失敗の記録・あらまし 分光光度計の原理 ディジタル分光光度計 新製品の生涯 もくじにもどる
販 売 を 開 始
これまでになかった画期的な特長を持つディジタル分光光度計『AQV−50』ができあがった。
「さぁ、売るぞ」と社内の関係者は勇み立った。「これは売れるぞ、売りまくって、商売敵・H社を追い抜くのだ」
と、国内販売を担当する営業部門の面々は張り切っている。「欧米でも、これに勝つ競合品はないぞ。欧米の代理店が目玉商品を待ち構えてしびれを切らしている。どんどん出荷してくれ。」
と、貿易部の面々が足踏みしている。アメリカやヨーロッパに当社の製品を拡販していこうと、貿易部は駐在員を派遣したりして、数年前から活動を高めている。販売価格は、激論が重なったあげく、驚異的な低価格、98万円 に決まった。生産コストから言えば、売価200万円でも苦しい、と工場側はつぶやいていたのだが、
「市場獲得、拡販の好機だ。」
「これまでの退勢を挽回して、贔屓してくれる顧客の期待に応えなければならない。」
「たくさん作れば、生産コストは大幅に切り下げられるだろう。
これまでの古風な生産体制を、最新技術に更新させる手がかりにもなるのだ。」
と、躍進をあせる指導層に押し切られた。
もちろん、誰にも不満はなかった。誰も、そうありたいと思っていたのだ。みんな、期待していた。1967年3月の「ピッツバーグ・コンファレンス」に出品し、付設講演会で発表をした。Pittsburgh Conference on Analytical Chemistry and Applied Spectroscopy(略称:Pittscon ピッツコン)は、毎年開催される全米一の分析技術関係の展示会だ。全世界の分析機器メーカー(もちろん、アメリカ国内の企業群が最大勢力)が、全力を挙げて新製品や主力製品群を展示し、全世界の関係技術者(良い技術を仕入れて化学製品の製造や開発研究に活用しようとする人たち)が集結して、血眼で最新技術を漁っていく。
アメリカでは、たくさんの分析機器メーカーが成長して、それぞれが販売網を持っているが、さらに一匹狼のようなエキスパートが自分の独立した店を持っていて、良い商品を見付け出し、自分で開拓したお得意に販売して実績を上げている、というネットワークが発達している。
そんな筋が当社にも接触してきていて、すでに代理店契約を締結している社もいくつかあり、なお申し込みや様子見の社もあるという。そんな連中が当社の出品品目をみて、この新型のディジタル分光光度計は実に刺激的だ、自分たちに売らせろ、と押しよせてきた。
展示が始まると、この連中は、まるで当社の社員のように展示小間に陣取り、自分のお得意さまを引っ張り込んだり立ち止まる誰彼にどんどん説明したりして、つまり、自分の実力を当社にみせつけてくる。
技術発表をする付設講演会にも、私は原稿やスライド原版を、米国駐在に出発するS先輩に説明して、Sさんに講演してもらう予定であったのだが、米人が講演した方がよいからと、彼らの奪い合いになり、代理店中の最長老が実に巧みに講演したそうだ。1967年6月、ドイツのフランクフルトで開催されたヨーロッパ最大の化学技術メッセ「ACHEMA (アヘマ)」には、社命によって私自身が出張し、1カ月あまり滞在して、5機種ほどの当社製品の展示と講演、販売代理店への説明をやった。販売代理店といってもこの時の相手は、MATという略名の質量分析装置の良いものを作っているメーカーで、同社はかねてより米ケリー社の分光光度計の販売を扱っていたが、その頃、ケリー社がフィニガン社に買収されて契約が消滅したので、当社に接近してきた状況にあった。(ケリー社の分光光度計は、原器であると言われるほどに高質のものだ。)
私は、ブレーメンに所在するMAT社に入り込んだり、ケルンの近くの同社の販売事務所に滞在したりして、大勢の技術者連中と親しくなり、装置や当社の力量を売り込んで、相互販売だけでなく技術提携にまで進みかけたのだが、その後、同社までがフィニガン社に買収されて、関係は切れてしまった。
