![]() |
新幹線大爆破 日 1975年 153分 |
|
監督 佐藤純弥 |
|
|
関連映画 佐藤純弥 高倉健 ・君よ憤怒の河を渉れ 千葉真一 ・魔界転生 |
時速80キロ以下にスピードを落とすと爆発する爆弾が新幹線に仕掛けられた・・・って、これ「スピード」じゃん!あっ、「スピード」がパクったのか! というわけで、ハリウッドの大ヒット映画にも影響を与えた和製パニックサスペンスの秀作。アカ抜けない題名のために「どうせチャチな特撮を見せるしまらないB級映画だろう」と高を括っていて、子供の頃にテレビ放映があっても観ないで済ませていたが、今回(2006年)初めて観て驚いた!確かに75年製作だけあって新幹線の窓外の光景がモロにスクリーンプロセスだったり、新幹線爆破のイメージがあからさまにおもちゃだったりしてCG全盛時代の「スピード」に比べれば遥かに幼稚だが、ドラマの充実ぶりは「スピード」を遥かに凌駕している。いやあ、日本映画にこんなスケールの大きい秀作があるとは知らなかった。日本映画よ、ゴメンナサイ。 貧しさに、いや世間に負けた(古くてスミマセン)男たち3人が博多行き新幹線ひかり109号に爆弾を仕掛け、乗客を人質に150万ドルを要求する。以後、犯人側と警察側の息詰まる攻防、パニックを起こす乗客と危機の回避に奔走する新幹線の管制官たちの姿が交互に描かれる。 この映画の面白さは練りに練られた脚本にある。確かに金と引換えに警察に渡すため健さんが喫茶店においていった爆弾の図面が、いきなり火事にあって焼失するなんていう、ご都合主義にも程があるお笑い種の展開もあるにはあるが、時速80キロ以下に落とすと爆発する爆弾のアイデア、犯人たちの身元が明らかになるその経過、150万ドル受け渡しと逃走の段取り、新幹線に取り付けられた爆弾を発見する方法とその除去など、実にうまく作られていて飽きさせない。スケールの大きさも特筆できる。 犯人や国鉄関係者など、それぞれ立場の異なる人々の描き方も工夫があって面白い。 犯人である3人のうち、健さんは小さな町工場を経営していたが、倒産して土地も銀行に取られ妻子にも逃げられた男。織田あきらは沖縄から集団就職で東京に出てきたが長続きせず、血を売って凌いでいた落ちこぼれ。山本圭は内ゲバに疲れ果れて転向した元学生運動家。3人とも高度経済成長から取り残されたような社会的敗者である。そんな彼らが一発逆転を狙って爆弾を仕掛けるのが高度経済成長の象徴ともいうべき新幹線なのだから皮肉が利いている。 国鉄側では管制官の宇津井健が上層部と運転手の千葉真一との間に立って苦慮する姿がよく描かれている。この映画では運転手の千葉真一とともにヒーロー的な存在だが、宇津井はその生真面目さゆえに屈託を抱えたままドラマから退場する。この屈託がドラマに奥行きを与えると同時に、警察や国家への疑念を提出している。それに比べれば千葉はストレートなヒーローぶりで、最後には爆弾を処理する手柄もたてる。 その警察は犯人に金を掴ませて泳がせておき、爆弾の処理法を知らせてきてから逮捕すればいいのに、やたらと犯人を追い掛け回して織田と山本を死なせてしまい、国鉄関係者から罵倒される徹底的な間抜けぶり。しかし、それ以上に問題なのは人質に取られた乗客の命を軽んじている点。これは明らかに脚本が意図してそうしており、反警察的な考えが濃厚に表れていると思う。警察が爆弾処理にまるで関与せず、国鉄側が爆弾を処理する経過を観ていても明らかだ。これだけ何もせず役に立たない警察も珍しい。 そして、乗客たち。爆弾の件も聞かないうちから狂ったようにわめきだす妊婦や札束をちらつかせて車内電話に割り込もうとする一流商社マンをはじめとして、かなり手厳しく描いている。普通こうしたパニック映画の場合、乗客の一部は家族愛、夫婦愛、友情、犠牲、勇気など似非ヒューマニズムを発揮して、僕に吐き気を催させてくれるのだが、ここではそれがほとんどなく「馬鹿な奴は馬鹿」とドライな扱いをしているのが素晴らしい。特に産気づいてギャーギャーうるさい馬鹿女が死産するくだりと、出血多量に陥った女の顛末をつけずに放っぽったままにしているのがダンゼン気に入った。