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§5.40代の私: 体の中を見る、MRIの開発
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MRIの 夜明けその3. 売れるMRI装置に仕上げる |
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販売許可を厚生省に申請
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東大病院に持ち込んで「治験」を実施 東大病院の地下に部屋があった。クレーンで釣り降ろして搬入しなければならない使いにくいスペースで、遠くて金もかかるが、放射線科・飯尾教授は名声たかく、また面倒見がとてもよい方であった。 手続きはたいへんで、大学に納入する電気代なども高額だったが、医用事業部でも大学でもたくさんの人の厚意が積もって、1983年3〜12月、東大病院に持込み、臨床試験。 近くの東大病院分院と各30症例ずつ、なかなか患者さんが来ないのだが、ともかく半年かけて撮り終わって、翌年始めに製造認可を申請した。 ところが、これでは独立2病院と認めがたい、と厚生省。届出の時は気が付かなかったが、両院の責任者がいずれも飯尾教授では、分院は助教授が別に着任されていると主張しても、審議会が認めないよ。それと、臨床データの有効性が弱い、審議会は、東芝に続く2台目の認可なので、きびしく審査しようとしている、と言われてしまう。当方は早急な営業開始を期待しているが、却下になったりすれば、かえってつまずいてしまう。 「京都の先生方で短期間に30例追加できませんか、装置は島津の診療所に置けば? 診療所の分室を工場内に設ければ? そこはしかし京都府が許可できる病院区域でなければなりませんが、」 と、厚生省係官のこんな示唆があって、「なるほど、京都でやった臨床例のような迫力はないなあ。X線で見えない病気は今の放射線科にはこないのか」と、やっと病院をとりまく状況の違いに気が付く。 |
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| 「島津附属診療所・第二診療室」を店開き よし、MRI診断病院を社内にこしらえて、京都の先生方を頼って、早急に治験続行だ、臨床例の積み上げだ。 さあやるべしと、島津診療所に頼み、人事部に頼み、京都府庁・薬務課に通い、地元医師会に了解を願い出て、医師会理事の先生方を訪ね回り、京大・脳外科、放射線科、府立医大、国立宇多野病院の協力を頼み、「島津附属診療所・第二診療室」の運用規則を作り、専属の医師を京大から派遣してもらい、古い建物を改装して、病院の一室としてきれいに清潔に整え、MRI装置を商品形態に整備し、酸素吸入器など緊急医療器具を整え、カルテ用紙を作り、診察時間割(各大学の検査予定)を決め、申請書を作って医師免許を預かって府庁に届け、各大学にタクシー券を配って来室ルートを打ち合わせ、研究委託を申請し、以上を社内稟議し、など走り回って、1984年4月13日 第二診療室を開設、4月16〜26日の10日間は先生方と患者さんがひっきりなしに通ってこられ、たちまち50を越す症例を取得、厚生省へ申請書を再提出。いくつかの書類追加提出などがあって、装置の検査や安全性審査も厳しかったが、とうとう1984年9月、0.2T-常電導MRIの薬事法認可を取得した。 |
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この時期には 0.5T超伝導マグネットの第二世代MRI試作機もほぼ完成していたので、この体制をそのまま続け、9月には0.5T機の治検も完了した。いずれも驚異的なスピードで進んだ。 大学や病院の若いドクター大勢の方々は、時間や労苦をいとわず、多量の仕事をこなされた。MRIで初めて見る症例がほとんどである。先生方は、学習を重ねながら、手をつくして有効な撮影条件を探し、所見を的確な表現でカルテに述べ、また我々にていねいに説明、講義していただいた。また得られた症例は医学的に意義高く、関心の強いものが多く、学会や展示会で発表されて、画像の美麗さと症状表現の巧みさ(両者は結局一致するのである)で、すべての診療関係者に着目してもらった。放射線科、内科、外科だけでなく、神経内科、精神内科、眼科、耳鼻科、などの医師も見えた。 |
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↑ 超電導電磁石を用いた
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学会に発表 ↓ 論文集の私の第2ページ |
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| どんどん賢くなった この社内での臨床試験は、我々装置屋には、実に勉強になった。撮影の間中、実物を前に、専門医がつきっきりで講義されるのである。そしてその人たちが症状をどう眺め、なにを手がかりに読影されるのか、なにを知りたいのか、どんな情報が欠けているのか、装置屋は何をさらに与えることができるか、身に付くことがいくらでも出てきた。私もほとんど付ききりで検査に加わって、とんちんかんな質問を繰り返しては、先生方から長〜い時間をかけた説明を聞いて、どんどん賢くなっていったのだ。 実際の病院に持ち込んだのでは、かえってこのような濃厚な機会はもてない。接触は一診療科だけになり、先生方は撮影を任せて後で画像を眺めるだけになる。いっしょに撮影をやっていると、たくさんのアイデアがどんどん出てきて、装置の改良と撮影条件の確立に生かされた。 |
診断法を求める病気はたくさんある |
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| 医学は技術、経験の蓄積だ こうして形態に異常の現れる病症は、感度、特性の差はあるにしろ、なにかの画像診断で確定される。しかしその発症機序や病因は、多岐の長い経路の追跡と探求でもなかなか定まらない。 ごくわずかな変成で、機能に異常をきたす例は、神経組織であろう。目に見えないほどの傷や変形で、信号伝達が正常でなくなる。こういうのは形態診断では追跡できない。コンピューターの中の、配線1本の切断を調べる時には、電気信号をプルーブで直接さわって、信号の動きをオッシロスコープで見る。昔、コンピューターのケースの中に、携帯ラジオを入れて、動作を監視できないかとやってみたことがあるが、簡単なプログラムでは動きが理解できた。その後に開発を始めた生体磁気計測が、神経の活動を捉えるのに有効だと期待しているのだが。それには、特定神経の動作をきわだたせるテスト・プログラムが、うまくできることが必要なようだ。 MRIの開発を通じて、技術の蓄積だけでなく、医学界や一般社会とのかかわりあい、また病院の状況や患者さん、医師の方々の見方、考え方、感じ方など、たくさんの勉強ができた数年間であった。 痛感したのは、医療の現場で鍛えられたお医者さん方は、徹底して経験科学の信奉者であるということ。あやふやな「〜だろう、〜のはずだ、〜に違いない」と推察で診断してはひどいことになる、と経験に鍛えられている。だから、はっきりした結果、証拠を示さないことには信用されない。だから患部をきれいに示す画像を見せればそれで装置が信用されるので、それで島津のMRIが成長したのだ。ファントム(模擬人体)や正常例のような、推察を必要とするデータでは納得されないのだ。 |
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