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肉弾 日 1968年 116分 |
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製作 馬場和夫 |
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関連映画 岡本喜八 春川ますみ 田中邦衛 ・椿三十郎 |
岡本喜八は去年(平成17年)亡くなるまで50年近くにわたって、戦争映画やギャング映画、時代劇、喜劇など娯楽映画を撮り続けた日本映画界屈指の職人監督。有名な「独立愚連隊」や「江分利満氏の優雅な生活」、「ダイナマイトどんどん」、「大誘拐」など、スマートで洒脱なスタイルと風刺精神で名作を幾つも撮った。 この映画の製作はATG(アートシアターギルド)。もともと海外の埋もれた名作を配給する会社(ポーランドの「尼僧ヨアンナ」とかインドの「大地の詩」とか)で、後に映画制作も手がけるようになった。ただ予算がなかったために、制作費は1本当たり1000万しか出せなかった(そこでATG製作の映画を「1000万映画」といった)が、その代わり若い監督の作家性を重んじた先鋭的な問題作を次々と製作し、大島渚や吉田喜重、篠田正浩などが時代に先駆けるような傑作を撮った。 岡本喜八が「肉弾」を古巣の東宝ではなくATGで撮ったのは、自身の極私的な戦争体験を、映画会社に邪魔されずに自由に撮りたかったからではないかと予想される。が、出来上がった映画は悲惨で重苦しいものではなく、いかにも喜八監督らしい飄々としたコメディタッチのものになった。 開巻いきなり昭和20年と現代(43年)の男子の平均寿命が黒板に書かれて比較される。そして、その差である21歳と6ヶ月が主人公「あいつ」が死んだ年齢だとナレーションが告げて本編が始まる。意表を突く秀逸な導入部。 終戦末期、学徒招集されて訓練に明け暮れる「あいつ」と他の兵隊は、本土に上陸するであろうアメリカ軍に対する特攻を命じられる。「肉弾」とは爆弾を持って敵に単身突撃する、要するに自爆攻撃だ。作戦遂行直前に一日だけ休日を与えられた「あいつ」は、その足で基地の側の女郎屋へ行き、そこで出会った可憐な女学生と結ばれる。しかし、「あいつ」が任務についた直後、アメリカ軍の空襲で女学生は死んでしまう・・・。 序盤の訓練の場面から不条理な笑いをからめたノンビリした場面が続く。空襲で両腕を失った古本屋のオヤジ(笠智衆)と語らう場面も情味たっぷりでいい。が、白眉は女学生が出てくる挿話。当時18歳くらいの丸ポチャの大谷直子の初々しさも素晴らしいが、雷雨の中で全裸になって爆弾をかかえて戦車に突撃練習する場面の微笑ましさと裏返しの悲惨さ。そして、薄暗い防空壕の中で明日をもしれぬ二人がひしと抱き合って、「あいつ」が叫ぶセリフ「君のためなら死ねる!」。泣いた。 国家という漠然としたもののために死ぬことを「そういうことだ」と自分に言い聞かせて納得していた「あいつ」が、初めて国家よりも価値あるものを見つけてそれを守るために死ぬんだと自覚するこの場面がリリカルで素晴らしい。戦争に行ったこともない僕にはわからないが、きっと彼らは国家のためでなくもっと身近でリアルな人たちを守るんだ、という意識で戦ったのではないか、少なくともそういう風に戦争という不条理に対して折り合いをつけていたのだと思う。 女学生が空襲で死んだと知らされた「あいつ」は、ドラム缶をくくりつけた魚雷に乗って海に出る。この何とも無骨でカッコ悪い人間魚雷のデザインも滑稽さをかもし出すが、同時に国家の戦争を超えて自身の戦争を戦おうとする「あいつ」の執念が画面に漲る。ところが、やっと見つけた敵艦目掛けて魚雷を発射すると、それはブクブクと沈んでしまい、敵艦と思っていたその船は実は糞尿を投棄するための「おわい船」で、その船長から戦争は終わったと知らされた「あいつ」は放心したように洋上を漂う。 終幕、海水浴客でにぎわう現代の海にドラム缶が漂い、その中で白骨となった「あいつ」が「バカヤロー」と絶叫を繰り返す。この「バカヤロー」は戦争を起こした国家への、そして戦争を忘れて平和をむさぼる現代人に向けられているのだろうか。製作時より遥かに後年に観た僕にもこの「バカヤロー」は向けられているような気がした。ともかく、瑞々しさやユーモア溢れるタッチで戦争の馬鹿馬鹿しさを描いた名作。制作費等の関係で多少貧しさが画面に漂うが、寺田農と大谷直子が結ばれるシーンは一生忘れないだろう。 |