初の海外出張    日本工業展    街にて    大平原、黒海     もくじへ

まわりは大平原。 黒海を眺める

バスで終点へ

 日曜日、適当なバスに乗って、終点まで行ってみた。この国には地図がないからよく分からないが、東の方角だ。

 この写真の右に大きな建造物が見えるが、カメラを向けなかった。
(この国は警察国家だ、軍事施設のようなものは撮影しない方がよい、と注意されていた。)

子供が集まってきた

 「ヤーこんにちは、エクスポジチア ジャポネーザ」と人なつっこい。
 「ヤー、ブン・ディミニャーツァ。 私はインジネール ジャポネーザ。 あれは何かね」
 「アイチャ、Termo Centrala ... 」 「...?」

 ポケットの辞書を出してめくると、火力発電所だ。先日やっと見付けた ル英−英ル辞書、文庫本ほどの小さなものだが、早速に役に立つ。
「エレクトリック!」 「ダー(da=yes)」

ここは農場?

 まわりを示して聞いてみるが、答が聞き取れない。年かさの女の子が辞書を自分でひいて、「ほら、collective。フランス語でもcollectiveというなあ」と言う。何? コレクティブ? はて。あ、そうか、コルホーズか。集合農場か。

 男の子に「おまえは5つか?」 「ダー。こいつは4つで、こいつは一つで、このお姉さんは8つだ」 「? 年じゃなくて学年を言ってるのか」
 「student?」 「ヌー(nu=no)、elev(=pupil:生徒)」と厳密な答え。
 互いに辞書を取り合って、くっつき合って、しばらくしゃべり合った。 楽しい一刻であった。

 

 集落に入っていくと、きれいな服装の子がいる。頼んで撮らせてもらう。辞書を示して民俗衣装と確認できたが、服の名までは聞き得ない。

 木陰のテーブルで飲んでいた集団から、おっさんがおばさんを抱えて飛び出してきて、撮れ、と構える。後ろから仲間の人々が何かさかんに冷やかしている。強い酒のにおい。楽しんでいるナア。

農村博物館

 展示場の近くにある Village Museum を覗いてみた。ルーマニア各地の古い民家が集めてある。民家の内部も復元されて、家具、いろんな道具、装飾品がたくさん並べてある。
 木材をたくさん使って、素朴な豪華さがある。
  古い物のようだが、聞けば、いまでも農村地帯、特に北部の山岳地帯では、昔のままの習俗が残っていて、中世そのまま、といった状態なんだそうだ。

 その地方では、羊をたくさん飼育して、羊毛を織って、服や敷物にする。織り込んだ色とりどりの模様がとても民俗味があって美しい。
 じゅうたんが日本に盛んに輸出されていますよ、とこれは商社の人の話。山岳地帯に旅行すると、とても人情味があって良いらしい、行ってるひまはありませんが。

 そんな土地に伝わる民族舞踊と音楽がすばらしいそうだ。バルトークなんかがたくさん採譜していると、これは後に聞いた話。

 

← そんな民族芸術を書き込んだ絵が、博物館の中の案内板にあった。左に掲げるが、実はかなり露出不足であるのを強引に補正した。
 下はその一部を拡大したもの。とても美しい図であったので、なんとか偲んでほしい。

 

 この国の周囲は、南はブルガリア、南西はユーゴスラビア、北西はハンガリー、そのすぐ北にチェコとポーランドが近く、北から東にかけてウクライナ、北東にモルダビアが挟まっている。
 いずれも民族色ゆたかな国々だ。
  南東に飛び出した部分が黒海に面している。その対岸の、南側はトルコ、北側はコーカサスとか、旧ソ連の諸国である。
 古くから交流と抗争を繰り返してきた。 お互いの影響を濃く交えながら、それぞれの民族色があるようだ。

 

黒海を見に行く

 ちょっと遠出をしてみましょうよ、と商社員のSさん。先ほどから登場しているが、当社のヨーロッパ総代理店の住商の下で、東欧数国の販売権を得ているN商事の人。ヨーロッパ、アフリカの、小口の商談を拾って駆け回っているタフな人だ。
 あちこちの様子を見ておくと話がよく分かっていいですよ。山よりも海だな。港と川筋は、人、物、情報の動くルートです。と、汽車で港町コンスタンツァへ出かける。片道3時間弱。

