなことであっても本人には見えないことがある。 特に自然と対峙しているときは、それが命取りになることもある。 私にはそのきらいがあるので気をつけなければならいと思っている。 (完)


−謝辞−
 こんなお粗末な川下りの顛末、はたまた読みづらい駄文を忍耐強く読み進めてくださった奇特な皆さまに心より感謝申し上げます。
有り難うございました。