こうして、アメリカやドイツで評判を取ってみると、それは日本の顧客に大きなインパクトを与えて、当社の日本における信用が高まるという経験は、おもしろいものであった。

ACHEMA'67 に出展した AQV-50(正面左)、自動試料吸入装置付き。その右にガスクロマトグラフを2機種、後ろに自記分光光度計 MPS-50(顕微分光付き)や自記赤外分光光度計も併設している。花束は、その花びらをMPS-50で測定するための試料。
ACHEMA展は、ドイツ化学工業会 DECHEMA が3年ごとに開催する大規模な展示会。展示場は撮影禁止なので、この写真は早朝に警備員の目を盗んで撮影した。後ろの小部屋(MAT社のセールスマンが出てきた)では、顧客にカクテルなど勧めながら商談する。
日本での発表は、前年の昭和41年(1966年)秋の『分析機器展』で派手に行って、注目を集めていた。
この時にはちょうど、私の手がけてきた鉄鋼分析用コンピューター“Quantac-502”も展示に出品されることになったので、AQV-50が測定したディジタル・データをコンピューターに入力して、計算しなければ求められない ある特性値 をプリントする、というデモンストレーションを企てた。
色紙をたくさん用意して、その反射スペクトルを測定し、その数値を右図のように、紙テープに順にパンチしていく。1試料につき18点の波長の反射率が並ぶ。これをコンピューターに読ませて、準備したプログラムにより所定の積分計算をさせると、その色紙の色彩を記号と数値で表すマンセル記号が、たちどころに算出され、タイプライターが動き出すのだ。
さん孔(紙)テープという媒体は、当時、電信、テレタイプ、テレックスなどの文字通信の世界で、さかんに使われていた。小型コンピューター(めったにしか無かったが)の外部記憶媒体として使われ始めていた。
展示会場にタイプライターの打音が鳴り響くので、どっと観客が集まって、集客効果は充分であったが、多くの人には、こちらの展示の意図・<コンピューターに直結可能なディジタル測定装置、その応用例のほんの一例を示す>は伝わらなくて、たかが色を測るのになんと大袈裟な装置だ、というようにしか見えなかったようだ。
でも、分光光度計で定量分析をやっている人もたくさん来場していて、「これはありがたい。メーターを読むって本当にイライラするからなあ」などと声高に賞賛してくれた。「ちゃんと、ヌル・メソドで測定してますね。」と、掲示した原理図を子細に眺めて納得する人や、「値段はそんなに高くないから、買いたいけれど、故障しないの?」と聞く人も多かった。「全トランジスターですから(大丈夫です)。」と応えればよかった。世間にはトランジスターラジオが流行り始めていて、それまでの真空管式ラジオに比べてはるかに丈夫だという認識が広まりつつあった。
工場には、注文がどんどん入ってきた。貿易部は、アメリカへの出荷を月々10台単位で計画していた。
揚がらない 生 産
業務部からどんどん入ってくる製作伝票に、工場は張り切ったが、生産にはまごついていた。これまでの機械部品が主体の当社製品群と違って、電子回路がやたら多いのだ。
ごく小さな電子部品が、1台につき数千個も使われる。これまでの真空管回路では、多くても数百個程度だった。分析機器工場の電気組立職場には、数人の組立技能者しかいない。私のコンピューターの製造では、部品メーカーがプリント基板までに組み立てて納入してくれていた、生産台数も年に数台だから、割と問題にならなかった。電子回路の主体はディジタル論理回路である。10進数3桁の計数回路は16組のフリップフロップ回路からなる(別項参照)。1組のフリップフロップは、トランジスター2個、ダイオード18個、抵抗10個、容量4個からなる。数値表示ランプの各々の数字を光らせるのに、15個の部品を使う。光るべきランプは35個ある。これだけでもAQVの計数回路基板1枚に1069個の部品が並ぶ。A4サイズのノートより少し小さい基板の上に、ぎっしりと部品が並んでいる。
