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怪談 日 1965年 181分 |
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製作 若槻繁 |
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関連映画 小林正樹 ・切腹 三國連太郎 ・切腹 仲代達矢 ・用心棒 ・切腹 ・椿三十郎 ・上意討ち 拝領妻始末 ・影武者 丹波哲郎 ・豚と軍艦 ・切腹 ・砂の器 ・魔界転生 |
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの有名な短編集から「黒髪」「雪女」「耳無芳一」「茶碗の中」の4編を選んで映画化したオムニバス映画。4編とはいえ181分ある超大作で、9ヶ月の撮影期間と3億2千万もの制作費をかけて作られたとのこと。 原作自体が単なる怪奇ものではなく、幽玄さを感じさせる芸術的なものなのだが、この映画版も怪奇映画とはレベルの違う高尚な作りになっている。オープニングの赤や青、黄などの絵の具が水の中にゆっくりと広がっていく、美しくも妖しい場面からその耽美的な世界観に引き込まれてしまう。 「黒髪」は出世のために妻を捨てた男が、数年の後に改心して妻の元に帰るが、朝目が覚めてみると昨夜添い寝したはずの妻は白骨となっており、男の肉体は家屋とともに急速に朽ち果てていくという話。死んだ妻の想いが自身の肉体と家屋の崩壊を止めていたのか、それとも妻の恨みの念が男に罠をかけたのか、どちらにしても堰きとめられていた時間が一気に流れ出して肉体・家屋ともに崩壊をはじめ、男もその渦に巻き込まれてみるみるうちに老化してしまう。この「時間の流れ」はちょっと「浦島太郎」の玉手箱を思わせ、まるで時間旅行SFのような趣がある。それまで非常に安定していたカメラアングルが、家屋の崩壊とともに斜の構図を強めながら激しく動いて観客の恐怖を煽るのも、映画文法のお手本といえる。荒れてはいるが広大な屋敷とその周囲に生い茂っている雑草のセットも規模が大きくて素晴らしい。 「雪女」は吹雪の夜に雪女が人をとり殺したのを目撃した男が、その夜のことを決して誰にも話してはならないという条件で助けられ、その後美しい女(実は雪女)を嫁にして子供ももうけるものの、嫁にあの夜のことを話したために去られてしまう話。書割の背景に浮かぶ目のようなデザインが、まるでダリの絵を思わせるようなシュールな感覚で、雪女の監視を象徴しているかのようだ。通常の色彩から一転して青を基調にした色彩に変わる照明も効果的。雪女が約束を破った男を殺すことが出来ず、子供たちを決して不幸にさせないように念を押して去っていく終章もしんみりさせられ、男が嫁のために編んだ草履を雪の降る屋外にそっと置いておくと、消えるようになくなっている場面も夫婦の情愛が滲み出ていてよかった。 「耳無芳一」は盲目の琵琶法師芳一が、壇ノ浦で敗亡した平家一門の亡霊のために琵琶を弾じる羽目になり、そうと知った僧侶が芳一を亡霊から救おうとする話。序盤のセット内での実写ときらびやかな錦絵のカットバックで描かれる壇ノ浦の合戦、屋敷(実は墓所)に集う平家の亡霊など非常に幽玄な魅力に満ちている。しかし、何と言っても亡霊から身を隠すために全身に般若心経を書き込んだ芳一の姿が視覚的なインパクト絶大。芳一が唯一般若心経を書いていなかった両耳を奪われるという異様なエピソードは原作のお手柄だが、それでも画面として見せられると戦慄せずにはいられない。セット中心ではあるが、時々挿入される荒々しく波打つ壇ノ浦の実写映像もセットと対照的な開放感があって効果的。琵琶の演奏と平家物語の節も見事で酔わされる。平家の武者役の丹波哲郎の硬質な個性や寺男役の田中邦衛のどこか抜けたような演技も秀逸。 「茶碗の中」は題名どおり、見知らぬ男の顔が浮かんだ茶碗の中の水を不気味に思いつつ飲み干した男が、怪異な現象に悩まされる物語で、4編中最も不気味で恐ろしい。周りに誰もいないのに茶碗の中の水に人の顔が映っている、というシチュエーションがとても気味悪く、しかも、自分の正面から投影されていたはずの影が、いつのまにか自分の側から投影されているというくだりが更にショッキング。城での勤めの折に茶碗に映った男がどこからともなく現れる一幕では、西洋風の時計のモダンな形態とその音が巧みに使われて異様な感じを出している。赤・緑・黄色の服を着た例の男の家来たちが主人公のもとにやってくる一幕も面白い。が、このお話そのものにはオチがなく、このお話を書きかけていた作家が行方知れずになり、どうしたものかと探していた下宿の女将と版元がその顛末を知るというところがオチになる。ここが全編を通して一番恐ろしく、これに先立つ杉村春子の悲鳴に僕は飛び上がりそうになった。 この4話目が「怪談」に相応しい恐ろしさを漲らせてはいるが、どの話も基本的にシュールで耽美的に描かれている。その最も分かりやすい例は徹底的に様式化されたセットの美しさ。時にはリアルに、時には表現主義的に、時には幻想的に作られたセットの様式的な美しさをすべての話で堪能できる。また、それに準じた照明の効果も見逃せない。僕はそれまでセットや照明に注目したことがあまりなかったが、この映画でそれらが映画にとっていかに重要であるかを再認識させられた。 武満徹の音楽は、まるで通常の楽器ではなく、例えば金属を擦り合わせたような不思議な音色を聞かせ、しかも、メロディーをぶつ切りにしたような効果音的な扱いがユニーク。それが登場人物の心理とピタリと寄り添って効果をあげている。 1カット毎が比較的長くじっくりと描写されていているためテンポが緩やかで、そこになんともいえない幽玄さが醸し出されているのも見逃せない。また、各カットのアングルも非常に安定感があり絵画的な美しさに溢れている。小林正樹の監督ぶりが見事だ。 というわけで、芸術至上主義的ともいうべきスタンスで作られたこの映画を観ていると、まるで美術館で絵を鑑賞しているような錯覚に陥る。ただし、僕もたまに美術館へ絵を見に行くが、2時間くらいいると飽きてくる。疲れてしまって緊張感がなくなるのだ。この映画も「耳無芳一」が始まる頃には疲れてきた。こればかりはいかんともしがたい。 それでもこの映画が傑作であることは疑う余地もない。映画が持つ魔術の一面を拡大して見せてくれる、そんな稀有な映画である。 |