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マルタの鷹 米 1941年 100分 |
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製作 ハル・B・ウォリス ヘンリー・ブランク |
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関連映画 ジョン・ヒューストン ハンフリー・ボガート ・アフリカの女王 ピーター・ローレ ウォード・ボンド ・幌馬車 |
ダシール・ハメットの有名小説の映画化。言わずと知れたハードボイルド探偵映画の古典的名作。 舞台はサンフランシスコ。私立探偵サム・スペードと相棒のマイルズ・アーチャーの事務所にワンダリーと名乗る女が現われて、フロイド・サースビーという男と駆け落ちした妹を連れ戻してほしいと依頼する。その夜、サースビーが現われるという場所に赴いたアーチャーは何者かに射殺される。一方サースビーもホテルで射殺体となって発見される。アーチャーの妻と密通していたために警察から嫌疑をかけられたスペードは、真相を探るためにワンダリーを捜すが彼女は行方を晦ませている。やがて、スペードの周囲に怪しげな連中が暗躍し始め、彼は事件の真相へと近づいてゆく・・・。 この映画の面白さは、主人公サム・スペードの造形にあると思う。例えば相棒アーチャーが殺された後の態度ひとつとっても、@殺害現場に近寄ろうともしない。Aアーチャーの女房アイヴァとキスシーンを演じる。B看板の社名から彼の名を消させる。また、オーショネシー(ワンダリー)に宝石を質にいれろと言って有り金全部巻き上げてしまう。こうした正義感・倫理観の欠如は、従来のハリウッド映画の主人公では考えられない。また、決して感情を表さないので何を考えているのかさっぱりわからず、どんな危険な場面でも激するところなくニヤニヤ笑っている。こうしたつかみ所のなさも通常のヒーロー像とはかけ離れており、マルタの鷹を巡って攻防戦を繰り広げる悪漢たちと変わらない。 しかし、スペードが悪漢たちと決定的に異なる点がひとつある。最後の場面で、彼はオーショネシーにアーチャー殺害の自白をさせると、「相棒を殺されたら黙っていない。それが探偵だ」と言って、見逃してくれと懇願する彼女を冷たく突き放す。ここで、僕たちはスペードが彼なりの強烈な規範に基づいて行動していたことに気付く。そして、そんな彼に拍手喝采するのだ。 もちろんこうしたユニークな人物像は、ダシール・ハメットによって生み出されたわけだけれど、それを余すところなく体現した主演のハンフリー・ボガートの功績も大きい。元々が悪役からキャリアをスタートさせたボガートだから、この善でも悪でもない孤高のヒーローはぴったり。背は小さいけれど、襟を立てたトレンチコートの着こなしからタバコの持ち方までピタリと決まっているし、マシンガンのように早口で捲し立てて相手を煙にまいたり、拳銃を突きつけられても余裕綽々で相手をあしらったり、僕たちがイメージするハードボイルド小説の探偵像そのものである。 また、そうしたボギーの一挙手一投足を切り取ってフィルムに焼き付けた監督・脚本のジョン・ヒューストンも素晴らしい。ヒューストンはこれが初監督作とは思えないほど、小気味よい表現を随所で披露する。どこをとってもいいが、やはりアクションシーンが出色。カイロに背中から拳銃を突きつけられたスペードが目にもとまらぬ速さでその拳銃を叩き落し、のびたカイロの懐から札入れを出して身元を調べる場面。ウィルマーに伴われてガットマンの部屋に向う際に、いきなりウィルマーの外套を引き摺り下ろして腕の自由を奪い拳銃を奪う場面。どちらも文章では表現できないくらい簡潔かつ鮮やかな描写だ。影を生かした象徴的な表現も随所で見られ、特にオーショネシーが警官に連れられてエレベーターに乗る時の、彼女の顔に落ちる格子の影が刑務所の鉄格子を連想させて見事という他ない。また、短いシークエンスが畳み掛けるようなテンポで展開して、今観ても非常にスピーディーである点も特筆ものだ。 そして、何と言っても第一作目にして早くも「努力水泡」というヒューストンの終生のテーマが現われていることが注目される。ここではマルタの鷹を追い求めるガットマン、カイロ、オーショネシーが努力の果てにすべてを失うわけだが、そうした彼らの姿がスペードの目を通して突き放して描かれる。鷹を手に入れた時の彼らの喜びと、それが鉛で出来た偽者と分かった時の彼らの喪失感。それに続くスペードがオーショネシーを警察に引き渡す場面が止めの一撃として心に食い込んでくる。この空しさは単にオーショネシーだけのものではなく、彼女を失ったスペードのものでもあり、だからこそ味わい深い余韻が残る。それにつけても、ラストでボギーとワード・ボンドの間で交わされる「重いな。これは何だ?」「夢のかたまりさ」というセリフは、「努力水泡」を端的に表現した最高のセリフだろう。映画のラストを締めくくるセリフとしても史上最高の名セリフだと思う。 ただし、完璧ともいえるこの映画も、唯一の欠点があるように思われる。オーショネシーがアーチャーを射殺した理由に納得がいかないことだ。彼女は相棒のサースビーが邪魔になって、彼にアーチャーを射殺させて警察に捕らえさせようとする。しかし、サースビーが撃たなかったので自分でアーチャーを撃って、その罪をサースビーに被らせようとする。これは彼女自身の告白でわかるのだが、妙にこねくり回したような感じで説得力がない。サースビーがアーチャーを撃つとは限らないし(実際に撃たなかった)、ウィルマーが2人を付け狙っていることはわかっている(実際その後にウィルマーに撃たれて死んだ)。放っておいてもサースビーはお払い箱に出来る可能性が高く、それゆえ彼にアーチャーを殺させる必要もなく、まして自分で撃つ必然性もない。さらにサースビーの後釜としてスペードを抱き込む、というのはまったくの後付である。 この部分がなければオーショネシーとスペードを結びつけることができないので、止むを得ない措置だったのだろうが、また、この部分は原作にもあるのだろうが、僕はこの部分だけがどうも釈然としなかった。もう少し納得できる理由付けをしてくれれば文句なしだった。 それでも、この映画が僕にとってハードボイルド探偵映画の最高峰であることには変わりない。「ハードボイルド」の定義が登場人物たちの徹底した外面描写と、その結果としての人間及び世の中の非情さの探求であるならば、この数年後にボギー主演・ハワード・ホークス監督によるチャンドラー原作「三つ数えろ」は、この映画の足元にも及ばないと思う。そのくらい「マルタの鷹」は傑出した映画なのだ。 |