太陽を盗んだ男
製作国・製作年度 日1979年
上映時間 147分
製作 山本又一朗
監督 長谷川和彦
原案 レナード・シュレイダー
脚本 長谷川和彦 レナード・シュレイダー
撮影 鈴木達夫
編集 鈴木晄
音楽 井上堯之
出演 沢田研二 菅原文太 池上季実子  北村和夫 神山繁 佐藤慶 風間杜夫

沢田研二

魔界転生

菅原文太

仁義なき戦い

県警対組織暴力

レビュー
 監督の長谷川和彦は今村昌平や藤田敏八、神代辰巳監督の作品の助監督や脚本で名を上げた人。よく知らないが、その当時から色々と破天荒な伝説を持っていた人らしい。監督デビュー作は中上健二の短編小説「蛇淫」を映画化した「青春の殺人者」(76年)。チンピラみたいな青年とその恋人による陰惨な親殺しの物語で、その年の映画賞を総なめにした。主演は何と水谷豊と原田美枝子だ。これが二人の出世作。ただし、僕は原作は読んだが映画の方は観ていない。

 そして、第二作目がこの「太陽を盗んだ男」。公開当時も評判がよかったと思うが、現在では日本映画史上屈指の傑作という評価を得ているようだ。主演は当時人気絶頂だったジュリーこと沢田研二(カラオケには滅多にいかない僕だが、行った時は必ず「勝手にしやがれ」を歌う。日本の歌謡曲の歌手では一番好き)と「仁義なき戦い」や「トラック野郎」で大スターになった菅原文太という70年代を代表する二人。なお、脚本は驚いたことにアメリカ人、しかも「タクシー・ドライバー」の脚本を書いたポール・シュレーダーの兄、レナード・シュレーダー。この人、昔京都の大学で講師をしていて、その時に東映ヤクザ映画に嵌って、後に日米合作で健さんとロバート・ミッチャム主演の「ザ・ヤクザ」の原作を書いたという人だ。ちなみに、「ザ・ヤクザ」の脚本は弟のポール。

 この映画はいわゆる犯罪アクション。原爆をつくり上げた中学教師が国家に挑戦するという物語。というと、「馬鹿馬鹿しい」とか「不謹慎だ」と思う人もいるかもしれない。その意見はもっともだが、僕はそう思わない。それはおいおい書いていく。

 この映画の主人公、ジュリーが演じるしがない中学教師城戸は、昔は熱血で鳴らしたようだが、今はすっかりしらけて昼行灯と化している。が、そんな城戸にも生きがいがある。それは原爆を製造することだ。城戸は東海村原発からプルトニウムを強奪すると、完成した原爆を持って国家に要求する。「ナイターを最後まで放映しろ」、「ローリング・ストーンズの来日公演をやれ(74年、チケットまで発売したが、キース・リチャーズの麻薬問題で公演中止になった経緯がある)」・・・おいおい、そんなセコイ要求でいいのか?やっと金を要求したと思ったら、たったの五億円。文太演じる山下警部から「何なら50億でもいいぞ。どうせ政府はろくなことにしか使わんのだから」とか、突っ込みいれられてるし・・・。

 こんな感じで展開するこの映画は突っ込みどころ満載だ。プルトニウム強奪の場面での、チープな描写とインベーダーゲームみたいな効果音。カーアクションはまるで「西部警察(この映画の翌年80年から放映)」並みだし、ジュリーがターザンみたいに何か(何だろう?)に捕まってガラスをぶち破り、警視庁のオフィスから原爆(原爆をそんなところに置くな!)を奪還するし、文太はヘリコプターから落ちても、ジュリーに何発撃たれても死なないし、ジュリーが百面相よろしくよぼよぼのじいさんや妊婦に変装するが、それが志村けんそっくり!音楽はなんだか「太陽にほえろ!」みたいで古臭い。

 はっきりいって映画としての完成度はそれほど高くない。だから、決して世に言われているような傑作じゃない。でも、素晴らしい。画面から過剰なほどパワーがほとばしっていて、それが観ているこちらにビシビシ伝わってきて、トンデモな場面でさえかっこよくみえる。特に安アパートで金属プルトニウムを精製する場面の、虚無感漂うクールな描写と、渋谷東急を舞台にした大々的なロケが緊迫感を生んだ、ジュリーと警察との行き詰る攻防。プルトニウムの滓をプールに撒いて、泳いでいた者たちがみな死にたえる凄絶な場面。そして、武道館が見えるビルの屋上でジュリーと文太が激突するクライマックス。「この街はもう死んでいる。死んだ街を殺して何が悪い?」「お前が殺したがっているのは、おまえ自身じゃないか?」。これらの場面にはパワーが、それも破壊のパワーが充満している。