ほかの、信号増幅回路、負高圧制御回路、操作制御回路、の部品点数はそんなにはならないが、リレーなど1個当たりの端子数が多いものがある。取付が難しいものがある。プリント基板の組み立てには、量産に入れば“ディップ・ソルダリング”技術を用いる。たくさんの部品の端子(リード線)をプリント基板の取付孔に挿入しておいて、溶融したハンダが溢れている鍋にプリント基板の裏面をジャブッと浸すのだ。たくさんの部品がいっきょにプリント基板の配線パターンに接着されて、固着と電気的接続が一気にできる。
だが、ディップ・ソルダリングの設備には高額の投資が必要、運転には相当の熟練が必要、費用がペイするためにはかなりの生産量が必要、とて、本格的に生産するためには当然考慮されるべき、と言われながらも、そんな設備は社内のどこにも、近在の外注にも、当時は、全然なかった。縁のある外注工場、下請け企業、あちこちに組み立て作業を外注した。確実な手付けハンダ作業でこなすのだ。人海戦術である。
だが、1000個を組み立てるには、部品1個(端子は少なくとも2個ある)の取り付けとハンダ付けに1分を当てたとしても、16時間=2日間 を要する。一人で1台に10日間、月に3台分もできない。熟練した工員さんならば、そして仕事が円滑に進んでいくうちに、もっとスピードが上がってくるが、初期には、こんなペースでは進まない。
そもそも、こんな細かいハンダ付けをたくさんするような仕事は、これまで無かったのだ。慣れない人々がにわかに動員されても、仕事は進まない。
そして、たくさんの部品を受け渡しし、仕分けて、必要なものが必要なところへ届くに至るまでが、なかなかスムーズには進まない。部品が揃わなければ、仕事が混乱してしまう。[参考] プリント基板やハンダ付けになじみのない方に
ハンダ付けは、けっこう熟練を要する仕事だ。ハンダ鏝(コテ)の先で部品と配線先とハンダとを同時に加熱し、熱されて溶けたハンダ液が部品の端子をくるっと包むように鏝先を操作して、うまく馴染んだところで鏝を引っ込めると、ハンダがじわっと固まって、部品がきれいに固着される。固まるまでは動かしてはいけない。
ベテランがやると、きれいに仕上がる。だが、馴れない人がやると、二つの物体を同時に溶けたハンダで包むことが難しい。ハンダが多すぎたり、少なすぎたりする。固まる前に動かしてしまって、ヒビ割れした状態で固まる。きれいな固まりができても、内部は解け合っていないこともよくある。手早く作業しないと、部品の内部まで高熱が伝わって、劣化したり溶けてしまったりする。

手頃な見本を今持ち合わせないが、左は実験用増幅器キットを組み立てたもの(表:部品面、裏:配線面)。裏側の配線は作者自身のハンダ付けによる見かけの拙い仕上がりだが、接続は確実にされている。基板のパターンは、写真腐食技術で工業的に形成する。 右の基板は、使わなくなったデジカメをバラして取り出した現代の技術による高密度表面実装 基板。複雑な回路は集積化されていて、手で触ることも中身を見ることもできない。基板には配線パターンが多層に形成されている。裏面にも部品や端子やリボン状の接続ケーブルが実装されている。ハンダは、鉛(ナマリ Pb)と錫(スズ Sn)の合金、200度未満で溶けて銅や黄銅に濡れ付くので、機械的な接着と電気的な接続がたやすくできて、便利に使われる。鉄材には、フラックス(松脂や塩酸+亜鉛のような還元剤。加熱時の表面参加を防いで濡れ付きやすくする)を上手に使えば接着可能。
昔はバケツや流しをトタン板(鉄板に亜鉛メッキしたもの)をハンダ付けして作ったので、ハンダ付け作業を市中でよく見かけた(いかけ屋)が、近年は密室でしか見ることができなくなった。
