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荒野の決闘 米 1946年 97分 |
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製作 サミュエル・G・エンゲル |
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関連映画 ジョン・フォード ・駅馬車 ・幌馬車 ヘンリー・フォンダ ・アパッチ砦 ウォルター・ブレナン ・赤い河 ウォード・ボンド ・幌馬車 ・リオ・ブラボー ジョン・アイアランド ・赤い河 |
学生時代に未見だった「荒野の決闘」がリバイバル上映されたので勇んで観にいった。ところが、あまりにゆったりしたテンポとアクション場面のあっけなさに「これが伝説の名作か?」と思ってガッカリした。ところが、年を重ねてから観るとむしろフォードの意図が西部の風景と町の日常生活を描くことにあったと気付いた。と同時に、それを描くフォードの詩情豊かな筆致に心底惚れ惚れした。これはまさしく「駅馬車」と対をなす傑作だと思う。 クラントン一家に末の弟を殺されて牛まで奪われたワイアット・アープとその兄弟がトゥームストーンで保安官になる。そして、肺を病んで荒んだ暮らしを送る凄腕ギャンブラー・ドク・ホリディや彼を追ってボストンからやってきたクレメンタインとの交流を絡めながら、遂にクラントン一家とOKコラルで対決する。お話は以上のようにごく他愛ないが、眼目はひとつひとつの場面の雰囲気にある。酒場でアープがポーカーに興じているところへドクが登場する場面や、旅の役者がクラントン兄弟に脅されてハムレットを演じる一幕など、西部有数の荒っぽい町であるトゥームストーンの息吹を感じさせるに十分。一方、散髪したアープが床屋にスイカズラの香水を振り掛けられ、兄弟やクレメンタインに恥ずかしそうに告白する場面と、それに続くアープとクレメンタイとのダンスの場面は、安息日のノンビリと穏やかな空気がこちらにも伝わってくる。また、アクションシーンは非常に少なくはあるが、駅馬車に乗り込んだドク・ホリディとそれを単騎馬で追うアープの描写が「駅馬車」を思わせる激しさ。クラントン一家が待つOKコラルへアープ兄弟とドク・ホリディが向かう場面は非常に時間をかけて丁寧に描いており、伴奏をまったく用いない静寂が緊張感をもたらす。そして、アープがクレメンタインに「私はクレメンタインという名が大好きです」と告げて荒野の遥か彼方に去っていく場面の、胸を締め付けられるような切なさ。 この映画は全編にわたって雰囲気で出来ていると言っていい。そして、その雰囲気は「詩情」と言うべきレベルに達している。その詩情を生み出しているのは、西部の景観と音楽だ。屋外の場面では「これでもか」というほど空にたなびく雲を背景に取り入れており、これが西部の空の広さを僕たちに感じさせてくれる。その空に押しつぶされて低く地を這うように立ち並んでいる町並みのロングショットも忘れがたい。ジョン・フォードの西部劇でおなじみのメサの威容も相変わらず魅力たっぷり。音楽はギターの爪弾きや合唱、酒場のチャールストンなど多様だが、西部の景観との組み合わせによって絶大な効果をあげている。特にアープが末弟の墓を訪れる場面は、遥か後方のメサを含む荒涼とした風景と哀切なギターの響きが溶けあって情感溢れる名場面だ。また、クレメンタイン登場の場面に必ずつけられる「MY DARLING CLEMENTINE」は映画音楽のお手本というべき使い方で、アープの彼女に対する思慕が伝わってくる。 僕は初見の時にテンポの遅さにイライラしたものだったが、こうした雰囲気を重視した作品である以上テンポが遅いのは必然であり、だからこそこの詩情が出せたのだと今更ながらに思う。そして、アクションや変化のあるストーリーに頼らず、西部劇を一種の抒情詩として描いたジョン・フォードは空前にして絶後の西部劇作家だと思う。 それにしても、伝説的なガンマン・ワイアット・アープを哀愁溢れる純情な青年として演じたヘンリー・フォンダの優雅ともいえる演技は見事だった。 |