無事生まれてヒューマンな感動を与えるという安易なプロットをあざ笑うかのような見事なアンチテーゼだ。 ついでに書くと、自分では何も出来ないくせに正義の味方面して警察の方針を批判するマスコミも、ちょっとだけだが触れられている。特に批判的に描かれているわけではないが、前後の文脈から観ればやはりそこに批判が込められているのは確かだろう。 警察や乗客のこうした批判的な扱いの背景には、作者の日本に対するある種の幻滅があると思う。犯人たちは無事150万ドルを手にしたら、みんな外国へ行こうと考えている。織田あきらはハーレーダビッドソンを買って外国を放浪する夢を語る。山本圭は「革命が成功した国(北朝鮮のことだろう)」へ行ってみて、もう一度人間への信頼を取り戻したいなどと気障なことをいう。健さんは漠然とブラジルへ行きたいと思っている。なぜ揃いも揃って外国へ行きたがるのか?それは日本にはもう幻想がないからだ。行き詰ってしまったのは彼ら3人だけでなく、日本全体がそうなのだ。 これは当時の欧米のパニック映画の流行に便乗して作った映画ではあるが、同時にアメリカン・ニュー・シネマの流れを汲んだ、社会への不満や怒りを基調とした反体制映画だと思う。健さんが最後に撃たれる場面のセピア調&スローモーションの処理が「俺たちに明日はない」や「明日に向って撃て!」を想起させることでもそれは明らかだろう。僕個人としてはこの点にとても共感を覚えた。この当時の映画人の多くはこうした気分の中で映画と撮っていたのだろうか。 題材が題材だけに旧国鉄は撮影に協力しなかったらしいが、協力があればもっと迫力ある映像が撮れただろう。火星への有人飛行のでっち上げ事件を描いた「カプリコン1」にNASAは協力したのに、旧国鉄というのはよほど洒落のわからん組織だったんだろうな。それでも、それなりに迫力ある映像は楽しめるし、特に序盤のポイント切り替えの場面は編集の呼吸がよく、ミニチュアもうまく撮影されていて手に汗握る。SLの爆破場面も結構凄いことをやっている。山本圭が警察相手にダイナマイトを投げつけるシーンも派手に爆発した。この監督はよほど爆破が好きなのだろう。映像のテンポもよいので、長い上映時間も苦にならない。ただし、やたらとズームアップを使うのは時代とはいえちょっとくどいかな。 健さんはダンゼンかっこよい。怒りを内に秘めながら黙々と行動する男は健さんの十八番だ。織田あきらや山本圭に接する時の頼りになる兄貴分といった雰囲気もよいし、バイクに乗って首都高を走る場面は颯爽としている。特に空港で警察に追われる場面では、逃げる姿ひとつ取っても体の線がシャープでかっこいい。また、テレビからの呼びかけに対してもほとんど顔色を変えず奪った金の仕分けをする姿にハードボイルドを感じた。健さんの映画は任侠もののイメージが強く、そういう映画に興味のない僕は、「幸福の黄色いハンカチ」など一部の映画を除いて健さんをスルーしていたが、やはり日本人である以上健さんの映画は観なければならないと痛感した。 もう一人の健さんである宇津井健も力演。かなり感情を表に出す役どころで、その熱さが高倉健の感情を抑制したクールな演技と対照を成していて、見事なアンサンブルとなっている。管制室からほとんど出ず動きの少ない役ではあるが、その表情やちょっとした身振りで焦燥や怒りをよく表現していると思った。それにしても、その怒りが爆弾犯人でなくむしろ警察に向っているというのが、この種の物語としてはやはり異色といえる。 その他、山本圭、千葉真一、渡辺文雄、竜雷太など個性にあった演技で見応えがある。また、志村喬や丹波哲郎などの大御所が顔を見せるのも嬉しい。そういえば、ウルトラマンの黒部進も出ていた。志保美悦子や多岐川由美などもほんの2,3秒しか映らない役で出ているし、考えてみると凄い配役である。 最近オールスター映画というものを観ないが、そもそもスターそのものが枯渇しているのだろう。70年代とは日本映画にとって、映画が映画らしかった最後の年代かもしれない。この映画はそんな映画らしい映画の一本だ。 |