初の海外出張    日本工業展    街にて    大平原、黒海     もくじへ


ブカレスト の 市 街 に て

ホテル前の大通り

 1カ月滞在したホテル・ノルドは、首駅ノルド(北)の近く、新しくて大きなホテルだ。トロリー(電動バス)や通常のバスが盛んに発着している。

 バスやトロリーの料金はきわめて安い。1レイ(=\20)以下だ。だが、ぎっしり乗っている。その中に大きな番台が仕切られて、車掌のおばさんが威張って座っている。

 貨幣の価値はややこしい。当時、$1=\360=20レイ。これは旅行者レートで、公定レート$1=10Leiよりも優遇されているが、交換手数料を1割強取られる。ホテルは1泊10ドル。
  そして滞在1日につき$7.5=150レイの交換を強制される。これは外貨に戻せないのだが、使い道は乏しい。タクシーで通勤、ホテルで食事しても1日100レイほど。お土産も知れてる。特産の手の込んだ絨毯は美しいが、日本への輸送が難題だ。

 

 

 

街は整っている

 中心街は駅から少し離れている。道は広く、石畳の舗装が多い。歩道も整備され、植込みも多い。東欧のパリと自賛している、とか。

 公園がたくさんある。ホテルの裏、私の部屋の先にも大きな公園があって、テニスコートも見え、夕方遅くまで大勢の人が歩きまわり、声高く楽しんでいる。聞こえる子供の歓声に、2才の男児を日本に残してきた私は切ない。

 街に車は少ない。日本もまだマイカーブームの前で、そんなに混雑はなかったころだが、ここは主要路から外れると閑散としている。

 人々は出歩くのを好むようだ。良い季節だからでもあるだろう。冬はかなり寒いそうだ。散歩と立ち話が、この国の人の好むことという。

 

 

 

住居には苦労しない

 アシスタントのティティ君やその友人の学生たちと、この国のこと、日本のこと、をたずね合ってると、カネやモノの話では彼らはしゅんとして聞いている、住居と余暇の話ではこちらが黙り込んでしまう。

 私が見せる家族の写真に、私の小さな車(三菱コルト600)が写っている。 オォ、カー・パルソナーレ! と羨望の声だ。小さな車だよ、と言っても、イタリアのフィアットのようだね、いいなあ、と見つめている。

 住まいは、あるのが当然だ、と彼らはいう。なるほど市内のあちこちで、高層の集合住宅がたくさん建っている。
 先日も市電に乗って郊外へ向かってみると、終点から先へレール工事が進んでいて、 それに沿って、完成した建物、建てかけの建物、土台の工事、その先はブルドーザーが整地している、その先は大平原、という光景を見た。
 3LDKが標準、家族数に応じてもっと広い家にも入れる。標準的な設備だが場所は選ぶことができる、と彼らは説明する。

 私は日本で、「文化住宅」という分類のあばらや、に住んでいるのだ。それは2階建て8軒1棟の、ひどい長屋である。住宅公団に何度も申し込むが、高倍率で、抽選で外れてばかりいる。まわりの人も同様だ。
(日本のマンション式住宅は当時はまだ無かった。)

 そして、彼らは、余暇をたっぷり持っている。働きづめの日本の労働状況が信じられない。
 事務所でも午後3時には勤務を終える。週末も、休暇も、人生を楽しむためにある。そのために働くのだ、と彼らは言う。

 

←住居がぎっしりと存在する。

郊外のレストラン

 ある日ティティ君が、母が招待したいと言っている、と私を引っ張り出した。お世話になっているのでお礼がしたいのだという。
 お礼をしたいのは私の方だよ、と言いつつ連れて行かれたのは、郊外の大きなレストランだった。こんなのも見てもらいたいのだ、と自慢げに言ってた。

 なるほど立派な建物だ。壁は特産の織物で飾られている。たくさんの人が来ている。楽隊が、にぎやかに演奏している。
 彼の両親に、車を持ってる叔父さんが加わって、この人の車で市内から30分も、暗い田舎道を走って来た。

  5人で楽しく話をしながら食事をした。と言っても、ティティ君の通訳で会話が進むのだから、おもしろいが、ぎごちない。
 時々、そんな失礼なこと聞けないよ、という感じで彼ら同士が激しい口振りでやってることもある。どっちにしろ、私の英語がネックになるから、込み入った話にはならないが、日本と日本人とに、とても興味があったようだ。

 ルーマニアの料理をいろいろ教えてもらった。実物を味わいながら。
 基本的には種類は少ない。
  チョルバ:いろんなものを煮込んだスープ。
  サルマーレ:いろんなものを包んだロールキャベツ。
  ミティテイ:あぶり焼きの肉団子。
  ママリガ:とうもろこしのマッシュポテト。
 これらの、材料と味付けが、いろいろあるのだ。家庭によって違い、調理人によって変わる。
 お母さんから、けんめいに説明してもらったが、この種の言葉は翻訳も理解もとても難しいから、食べたら表情で示すしかない。
 演技力の試される会合であった。

昼飯の一景、住商の佐藤さんと市内のテラスで。
 テーブルには固い丸パンが初めから置いてある。ビールはまずい。サラダはなかなかうまいのに当たらない。少なかったり、汚れていたり。この例はましな方。皿の中身はミティテイとポテト。

生演奏に満ちている

 どのレストランにも生の音楽がある。いろんな編成だ。どれもうまい。
 展示場のそばのレストランも、夜にはこの一隊が来る。 このバイオリンは良く鳴る。私がエネスコが好きだ、と言うとウィンクして、「ルーマニア狂詩曲」の中の早いパッセージをばりばりと弾いた。ソナタは?と水を向けると、ちょっとまわりを見回してから、静かな部分を少しだけ弾いてくれた。相当な人なんですよ、とルーマニア語教授夫人が教えてくれた。
 作曲家エネスコは、この国の国家的偉人として敬愛されている。

 ホテル近くの公園にある野外レストランでは、夜になるとツァンバルの演奏が始まる。たくさん張った弦を撥で叩き廻すトルコ圏の民俗楽器である。もの悲しい調べからだんだん盛り上がって、踊り出す人もいる。夜遅くまでやっているらしい。

 展示会場にも音楽学校の生徒が雇われていて、エレクトーンで日本の歌などを弾いている。時にはすごく盛り上がった演奏をしていて、ティティ君に聞くと、ルーマニアの古い歌なんですよ、彼なりにアレンジしているんです。その時は、会場の人も聞いている。

市場のチーズ屋さん

 少し食べさせてもらった。羊のカッテージ・チーズだ。うまそうに食べてあげると、大喜びである。

露店が並んでいる

 近郊の農場から売りに来ている。

幼稚園の生徒たちか

 

 

 

 

 

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