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十三人の刺客 日 1963年 125分 |
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監督 工藤栄一 |
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関連映画 嵐寛寿郎 西村晃 菅貫太郎 丹波哲郎 ・豚と軍艦 ・切腹 ・網走番外地 ・怪談 ・砂の器 ・魔界転生 |
将軍の弟であることをよいことに悪政の限りを尽くす明石藩藩主松平斉韶を粛清するために、老中筆頭土井大炊頭利位は大目付島田新左衛門に暗殺の司令を下す。新左衛門は与力の倉永左平次と共に決死隊を募り、参勤を終えて国許へ帰る松平斉韶を襲撃する計画を立てる。 これは東映の「集団抗争時代劇」ジャンルを確立させたという意味で歴史的な映画であり、後続の「仁義なき戦い」などを生み出す出発点となっているわけだけれど、評論家でない僕にはそんなことはどうでもよい。それよりも1個の映画としてとても充実して見応えがあった。 まず素晴らしいのは、きっちりした構図が多いこと。冒頭に描かれる明石藩江戸老中の抗議自殺のシーンに代表されるように、対象を正面から捉えたシンメトリックな構図、画面の奥行きを生かしたパースペクティブな構図が多用されている。これが非常にフォトジェニックで観ていて惚れ惚れするくらい。さらに、昨今の映画のやたらと細かいカット割に比べるとそれぞれのカットが長く、それが映画自体に重厚な雰囲気を与えている。 決死隊を募ったり宿場町を決戦の地にする点など、プロットは「七人の侍」や「用心棒」にかなり影響を受けているようだ。ただし、この映画では敵役の方にも鬼頭半兵衛という軍師がいて、新左衛門の襲撃計画を察知して裏をかいたり、丁々発止の頭脳戦が展開する。ここが中盤を支える見どころになっていてとても面白い。 また、武士社会の理不尽な面を描くという点は前年公開の「切腹」、翌年公開の「武士道残酷物語」と通じるものがある。特に斉韶の非道によって息子と嫁を殺された尾張藩の牧野靭負のエピソードなど心を打たれる。主君の素行を非難しつつも侍として忠義を尽くさねばならない鬼頭半兵衛のジレンマもしっかり描き込まれているし、斉韶の暗殺命令を受ける新左衛門の淡々とした姿も実感がこもっている。新左衛門の姿にはずっと後の「たそがれ清兵衛」を思い出させるものがある。 後半の見どころは何と言っても映画史上最長といわれる13対53の集団チャンバラである。宿場町を新左衛門が買い取って迷路・要塞化し、斉韶一行を誘い込んで襲撃する、という筋書きはよく出来ている。が、実のところ期待していたほどの興奮はなかった。狭い路地での肉弾相打つ乱戦など、当時としては目新しい要素は多かったと思う。しかし、あまりに宿場町が細分化されてしまったため、暗殺側がいくら斬っても敵が一向に減ったように思えないのが興をそぐし、仕掛けた罠があまり機能的に効果していないようにも感じられた。また、それまでの歌舞伎的な美しさに力点を置いた舞踊的な殺陣を排し、斬りあいとは無縁の時代に生きている侍同士の斬りあいをリアルに描くというのがこの映画の眼目なわけだが、今日になって観てみると意外と間延びしている。むしろ戦前の大剣客スター、嵐寛寿郎の殺陣の方がリアルな中に舞踊的な要素が感じられてよかった。それにしてもアラカンの殺陣が(短いカットとはいえ)見られたのは有り難い。ちなみにリアリズムという点で言えば、平山九十郎に関する演出が非常にリアルに感じた。この人は「七人の侍」の久蔵に当るキャラクターで凄腕の剣客なのだが、それまで勇猛かつプロフェッショナルな戦ぶりを見せていたのに、斉韶を討ち果たした合図を聞いて生き残れたことにホッとした途端、死に物狂いに向ってきた敵の侍を見て無様に逃げ惑い、挙句にあっさりと斬られてしまう。斬られた瞬間に仰け反って口から大量の血を吐くなど、これ見よがしな描かれ方をしているが、これは劇中の「死なんとすれば生き、生きんとすれば死す」という台詞の皮肉な再現といえる。 そんなこんなで、クライマックスに若干喰い足りない部分がないでもないが、最近の映画ではお目にかかれないくらい重厚でしっかりした作りの映画であり、「映画を観た」という気分にさせてくれる立派な出来である。その意味で俳優の充実ぶりが素晴らしく、僕の見る映画にはあまり縁のない片岡千恵蔵や嵐寛寿郎、内田良平などみな素晴らしかった。特に千恵蔵は口跡も貫禄があり、その風貌も含めて日本のジャン・ギャバンと呼びたいくらいだ。山城新伍が「七人の侍」の菊千代を彷彿とさせる役で出ているのがご愛嬌。 |