張込み

日 1958年 116分

製作 小倉武志
監督 野村芳太郎
原作 松本清張
脚本 橋本忍
撮影 井上晴二
美術 逆井清一郎
音楽 黛敏郎
出演 大木実 宮口精二 高峰秀子 田村高広 高千穂ひづる

関連映画

野村芳太郎

ゼロの焦点

砂の器

宮口精二

七人の侍

 松本清張=野村芳太郎コンビによる最初の映画。世評では「砂の器」がこの黄金コンビの最高傑作になっているが、僕はこれがベストだと思っている。ちなみに原作は文庫本でちょうど30ページの短編だが、無駄を一切省いた和製ハードボイルドといえる珠玉の名品だ。

 東京江東区で強盗殺人事件が発生。2人組の犯人のうち主犯格山田はすぐに捕まるが、もう一人石井は拳銃を持ったまま逃走している。山田の供述から石井が胸を患っていること、かつての恋人さだ子の話をしばしばしていたことから、若い柚木と勤続20年のベテラン下岡の両刑事は石井がさだ子の元に訪れると判断、彼女が住んでいる佐賀に向う。しかし、さだ子は20歳も年が離れた銀行員の元へ後妻として嫁ぎ、先妻が残した三人の子供の世話をしていた。二人はさだ子の家の前の木賃宿に泊まり張込みを続けるが、石井はなかなか現われない・・・。

 僕が古い日本映画を見るようになったのは、昔の日本人の生活風景に興味を持ち始めたからだ。そして、この映画はその興味を十分に満たしてくれる。二人の刑事が横浜発鹿児島行きの夜行列車に乗ると席は満員、二人は仕方なく床に座り込む。夏の盛りだがもちろん冷房などないから蒸し風呂状態、男はみんな下着姿で扇子をパタパタやっている。また、東海道本線は電気機関車だが、山陽本線に入ってからは蒸気機関車になり、煙をモクモク吐きながら走るSLの雄姿は、それが白黒画面だとなおさら味わい深い。佐賀ではさだ子が日がな一日ミシンを踏んだり廊下を雑巾がけしたり家事にいそしんでいる。それを向かいの木賃宿の二階から監視する柚木はランニングシャツ、下岡はステテコ姿。暑い日には宿の主にかち割り氷を貰ってきて一緒にかじる。夜になると、階下では宿の主と客が一緒になってラジオの音楽番組に耳を傾けている。毎日決まった時間にさだ子が買物に行く露天の市場の賑わい。あちこちに巡っている運河で水遊びをする子供たち。こうした東京オリンピック前の、いわば戦後がまだ続いているような時代の日本の生活風景が丹念に描写されていて、当時まだ生まれていなかったにも関わらず不思議な郷愁が湧いてくる。

 この映画の前半はある意味で退屈である。なぜなら前半部は退屈が主題だからだ。二人の刑事が見張るさだ子は、決まった時間に子供や夫を送り出し、掃除をして買物に行く。しかも、ケチな夫からは毎日100円の生活費しかもらえない。さだ子の生活はつつましい小市民のささやかな幸せということも出来るが、むしろ同じことを繰り返すだけの退屈な生活という面が強く印象付けられる。だから、彼女を見張っている若い柚木は「後妻。二十も年上の夫。そして三人の子供。一日、百円でしきられた買い物。いや、それにしても、あまりにも生気がない。全然生き生きしたところのない女だが、この女が・・・」と述懐する。

 しかし、主題が退屈を描くことであっても、描き方そのものが退屈では観ている方はやりきれない。そこで、時々事件のあらましや柚木の結婚の話が、柚木自身の回想で巧妙に織り込まれる。また、さだ子の下に来た手紙や、彼女の不意の外出がサスペンスを盛り上げる。さらにカメラが終始二人の刑事に密着するか、彼らの目線でさだ子に密着しているので、観ている方は彼らにすっかり感情移入させられる。もちろん彼らの焦燥と共に退屈も感じるわけだが、映画そのものは退屈さの微塵もない。「退屈」を面白く描く、という矛盾するようなことを、この映画では非常にうまく描いていると思う。