昨今は鉛の環境毒性が強調されて、スズ・亜鉛合金などに置き換えた鉛フリーソルダーリングになっている。(因みに、「ハンダ」は日本語。半田銀山に由来する、とか。)未熟な人や誠意を持たない人がプリント基板回路を組み立てると、下図のように、よくない例が続出する。急がせたりすると、さらに増える。
しかも、これらの不良は、現物をよほど細かく見つめないと見分けることができず、不良部分は、当座は電気的には接続していて装置は作動し、出荷後に、輸送や振動や温度変化や汚れや腐食性ガスの存在や、などで後日に発症することが多いので、製品の信頼性を大きく阻害することになる。

こうして、生産量を確保するために、外注を駆り立てて人海戦術を採った結果、あやふやな組み立て品が、納期を大幅に遅れて、少しずつ入荷してきた。
目視検査をしっかりした上で、部分的に通電して「調整」工程に入っていくのだが、以下のような諸原因によって、なかなかうまく作動しない。1. 部品の付け忘れ(付いていない、ハンダ忘れ)。
2. 部品の付け間違い(違う部品、値が違う、向きが違う)。
3. 部品が壊れている(割れ、切れ、熱的破壊)。
4. 部品の不良(設計間違い、調達間違い、製造上の不良、製造後の劣化)。分割されている要素回路ごとに調整用の周辺装置を用意して、各種の試験台を作り上げてから調整作業に進めばよいのだが、「やってみて様子を知りながら準備していこう」と、一挙に全体を組み上げて動かしてみたので、不良要素が干渉し合って、異常個所がなかなか検出できず、調整作業が少しも進まない。
設計した当人が調整作業に携わると、正常動作が頭に入っているので、異常現象の状態から、見当を付けて部品を調べてみて、原因を比較的早く検出できる。何台か、動く装置を先に作り上げて、それに新作の回路ユニットを差し込み、試験していくと、いくらか順調に調整作業体制が整っていった。
ところが、正常に動きだした装置は、出荷が待たれているので、たちまち取り上げられてしまう。結局、設計部隊(といっても2.3人だが)が長時間連続の製品製造作業を続けて、滞留をしのいだのであった。
作っていくと、いろいろ問題点や改良したいところ、改良すれば性能や作り易さが改善されるところ、が現れるのだが、当面は手が着けられない。一方で、調整部隊や、製品を客先に据え付け、アフターサービスを担当する部隊を養成しなければならない。
営業応援や展示会などへの出張も続く。諸種の説明書も作らなければならない。
くたくたになりながらも休めない連日であった。技術課の先輩連は、「我々は皆、こうやって製品を育ててきたのだ。しっかり頑張れ。」と、しごいてくる。
トランジスターの不良に悩む
最後まで悩まされたのが、トランジスターの不良、である。
トランジスターには、消耗する要因がない、変化するところがない、寿命が無い、永遠に動く、と期待されていた。これまで使っていた真空管は、ヒーターが消耗して切れる、切れるまでにも特性が変化して使えなくなる限界がある、突然動かなくなる懸念もある、と当てにできないものとされていたのに対して、トランジスターが出現した頃には、機構上、壊れるものではない、と認識されていた。
ところが使ってみると、割と壊れた。壊れても、外見では分からないので、不良部分を探し出すのが難しい。探し出しても、ハンダ付けしているので、取り替えが面倒だ。真空管だと、ヒーターが切れたら分かる。ソケットに挿して使っているから、交換が容易だ。そういえば、測定器などの中を覗いてみると、トランジスターでもソケットを使っているものがあったなあ。
トランジスターは熱に弱い、と、だんだん分かってきた。特に、初期に作られたゲルマニウム・トランジスターでは、内部温度が50℃を越すと、ゲルマニウム結晶の半導体特性が損なわれて電気良導体になってしまって、スイッチとして働かなくなる、付きっぱなしのスイッチになる。
