製鉄所の分析室で考えたこと 動く論理回路の設計法 発光分光分析方法 ものを作る苦しみの一部 もくじ
ものを作る苦しみの一部 (この文は、昔ある日、身内の社内報に連載した私の自慢話の1節である。
おこがましいが、原文のスタイルを保存しながら、補筆する)
昔、キリさんがまだ独身の美青年であった頃だが、IC(集積回路)はまだ世に無く、彼の処女作、:鉄鋼分析用コンピューターの論理回路モジュールは、トランジスターとダイオードとで、プリント回路基板の上に組み立てて作った。 ダイオードが1個 180円、トランジスターが 1個500円したので、1万円札大のプリント板に5AND入力の j-k フリップフロップ2組を載せると、1枚のモジュールごとに、ダイオードが32本、トランジスターが4本で、部品価格はほぼ1万円になり、1台のコンピューターにこれを1000枚使えば ベラボーな原価になるから、フリップフロップ1個、ダイオード1本減らすのにもやっきになってチエを絞り、モジュールの共通化を無視して、同型のモジュールでも実際には遊んでいるダイオードは全部外すことまでやった。
工場で調整中の「Quantac-501」第1号機←本体の上部に論理回路モジュール 約800枚が収まり、下部には厳重にシールドされた磁気ドラム記憶装置と、その増速用のMG(電動発電機)が据えてある。同僚の鈴木十五郎君が、操作卓のタイプライターに現れる計算結果を見ている。
背後は分光系の測光コンソール。
右端に分光器と発光スタンドの一部。
調整作業中は、ケースのカバーを取り外しているから、温度上昇によるトラブルは隠れていて、しばしば、客先でちゃんと稼働し始めてから発生する。
第1号機は苦労したが1963年3月完成、日本鋼管・川崎製鉄所に収まって、しばらくは華々しく動いた。「Quantac-501」である。ひと月ほどは順調に動いて、製鋼現場へ、正確な間違いの無い分析値が、速く、自動的に届くようになり、生産効率が急上昇して、ユーザーも営業も、もちろんキリさんも、笑いが止まらず鼻高々であった。
ところがやがて、しばしば故障するようになり、キリさんは電話の都度、夜行列車に揺られて修理に駆けつけることが続いた。原因ははっきりしたり、よくわからなかったりしたが、駆けつければいつも、たちまち直って、すぐまた不調になった。
あまり続くので、ある時 モジュールの差込みの接触不良を疑って、コネクターにもっと深く刺さるように、プリント基板の角(カド)を少し切り落とすことをやってみた。溝の奥に当たる角をニッパーでプチンと1mmほど切り落とすと、基板がコネクターにそれだけ深く差し込まれるようになる。800枚の基板を全部切るのは、1日では終わらなかった。
手がガタガタに疲れて、箸がうまく使えず食事に困るまでになったが、ともかく全部の基板を処置して、さて電源スイッチを入れた。ところがまったく動かない。処置前にはちゃんと動いていたコンピューターなのだが。キリさんは既に経験を累積して、修理の天才と自称するほどになっていたから、故障原因は テスターとオッシロスコープとでたちまちに見つけてしまう。すぐに一本のダイオードが断線しているのを発見して、予備品と交換し、ふたたび電源を入れた。ところがやはり動かない。もう一つダイオードの断を探しだし、なおしたが、まだダメ。
10回ほどダイオードの断を見つけるのを続けると、さすがにおかしいと思い始めて、モジュール800枚をまた全部取り外し、総計約2万本のダイオードの、正方向導通をテスターで片っ端から調べた。手先は前日のニッパー作業でブラブラになっているので、テスト棒とハンダこてを操るのに汗をかいたが、ともかく約1000本の断線ダイオードが出た。これは机の上に山になって、両手ですくっても余るほどだった。ぼーぜんとなったキリさんだが、ダイオードのメーカー・富士通は同じ川崎市内にあることを思いだして、断線ダイオードを抱え、中山駅近くの部品工場に乗り込んだ。さすがに富士通は、迅速、ていねい、親切に対応してくれたが、調べると、全ての断線は、金属針を半導体結晶へ押し付けて形成する“点接触; point contact”がズレて外れて起こっていると言う。