 やがて、張込みを始めてから一週間が経ち、そろそろ本庁へ戻ろうかと二人が相談している矢先、さだ子が買物の時間でもないのに手ぶらで出かける。柚木は慌ててその後を追う。この辺りからドラマは急展開して、画面に躍動感が漲り始める。柚木がお祭りの行列にまぎれてさだ子の行方を見失う場面ではカメラが激しく左右にパンする。そして、さだ子が石井と思われる男と温泉に向うバスに乗ったのを突き止めた柚木はタクシーでその後を追う。この場面ではヘリコプターの空撮が用いられており、それまでの展開から考えられないようなダイナミックな映像だ。途中で発破作業に出くわす場面も派手な爆発の描写があるし、温泉街に辿り付いた柚木が二人の後を追って林の中を小走りに走る場面も、木々の間からチラチラと差す木漏れ日が画面を賑やかにしている。

 なお、この映画は松竹初のワイドスコープ(シネマスコープか?)を用いた映画ということ。動きのあまりない前半でも横に長い画面が効果的に用いられていたが、この後半ではその威力が爆発!さだ子と石井の姿を求めて柚木が彷徨う、低い山が連なる高原のパノラミックな景観が、圧倒的な迫力と美しさで迫ってくる。また、この映画ではどの構図も非常に安定していて座りがよい。フォームがとても綺麗なので観ていて惚れ惚れさせられる。もちろん野村芳太郎のセンスなのだろうが、松竹の伝統でもあるのだろう。

 さて、柚木は川のほとりでさだ子と石井を発見する。柚木は石井がさだ子を道連れに心中を図るのではないかと恐れていたのだが、実際にはあの生気のない退屈そうなさだ子が子供のように無邪気な表情で石井と戯れている。沖縄へ行くという石井についていくと決心を述べるさだ子の変貌こそが、「張込み」の真の主題だ。愛のない単調な生活に倦んでいた女が、自分の人生を取り戻そうと情熱を燃やす、この心情が高峰秀子の名演で浮かび上がる。恥ずかしながら、僕は高峰秀子をこの映画で初めて観たのだが、前半のほとんど無表情で背中で語る演技から、後半の石井への愛情が全身から迸る演技まで、日本を代表する女優であることは知っていたが、実際こんなに素晴らしい女優とは思っていなかった。ホントに素晴らしすぎる!

 この後二人が温泉宿に入ってから柚木と下岡は合流して、さだ子が温泉に入っている間に石井を逮捕する。これに先駆けてさだ子と石井が高原にいる時に、遠足の子供たちが「う〜さ〜ぎ お〜いし〜 か〜のや〜ま〜」と「故郷」を歌う場面があり、この逮捕の時も石井が側の木から葉っぱをちぎって草笛で「故郷」のメロディを奏でる場面があるが、なんとも言えない情感がこもっていて素晴らしい。また、この後で柚木から事情を知らされたさだ子が泣き崩れる場面も、高峰秀子のパセティックな演技が胸を打つ。そのさだ子の後姿に、柚木は今からなら旦那が家に戻るまでに帰れる、と言ってバス代を置いていく。そして、柚木は「この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった。今晩からまた、あのケチな夫と先妻の子供たちとの生活に戻らなければならない」と述懐する。小説はここで終わり、映画は二人の刑事と石井が乗り込んだ列車が出発する場面で終わる。小説の方が運命を前にした諦観が滲み出ていてハードボイルドタッチが利いているが、映画は柚木が石井に立ち直るように励まし、悩んでいた自身の結婚に踏み切るというささやかなエピソードがあり、人情味に溢れている。どちらも素晴らしい余韻が残る幕切れだ。

 二人の刑事が凶悪犯を追うリアルなサスペンスという見地からも見事だが、運命に抗いながらも押し流される女の悲劇としても感銘深い。地味といえば地味だが渋い光沢のある第一級の作品。僕は日本映画の中でも10指に入れたいほどこの映画を気に入っている。

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