シリコン結晶は100℃を越しても半導体として働くので、シリコン・トランジスターが製造されだした。このAQV-50には、量産され始めて安価になってきた新型のシリコン・トランジスターを採用したのだが、それでもリーク電流(洩れ電流)の多いもの、使ってるうちに多くなるものがかなりあって、リーク電流が多いと、下図に示すように、リーク電流によってトランジスターの内部が加熱されて、そうすると遮断電流が大きくなり、発熱が増えてさらに電流が増す暴走状態になり、過熱して破壊に至るものがしばしば現れた。
入荷検査を強化したり、過負荷試験で不良品を早期に除いたり、と対策を厳しくして行ったのだが、客先に納入してから起こる故障はなかなか減少しなかった。

その当時、トランジスター化して性能を発揮していたのは、電卓=卓上電子計算器である。出現してまもなくの頃で、デスクトップパソコンくらいの大きさはあり、個人ではとても買えない価格の、完全に業務用の商品だったが、私の工場でもレンズ計算のグループに数台あって、それまでの機械式電動計算器に代わって効果的に使われていた。
時々は故障していたようだったが、電子回路は安定しているようだった。そのトップメーカーであるS社のリーダーを、上司がよく知っているというので、無理に頼んで貰って、当社の製造グループ数人が同社の電卓製造ラインを見学に行ったことがある。
行ってみて一同が驚いたのは、すべての良さそうな手段をすべて実施している、という製造技術のていねいさであった。
工場内に大きな面積を占めてディップ・ソルダリングの装置がフラックスの煙を上げながら稼働していて、一方では大勢の女性作業員が手ハンダ付けで組み立てしている。自動装置と手作業とはそれぞれに長所と短所があるから、お互いで補っているという。そして組み上がった製品は、すぐに横の昇温ブースに入れて動作試験をしている。電卓だから、キーを叩いて計算させ、その答えが合ってるかどうか目で見なければならない。そのために長い手袋がずらりと昇温ブースに突っ込んであって、外側に作業者が大勢並んで、いろんな計算をさせている。
「この検査工程が、一番人手がかかって、金がかかるんです。」
「試験結果はすぐに組み立てラインに伝えられます。ミスしたらすぐに分かるんで、技能が保てます。」
「入荷したトランジスターは、こうやって鍋で煮て、不良品を選別します。」当社内の論議では、ディップ・ソルダリングは扱えない部品があるからダメだ、手ハンダは技能が安定しないから困る、部品メーカーが良品だけを入れてくるように購入仕様を厳しくしよう、などと話が出ても、そこから先がなかなか進まない。
最悪の選択・白熱球による数値表示
もう一つの弱点は、ディジタル値を示すのに用いた数字表示ユニットのタングステン・ランプにあった。1〜9の数字と小数点を表示するのに、35個のランプを使った。表示ユニットには文字を点列で刻んだ11枚の透明プラスティック板が重ねて入っていて、板の端のランプ11個のどれかを点灯させると、ある文字だけが光って見える。
ほかの方法としては、ニキシー管(ガス放電管の内部電極が文字の形になっている)があったが、高い電圧をトランジスターでスイッチするのは避けたかった。
タングステン・ランプに直列に抵抗を入れて突入電流を抑えると寿命がぐんと延びるということを知っていたので、ランプは切れたら交換できる、とも甘えて考えて、低電圧で点灯できる白熱電球による表示を選んだのだが、大きな弱点になってしまった。私の設計したコンピューターにはこれを採用して、予備球をマメに補充することで特に問題は無かったのだが、専任の操作者が数人で扱っているそうした大型装置に比べて、共用の道具として大勢の利用者が交互に時々利用する形態の小型の分光光度計では、保守に要する手間は受容できない、という認識が不足していた。
そのコンピューターのトランジスターも時に壊れたが、それほどの頻度ではなかった。恒温低湿室に設置して連続に安定に使用する装置と、ふつうの部屋で、窓際に置かれたり、付けたり消したりを繰り返したりする汎用装置とでは、当時のデリケートな電子部品の信頼性は、相当に違ったのかも知れない。