 そのパワーが一番充満しているのは、映画の冒頭で天皇に会わせろといって城戸が引率するクラスのバスをジャックするキチガイじいさんが出てくる場面だ。このじいさんは息子を戦争で亡くしており、天皇と刺し違えるつもりでバスを皇居に向かわせる。ここは城戸と山下警部が出会うきっかけとなる挿話なのだが、それ以上に天皇の戦争責任について真っ向から描いており観ているこっちは度肝を抜かれる。しかも、皇居の前で(そりゃあセットだろうけど)ドンパチまでやるんだから恐れ入る。「ゆきゆきて、神軍」よりも前だぞ!よくこんな企画を通せたものだなと感心しながらネットで調べてみたら、この映画を製作した会社が何と「キティちゃん」で有名なキティ企画じゃないか!

 この場面はさらにもう一つ重要な意味がある。キチガイじいさんは明確な目的をもって国家に挑戦するが、武装は重機関銃と手榴弾のみだった。一方、城戸は原爆という地上最強の兵器を持って国家に挑むが、明確な目的がない。何でもできる立場なのに、何もしたいことがない。強大な力と巨大な虚無。ここに「しらけ」という言葉が流行った70年代の空気がはっきりと描かれている。むろん、その背景には70年安保の挫折感が横たわっているに違いない。国家に対する漠然とした怒りはある。時代の閉塞感に風穴を開けようという意志はある。しかし、どうしたらいいかわからない。そして、死に向かって突っ走る。キチガイじいさんと城戸との対比が、「しらけ」に蝕まれた現代青年の焦燥と不安を明確に浮き彫りにしている。そして、こうしたキャラクターを演じられるのは、当時ジュリーしかいなかっただろう。当時の沢田研二ほど危険で虚無的な匂いを放つ、それでいてピエロにもなれる存在はいなかった。歌謡界のアイドルでありながら、こんな役に挑戦できるジュリーはやはり凄かったのだと、改めて思う。

 この映画ではラストに原爆が爆発する(音による暗示のみ)。このことには賛否両論あるだろう。僕も多少抵抗がないでもないが、それでも許せる。なぜなら、そこには時代や国家に対する怒りが極端な形で表現されているからだ。どなたか、誠実さや謙虚さという美徳が廃れ、誰もがマネーゲームに現を抜かし、政治家や官僚の間で汚職がはびこり、女子高生が売春し、中学生が面白半分に人を殺すこんな国に対して「滅んでしまえ!」と思ったことはないだろうか?ないという人はとても善良な人だと思う。いつまでもそのままでいてください。しかし、僕は人間が出来ていないからそういうわけにはいかない。しかし、この感情や思想を実行に移すだけの勇気もない。だから、見て見ぬふりして生きていくか、小説でもなんでもいいが、何かに仮託して表現せざるを得ない。長谷川和彦は不謹慎だと理解しつつも(劇中でも登場人物に言わせている)、原爆のスイッチを入れることで国家や時代に「No」と言った。

 昔「トゥルー・ライズ」というシュワルツェネッガー主演の映画があった。とても面白いスパイ・アクション映画のパロディで、個人的にはジェームズ・キャメロン監督の最高作だと思う。「タイタニック」の一万倍面白いし、映画として「太陽を盗んだ男」よりもずっとうまく出来ている。しかし、この映画の終盤に出てくる原爆が爆発する場面だけは、到底受け入れることはできない。なぜなら、そこには主義主張もなにもなく、ただのスペクタクルとして描かれているからだ。おまけにきのこ雲を背景にシュワがラブシーンを演じている。人として許しがたい。

 政治の季節が過ぎて、もう誰も政治家に反対することはしない。国民はみんな飼いならされている。浅沼稲次郎のように刺殺される危険は現代の政治家にはありえない。だから、彼らは国民をなめきっている。もちろん僕はテロリズムを教唆するつもりはないし、オウムともなんら関係はない(そもそもオウムなど政治となんの関係もない。いじめられっこが、自分より弱いものを見つけていじめるための機関、それがオウムだ。政治うんぬんは人を焚きつけるための方便でしかない)。そんな状況だからこそ、不謹慎であると知りつつも、現在でもなおこの映画が多くの人に支持されているのだろう。僕もその1人だ。

  「しらけ」がさらに蔓延して、自分が「しらけている」という自覚さえなくなった今の時代には、もうこんな映画は撮れないだろうなあ。そして、この映画を最後に一本も映画を撮っていない長谷川和彦は、もうメガホンを取ることはないのだろうか?

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