「針を付けるときの芯出しがガタついていると起こり易い、この不良を検査ではねるために、落下試験をやっているが、洩れが多いことが最近わかって、軸方向と横方向の衝撃試験を加えることにした」と。なんだ、キリさんは片手ブラブラになるまで、全ダイオードの衝撃試験をやったのだ。もっとスゴんでもよかったのだが、ヒトの良いキリさんは良品一山をもらって引き上げ、また2、3日かけてダイオードを取り付けてコンピューターの修理を終えた。(富士通はわび状をくれると言っていたが、どうなったか忘れた。)
↓この針先がショックで断線したのだ。
点接触ダイオードの構造半導体結晶としてゲルマニウムが主に用いられていた時期、針を結晶表面に押しつけて整流特性を発現させる「点接触型ダイオード」がよく用いられた。結晶の接合面を使う技術がまだ発達していなかった頃である。ダイオードのシンボルは、この構造を模して定められた。初期のトランジスターも点接触型からスタートした。
結晶表面の機械的強度や電気特性はかなり不安定なので、性能や信頼性はあり良くなかった。シリコン結晶の良いものができ、その内部の不純物分布を意のままに制御できるようになってから、半導体部品の性能が飛躍的に向上した。
しかし、数週間は保ったが、またQuantacの不調が始まった。あとは話を急ぐが、ナンダカンダ゙調べ倒したあげくに分かったのは、トランジスター回路の温度上昇が誤動作を引き起こす。大きな発熱源は、100枚ほどの出力増強モジュールの、1枚ごとに1〜4個ある2ワットの出力プルアップ抵抗にある。温度が徐々に上がって、トランジスターの誤動作に至るまでには、2〜3週間かかる。対策として、抵抗の代わりに2個のトランジスターを入れて、プッシュ・プル出力とすれば、発熱がほとんどなくなる。ということである。
またモジュールを全部抜いて、抵抗を外して穴を明け足して、トランジスター2個と配線数本を100枚の該当モジュールすべてに付ける、換気ファンをあちこち付け足す、といった仕事を現地工事で数週間やった。以後は、ほぼ計算値に近い故障率(5.7件/年)に下がった。(公表されている部品別の信頼度と、部品の使用数量から算出される。)
外した抵抗は、今度は段ボール箱いっぱいになったが、これを持ち込んで文句を付ける相手はなかった。設計時に2ワットの抵抗を採用したのは、トランジスター2本よりはるかに安いからであり、回路図に数カ所しか現れない抵抗が、実際には500本近く使われて、1kwの電力をむだに消費するとは、気が付かなかった。同じ回路が大量に繰り返されるディジタル回路装置が、それまでになじんでいたアナログ装置とはこのように違うのだと、ダイオード一山、抵抗一箱を眺めて実感したキリさんであった。
(1963年、28才の春の話)
(これに懲りて改良した次モデル Quantac-502 では、論理回路を工夫したりして、部品数を一気に減らした。詳しくは発表した論文;「分光研究」 16-5,pp197-206 (1968) をご覧あれ)
半導体部品の性能は、その後の10年、20年で飛躍的に向上した。丈夫になり、早くなり、動作が正確になり、小さくなり、安くなった。さらに、「集積回路」として成長して今日に続いている。当時は真空管から切り替わった直後で、半導体部品は故障しないんだ、と言われていたが、実際に使ってみると、真空管よりは長持ちするものの、けっこうポロッと壊れた。過電圧と高温にとても弱くて、メーカーもユーザーも、ともに嘆いたものだ。
結局、全世界の研究者、技術者による、結晶の細部の性質の研究、解明と、製造技術の根気をつめた改良が、今日の半導体技術の繁栄を招いた。当社の各種のモノを調べる装置、結晶のなかの形状や不純物の状態を調べる装置類、も、そのなかに相当な貢献をしてきている。