![]() |
戦場にかける橋 英=米 1957年 155分 |
|
製作 サム・スピーゲル |
|
|
関連映画 デヴィッド・リーン アレック・ギネス ・アラビアのロレンス ウィリアム・ホールデン ジャック・ホーキンス ・アラビアのロレンス |
まず、この映画に対する一部日本人の変な偏見から取り除かねばならない。 第一に、彼らはこの映画の中で日本人が情けなく描かれており、そこに人種差別を見ているようだ。しかし、大抵の映画はそれが作られた国の国民に見せるために作られている。この映画はイギリス人スタッフを中心に作られているが、戦後イギリス映画界では自国に大きな被害(恐らく戦後のインド独立も含む)をもたらした日本軍の残虐さを強調したつまらぬ戦争映画を繰り返し作っていた。それはある意味仕方のないことであり、そうした事情を踏まえれば大して気にすることでもあるまい。むしろこの映画は他のイギリス製戦争映画よりもずっと日本人を好意的に描いているとわかるだろう。 第二に、彼らはこの映画が史実に忠実ではないという。大戦中に日本軍が連合軍の捕虜に強制してクワイ河に橋を架けたのは事実だが、日本軍は映画のように無能ではなく、橋の設計から建設まですべてをやり、連合軍捕虜は単に肉体労働に従事するだけで、しかも常に怠けていて屁のツッパリにもならなかったらしい。また、橋は木造ではなく鋼鉄製で、現在でも現地の人々に利用されている。しかし、映画なんだから別に史実に忠実でなければいけないということはまるでないわけで、「史実に忠実にやれ」というのは歴史公証の正しさを追及する意思からではなく、単に日本人が無能に描かれているのが気に喰わないという感情からに過ぎない。 仮に映画の作り手の中に、日本人に対する差別や優越意識があったとしても、その対象となっているのはあくまで戦中の帝国軍人なわけで、そうした人々を否定することから始まった戦後日本に生きる人々が、いちいち目くじらたてるのもおかしな話である。むしろそこに執着しているのは、欧米人に対するある種のインフィリオリティ・コンプレックスの裏返しだ。 さて、そうした偏見を取り払ってこの映画を観てみれば、映画史上でも屈指の名作だとわかるだろう。 タイとビルマの国境を流れるクワイ河に橋を架けるため、日本軍は連合軍捕虜を使役させる。しかし、イギリス軍のニコルソン大佐は将校にまで労働させようとする斉藤大佐に、ジュネーブ協定を楯にとって反抗する。斉藤はニコルソン以下の将校を営倉にぶちこんでイギリス人捕虜を使役するが、彼らがサポタージュするので工事は遅々として進まない。期日までに橋を完成させたい斉藤はやむを得ずニコルソンに譲歩し、ニコルソンも橋の完成のために全力で工事に当る。一方同じ捕虜収容所にいたアメリカ海軍のシアーズ中佐は脱走に成功し基地に帰還するが、日本軍の架橋工事を妨害するためにイギリス軍コマンド部隊の道案内をさせられる羽目になる・・・。 この映画の面白さは、ニコルソン大佐、斉藤大佐、シアーズ中佐それぞれの価値観や個性が極限状況の中でぶつかりあい、不条理ともいえる皮肉なドラマが展開していく点にある。 特にニコルソンは特異な性格として描かれている。まったく融通の利かない堅物で主義のためには命も捨てる。ジュネーブ協定にからむ一件で斉藤から酷い仕打ちを受けるが決して屈しない。ところが、橋の建設を委ねられると敵に利する行為でありながらその作業に熱中、ジャングルの中に文明をもたらすという考えに憑りつかれ、斉藤に対して頑なに拒んでいた将校に労働をさせたり、果てはイギリス人の傷病者まで軽作業につかせようとする。そして、橋が完成した際には斉藤に対して友情さえ見せる。こうしたニコルソンの倒錯的な描き方は後のロレンスに通じていて興味深いが、戦争に従事し文明の破壊を率先して行ってきた彼が、橋を築くことで文明を残すという妄執を抱き、そこに自己の存在価値を見出すという考えは自然に理解できる。 一方のシアーズは戦争の趨勢や文明の普及などといった大局的な考えはまるで持ち合わせていない。そもそもただの二等水兵で、一緒にいた中佐が死んだためにその階級を偽っていたちゃっかり者である。しかし、そんな彼だからまず何よりも自己の生命を守ることに執着する。命からがら収容所から脱走したものの、負傷帰国できると喜んでいたところでウォーデン少佐から階級詐称をネタに破壊工作の道案内を強引に頼まれてガッカリする場面は印象的だが、橋へ向う道中でウォーデンが足を負傷した際には作戦よりも人命が大事だと言いはなつ場面は一般庶民である彼のヒューマニズムが最もよく表れていて共感する。 その二人に比べると、斉藤大佐の性格はごく一般的な中間管理職といったところで、際立った個性はないが、戦前ハリウッドの異色の大スターだった早川雪州が凄い貫禄の演技を見せていて、ニコルソンとの男の意地の張り合いも迫力たっぷり。特にニコルソンの協力を得た結果立場が逆転してしまう辺りの苦悩や、橋の上でニコルソンと語らう場面での懐の深さが印象的だ。 敵同士であった者たちが橋の建設を通して融和し、味方同士であった者が橋の破壊を通して対立しあう運命の皮肉。そして、文明も人命もすべて飲み込んでしまう戦争の不条理。こうしたテーマを安易に戦闘場面を多用せず、重厚な人間ドラマだけで表現した脚本が非常に優秀。デビッド・リーンの演出もがっちりとしており、ジャングルの風景がスケールの大きさを感じさせる。また、自然と人間、自然と文明の対比という視点も随所に見られ、これが後続のリーンのすべての作品に繋がっていく。 プロローグとエピローグで映し出される空を舞う鷲は、彼らの眼下で繰り広げられる人間の営みも巨大な自然の中では塵芥に過ぎないという作者の詠嘆のように思われて、人間存在の空しさを痛感させられる。その意味で、この映画は単なる反戦映画ではなく、人間存在の業を描いた映画と言える。戦争を題材にして、スペクタクルな娯楽性を盛り込みながらも、そうした深い部分まで到達したこの作品を、僕はとても気に入っている。 |