わたしの
キャンプとの出会い
2000.11.12 筆
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わたしがキャンプをするようになったきっかけを披露させていただきます。 お暇なときにでも読んでいただき、ご自分の体験を思い出していただければ幸いである。 |
| はじめに |
テントを張ってそこで寝泊まりするいわゆるキャンプなるものを初めてやってみたのは、十九歳(昭和47,48年ころ)くらいの時であっただろうか。 実は、このテント泊キャンプの前に壮絶なキャンプを体験しているのである。 そのことについては、以下の「壮絶なるキャンプ初体験」の項を読んでいただきたい。 |
| 壮絶なるキャンプ初体験 |
テント泊キャンプを体験する半年くらい前だったと思うが、ある友達から「三人で、今度の土日曜にキャンプに行かない?」って誘われたのがきっかけであったような気がする。 この一言が後にとんでもないことになるのだが、この時点では知る由もないのであった。 わたしともう一人の友達は、キャンプなるものを初めて経験するわけであるから、すべての計画をその友達のなすが儘に委ねたのである。 つまり、白紙委任してしまったのである。 その友達は、高校時代は生物部に属していてスハマソウの生育研究かなんかで全国優勝したスタッフの一員であって、野営についてもかなりの熟練者でもあったのだ。 否、そう信じていたのである。 数日後の雨降りの夜、その友達が我々二人を迎えにやってきた。 期待に胸を膨らませて待っていたなにげに育ちのよい二人は「こんな雨降りに何処でキャンプするの?」って尋ねると、彼は「雨降りでテント張れないじゃん。で、栖吉の山奧に余り知られていない小さな神社(祠)を見つけたから、そこに行こう!30分くらいで行けるからさぁ。」って平然と言い放つのである。 二人は、「えっ。神社で? そんなとこで泊まれるの?」と聞き返したのであるが、「鍵がかかってないから大丈夫!」と彼は自ら頷いて答えた。 「いや、そういう問題じゃなくて...」と抵抗しようとする二人のひ弱さなどまったく考慮してもらえず、ほどなく現地に到着してしまったのである。 辺りは真っ暗闇で、しかも土砂降りであった。 彼は、懐中電灯を照らしてセダン車のトランクに満載してきた怪しげな道具を二人に割り振るのである。 実に手慣れている。 「なんして、こんなでかいガスポンベなんかあるの?」っておそるおそる尋ねる二人。 「山用のコンロが故障してたから、家のプロパンとコンロ持ってきたよ。」と何でもないかのように答えるのであった。 その直後、背負子(しょいこ)が勝手にわたしの背中に取り付けられたのである。 「えっ。まさか?」って蚊の泣くような抗議の声なんか彼には届くこともなく「ここから、20分くらい歩かなきゃならないんだけど、途中で交替すっからさぁ。」って彼が指さした方向には木々が覆い被さって急な細い山道が見えた。 その先は真っ暗闇。 それに寒々とした雨降り。 プロパンのボンベを背負わされてしかも両手に何かを持たされたわたしは、もう一人の友達と言葉もなく呆然と立ちつくすのである。 何度も書くが、辺りは真っ暗闇で雨の音しか聞こえない...。 その先には細い坂道が。 わたしは、涙を堪え、ひどすぎる!と心の中で叫ぶのであった。 もう一人の友達は鼻水を垂らしていたように見えたのであるがもしかしたらわたし同様に涙だったのかも知れない。 20分くらいだと言われたが、ぜいぜい息を吐きながら急坂の夜道を1時間も歩かせられたのではないだろうか。 少なくともわたしにはそう思えてならないのだ。 絶対、そうに違いない。 その祠は、床面積六畳くらいの掘っ建て小屋のようなみすぼらしいものであったが、床は板張りでゴザが敷かれていた。 誰かが定期的に掃除にやってくるのか、思ったよりは小綺麗であった。 