 1等か2等か。2等て乗れたもんじゃありません、人種が違う、と1等へ。豪華ではないが一応きれいな車室、3人向かい合わせのコンパートメントが並ぶ。この国は機関車まで自作できる工業国である。

 大平原を、ひたすら東へ走る。じゃがいも、麦、とーもろこし、甜菜、牧草。
  羊が走っている。犬の訓練か、子供の遊びか。

 写真右手の建物には、拡大して見ると、大型農業機械が並んでいるようだ。集合農場の基地か、農具工場か。

 向かいに座ったお嬢さんは、ブカレスト大学の学生とか。英語はだめ。
  ルーマニア語会話集を片端から試してる内に、途中の下車駅に着く。日曜に親元へ、ちょっと帰るという風情だった。
 卒業したら、ブカレストで仕事を見付けたい、と言っていた(ようだった)。

ドナウ川を渡る

 やがて、北流してきたドナウ川を、長い鉄橋でわたる。

 ドナウ川はドイツの南西に端を発して、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、そしてルーマニアに入ってきて、黒海に注ぐ。ざっと2000km。

 この写真は実は帰路に撮ったもの。機関車を先頭にした往路の姿を撮れば素晴らしかったのだが、初めてのコースでは、待ちかまえていてもめったにそんなのは撮れない。
 帰路に鉄道技師さんと乗り合わせて、その人のアドバイスで撮れた。それも、渡る前に撮り損ねていたら、もうじき良い場所があるからと、ていねいに指図してもらった。
 ドイツ語をわずかに話すだけの人だったが、意図は良く交換できた。

黒海のリゾート

 コンスタンツァから支線に乗り換えて一駅で、きれいな海岸に出る、と教わってきた。

 バカンスにはやや早いが、そんな人で賑わいつつある。比較的安いので、イタリアやフランスの客も多いとか。

 

 黒海では、キャビアを生むチョウザメが育つ。と言って、目前にいたり、売っているわけではないが。

 ブカレストのホテルのメニューに、50グラム 90レイ(=\2000)とあって、1、2度味わった。うまいものだが、ぱくぱく食べるものではない。
 ルーマニアの白ワインは意外に美味だ。これに気が付いたのはかなり後で、残念な思いをした。日本に樽でたくさん売っているそうだ。知らずに飲むこともあるだろう。

 

 こうして、東欧の最東端まで探査できた。人は楽しんでるものだな、と、当時はしきりに思った。
 そのうちに、世の中はそれが当たり前になってきた。

 


あとがき

 35年前、ルーマニアで過ごした31日間は、最初の海外の旅だったからか、今も懐かしい。 その後、ルーマニアという国名は、体操競技の「白い妖精」、ナディア・コマネチや、パン・フルート名演奏のジョルジュ・ザンフィル、などの人々の活躍で、少しずつ知られるようになる。そして1989年、独裁者チャウシェスクは、国民から裁判されて死刑になる。人民を収奪して栄耀栄華を極めた果てという。国家経済はいまだ不振を極め、昨今の為替レートは 1$ ≒33000 Lei、当時の千倍以上と、激しいインフレを示している。 しかし、この国の人々は、変わらず、しっかりと生活していることだろう。

 私は続いて(西)ドイツに移動し、こちらが主題の ACHEMA:化学工業展 を同様にこなして、7月13日に帰国した。出発前には言葉がまだだった息子が、しばらくもじもじしていた後、「おとうちゃん」と言いつつ、かじりついてきた。
 ドイツは一段と文明国で美しく、人々はビジネスにおいても、親切、相手に気を配って、仕事は円滑に進展した。こちらの話も、いずれ整理してみたい。

 当時撮り貯めたスライド写真は、いくつか抜けてはいたが、整理してフォトCD数枚に焼き直した。当時のカメラは完全マニュアルだ、露出は直感でやや控え目に決めていたので、露出不足が多く、今回、Adobe Photoshop(TM) の色調補正機能に、ずいぶんお世話になった。よく見えなかった細部が、おかげで分かるようになったショットがたくさんある。当時の仲間に、もう一度見せて、思い出を語り合いたいものだ。

【参考までに】
 ルーマニアについて、いくつかの本が出ている。なかでも、みや こうせい さんは、ルーマニアの山岳地方に、ほとんど住みついて、土地柄、人の暮らしを描かれている。私に縁の無かった方面なので、とりわけ興味深い。
 インターネットにも、検索すればたくさんの人の体験談などが現れて、現代のこの国を知ることができる。

[ 2003. 3. 5 記 ]

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