ついに降伏、全数引き取り
他にも、設計のまずさは多々あって、装置の寿命を縮めた。
プリント基板のコストを惜しんで、両面パターンでなく片面パターンで頑張ったのはよくなかった。両面を利用すると配線パターンの設計が容易になるほかに、コネクター端子が両面並列にできて信頼度が増す、部品取り付け孔の内面に銅膜がメッキされるのでハンダ付けが確実になる、配線経路がシンプルになり多重並列にもできて回路動作の安定性が増す、などの利点が大きくできる。
プリント基板の表面には、取り付ける部品の記号や数値を印刷しておくものだが、これもコスト低減のために止めてしまった。組み立てる人はずいぶん困っただろう。やる気をなくさせてしまったかも知れない。総じて、若気の至り、ひとりよがりの仕事であった。
相次ぐ不評に、ついに出荷した全装置を引き取ることになってしまった。全費用は工場が負担した。この負担は工場経理を数年間にわたって苦しめた。営業陣営の受けた打撃は、金額などではなかった。
だが私はこの頃、コンピューター化製品を開発するためにできた新組織『システム部』に移動していて、上の経緯は漏れ聞いただけ。詳細は知らなかった。
問題が燃えさかっていた頃、生産技術の不足を感じて、「私に生産技術をやらせてください。」と申し出たこともあったのだが、「君には相応しい仕事をしてもらう。生産技術には別種の人間が要る。」と言われて相手にして貰えなかった。傲慢な人間には生産技術は担当できないということかも知れない。今、省みて、まったく恥ずかしい。また、悔しい。 そして、迷惑をかけた大勢の方々に、お詫びを申し上げなければならない。これまで、ろくにお詫びする機会を持たなかった。ここでお詫びしても届かないのだが、読む人の薬にしていただいて、慰められてはいただけまいか。

【参考図書紹介】
昔の仲間からのコメント
当時いっしょに仕事したT兄からいただいたメールを紹介したい。
「喜利さんのホームページをアクセスしたら、昔の分光光度計の話が載っており、私が入社した頃の懐かしい話でした。
QV-50のプリズム駆動 の螺旋カムを斜めから見た絵は、力作でインパクトがあり、ちょっと笑えてきます。
その後、高性能な回折格子が圧倒的に安くなって、あの様な精密機構 が不要になってしまったのが時の流れを感じます。さらに分光光度計も単体で 売れるより、液クロの検出器などシステムの部品の1つとしての市場の方が大 きくなるとともに、分光測定の範囲も蛍光測定や顕微鏡の結合など、分光光度計の 枠を大きく越えて拡がっています。
その原点にQV-50があって(さらに言えば ベックマン社のDU型になるのでしょうが)、先輩技術者の工夫や努力 があったことが想像され、感無量です。」
十数年前にNHK-TVで、数回にわたって放映された特別番組「電子立国・日本の自叙伝」は、当時、大評判になった。トランジスターの出現から、その改良、応用装置と利用装置の開発の苦闘を、日米に広く取材して、劇的に展開、かつ、理屈を分かって貰おうと懸命の努力が込められて、人々に多大の感銘を与えた。
内容は単行本にまとめられ、さらに文庫本になって読みつがれたが、今は絶版になっている。今般、この章を記すに当たり、近在の京都市立洛西図書館で同書を見付け、再読して感興を新たにした。当サイトの読者ならば、興味を及ぼされること間違いなし。一読あるいは再読をお奨めする。
同書に述べられているがごとく、初期には手なずけるのに人々を悩ませたトランジスターは、今、性能を飛躍的に向上させて、集積回路となり大電力制御素子ともなって、社会の至る所に活躍している。
その発展の中に関わらせてもらった我々世代は、技術者冥利に尽きる、あるいは、地獄でもあった時を過ごさせてもらった。
しかし、この章は、書くのが辛かったのでもあった。お読みになった方々のご所存はいかがなりきか。 (04.10.29)