そこにプロバンを下ろして、さっそく夕食の準備に取りかかる。 もちろん、彼がである。 何を食べさせられ、何を飲まされ、どんな話をしながら寝たのかはあまり覚えていないのであるが、難儀して大きなプロパンガスのボンベを持って行った意味がわたしには未だにわからないのであるが、それにしてもお粗末な食事だったということだけは生涯忘れはしない。 たぶん、お湯を沸かしてインスタントラーメンを食べさせられたり、ネッスルコーヒーを飲ませられたりしたのだと思うが他のことは思い出せない。 余り思い出したくもないからあれからずーっとそれ以上の詮索はやめているのである。 このように、のっけから、期待と不安に胸を弾ませたりした苦しくも楽しい?何が何だかわからないような未知なるジャンルを経験させてくれた偉大?な友に感謝したい。 彼の名は、オコノギと云う。 オコノギの「ギ」は鬼という字である。 |
| 二回目のキャンプ(テント泊初体験) |
このようなことがあってから半年後くらいにようやく憧れのテント泊をすることになった。 角田浜である。 ひじょーに嬉しかったのであるが、一つだけどうしても気がかりなことがあった。 今回もその彼が一緒なのだ。 参加人員はみんなで5人であるが、場所は違うものの夜中に現地に着いて、着いて直ぐに食事を作って食べるというシチュエーションだけは前回と同じである。 一瞬イヤな予感がするものの今回は背負子がないし、雨降りでもない。 何と言ってもプロパンのボンベの姿がないことはこの上もない幸せである。 満天の夜空には綺麗な星が輝いている。 渚に打ち寄せる波の音が心地よく聞こえてくる。 結局、その夜は美味い焼き肉や焼きそばなどを食べて、何事もなく翌朝を迎えたのである。 ところが、朝、食事を作っていたときにその懸念が的中したのである。 炊き立ての真っ白いご飯に誰も振りかけていないというゴマ塩がたっぷり....。 気持ちがわるくてとても食べられるようなものではないほどに。 わたしは彼を疑ってみたのであるが、その疑問は直ぐ解明された。 彼のせいではなく砂浜と風の仕業であったのである。 ゴマ塩の正体が「砂」ってことは、たぶん、夕べの食事にもたっぷりとかかってたハズである。 夕べは焼きそばと焼き肉を食べたんだっけ...、砂を一緒に?。 これが二回目のキャンプである。 でも一回目のより遙かにお気楽ご極楽キャンプであったということを付け足しておくことにする。 あんなのに較べりゃ何だって許せるのであった...。 |
| 三回目のキャンプ(テント泊二回目) |
さて、三回目のキャンプは20歳くらいの時だったと思う。 わたし自身は、前の二回のときはキャンプ道具をまったく持っていなかったのであるが、三回目のキャンプでは赤い「カセットコンロ」を購入した。 併せて、鍋、湯沸かし等がセットになってコンパクトに畳める「コッフェル」なるものも購入したのである。 兵式飯ごうも買った。 テントは、見附市の貸出用の黄色の三角テントを借りた。 これだけの装備で、これから2、3年後にわたしの女房となるHIROKOと海辺にテント泊のキャンプに行ったのである。 詳細については、インターネット倫理規程に抵触する内容となるおそれがあるのでここでは割愛することにしたい。(たいしたことはないのだが、あははは。) |
| あとがき |
爾来、キャンプのたびに道具が増え、途中で淘汰したものもあるが、今では何泊でもできるくらいの装備を有するまでになったのである。 こどもが成長して相手にされなくなった今、女房と二人で年三、四回行くには多すぎるほどの道具、ここらで機能面を重視してスリムになるようにまとめてみたいと思う。 つまり、いつでもすぐに行けるように装備はコンパクトにというのが狙いであるが、この道具たちの一つ一つは、我が青春の「想いで」でもある。 そのうちに、道具たちの紹介を写真付きで書こうと思っている。 キャンプに興味のある方は期待していただきたい。 |