![]() |
魔界転生 日 1981年 122分 |
|
製作 角川春樹 |
|
|
関連映画 深作欣二 沢田研二 千葉真一 緒方拳 ・砂の器 丹波哲郎 ・豚と軍艦 ・切腹 ・怪談 ・砂の器 |
山田風太郎は僕の大好きな作家の一人だ。どの作品も自由奔放な想像力が生み出すエログロナンセンスに溢れ、一度味わうと病みつきになるほど麻薬的な強烈さに満ちている。それでいて異様なほど歴史考証が綿密で、描写も場面が目に浮かぶほどリアルなので、一層性質が悪い。要するに、本を読む楽しみが目一杯詰まっているのだ。山田風太郎は日本文学史上江戸川乱歩と比肩する怪人だと僕は思っている。 その山田風太郎の代表作のひとつ「おぼろ忍法帖」を映画化したのが本編。ちなみに、後に「忍法魔界転生」と改題した。 原作は上下2巻の大作だが、それを2時間の枠で映画化するのはかなり大変。ところが、映画版では原作をかなりアレンジして、しかも成功している。というわけで、原作と映画の比較から脚色のうまさについて考察してみる。 まず、原作が幕府転覆の首謀者を慶安の変を起こした由井正雪(その陰謀に忍法魔界転生を編み出した森宗意軒と次期将軍職を狙う紀州藩主徳川頼宣が絡む)にしていたのに対して、映画は島原の乱の指導者だった天草四郎時貞を首謀者に据えている〈原作でも魔界衆の一人として天草四郎は出てくるが、森宗意軒の片腕として登場し、映画版ほど重要なキャラクターじゃない)。ここがまずうまいところ。由井正雪はその歴史的重要性は別として一般にあまり知られていないが、天草四郎なら一般にもよく知られている。また、島原の乱を前提とすれば幕府への反逆も天草四郎なら十分に説得力があるし、隠れキリシタンということが一種魔術的なイメージを喚起する。映画のキャッチコピーにもなった「エロイム・エッサイム、我は求め訴えたり、エロイム・・・」という呪文など摩訶不思議な感じでインパクトがある。もっとも、こうした改変は天草四郎役に沢田研二を据えるという企画があったからこそかもしれない。それほどジュリーの美しくも退廃的な魅力は絶大で、本来柳生十兵衛が主人公でありながら完全に主役になっている。真田広之扮する霧丸とキスする場面など両性具有的な怪しげな雰囲気に満ちている。やはり、この映画の企画はジュリーあってのものだったに違いない。 次に魔界衆として原作には出てこない細川ガラシャを登場させた点。原作では魔界衆には女は一人もおらず、その代わり剣豪たちの転生を助ける「忍体」である美女が森宗意軒につき従う。死の間際の剣豪たちがこの「忍体」たちと交わって、後に「忍体」である女の体を突き破って転生する(「エイリアン」の元祖といっていい)というのが原作の趣向で、これが不気味なエロチシズムとグロテスクを生み出している。しかし、これを映画でやるとポルノになってしまうから、原作のエロチシズムを残すために戦国時代屈指の美女で、その波乱の人生から屈折した魅力を持つガラシャを登場させたと思われる。このガラシャがその妖艶さで将軍徳川家光に取り入ってたぶらかすという設定はうまいし、佳那晃子がちょっと目が吊り上がった鋭角的な容貌と脱ぎっぷりで原作の持つエロスの一端を見事に表現している。 魔界衆は原作では天草四郎、荒木又右衛門、田宮坊太郎、宝蔵院胤舜、柳生如雲斎(柳生兵庫助)、柳生宗矩、宮本武蔵ら7名が出てくるが、映画では荒木又右衛門、田宮坊太郎、柳生如雲斎が出てこない。全員描くとそれだけ時間がかかるからはしょったのだろう。その代わり伊賀の霧丸という若い忍者を魔界衆として登場させている。これは真田広之を売り出す戦略もあったのだろうが、忍者を出すことで剣豪同士のチャンバラに終始しそうなアクションに変化を与えるためかもしれない。実際伊賀の隠れ里が襲撃される場面ではいかにもJAC(ジャパンアクションクラブ)らしい飛んだり跳ねたりの軽快なアクションを見せるし、島原の乱の鎮圧を担当した伊豆守を魔界衆が襲う場面では狭い天井裏を駆け回る忍者らしいアクションを見せる。また、魔界に転生しながらも人間の心を捨てきれず、師匠のような存在の柳生十兵衛に切ってくれと頼んだり、孤児の少女(不細工)と逃げようとして天草四郎に殺されたり、なかなか人間味に溢れた存在として描かれ殺伐とした物語展開に趣を与えている。この頃の真田広之はまだ演技はうまくないが、初々しい魅力があってよい。 原作では生まれ変わった魔界衆とはいえ普通の刀で殺せるという設定だったと思うが、映画では村雨が鍛えた刀でしか殺せないという設定になっている。これはいうまでもなく「南総里見八犬伝」に出てくる妖刀村雨がモチーフになっており、思わずニヤリとする粋な趣向であるとともになかなか説得力がある。鍛冶師村雨に扮した丹波哲郎が拝めるという利点もある。ただし、村雨と十兵衛を襲いにきた宮本武蔵が村雨の養女お通(これは吉川英二の「宮本武蔵」で有名なあのお通の姪という設定)が吹く笛の音で撃退される場面は、とぼとぼ帰っていく武蔵の後姿が何とも間抜けで笑かしてくれる。 また、原作はあくまでも柳生十兵衛VS魔界7人衆のバトルを描くのが主眼だったが、この映画版では天草四郎が農作物に呪いをかけて不作にしたり、鹿狩りに来た家光が強訴しようとした農民をゲームのように矢で射殺したり、天草四郎の煽動で農民たちが一揆を起こすエピソードなどに代表されるように、幕府転覆を目論む天草四郎の暗躍が主眼となっている。そこに脚本に加わった深作欣二のいかにも反権力的な個性が感じられる。 そんなわけで、長い原作を2時間の枠に巧みにアレンジし、かつ十兵衛よりもむしろ天草四郎にスポットを当てた脚本の意表を突く面白さが、この映画を支えているといっていい。 もちろん登場する役者たちもそれぞれ個性を発揮して面白い。ジュリーの強烈な個性は言わずもがなだが、こめかみの血管が今にも浮き出しそうな柳生十兵衛役の千葉真一の熱演も、いかにもこの人らしさが出ていていい。宮本武蔵を演じた緒方拳の重厚な演技も印象に残る。個人的に素晴らしいと思ったのは若山富三郎の柳生宗矩。この人の静謐でありながら強烈な存在感と、殺陣で見せる見事な体捌きには唸った。特に炎上する江戸城を舞台にバッタバッタと侍たちを切り捨てる場面は、歴代時代劇でも相当上位にランクされていい剣戟場面だと思う。 監督は深作だからテンポが早くアクションも切れ味がある。上に書いた炎上する江戸城での殺陣はクライマックスに相応しい迫力だ。ただし、技術的な問題とはいえやはり深作には特撮はあまり向いていないように思う。ちゃちな特撮も堂々と見せてしまうので、却ってチープな描写になってしまうのは「宇宙からのメッセージ」や「里見八犬伝」と同じだ。そうはいっても、全編通して見応えは十分で、伝奇ロマン的なムードが漲る快作といっていい。 |