解説「モノを調べる技術」   臨床検査法研究の一例  質量分析装置の開発  タンパク質の構造解析研究  ご参考に  もくじへもどる 

タンパク質の構造解析研究

 前節では、タンパク質の存在を調べる方法の一例を紹介した。
 この節では、タンパク質の分子構造を調べる技術の一つを紹介する。

 生物の体内に実在するタンパク質は、膨大な種類であり数量であるが、きちんと調べてみると、いずれも基本的には、アミノ酸が数百個以上、一列に、順序よく、それぞれ決まった配列で連なっていて、そのアミノ酸は、決まった20種類ほどしか使われてない。 ある種のタンパク質では、 糖と総称する炭水化物のいくつかが付け加わっている。糖タンパク質という。

 このアミノ酸配列は、遺伝子のDNAに、符号で記憶されていて、タンパク質の体内合成は、DNAの符号を翻訳して進められるということは、今ではよく知られている。
 DNAに並んでいる順序で指定されたアミノ酸が、数百個ほど、細胞内で順に連結して、一本のアミノ酸の列ができあがり、できたとたんに、クルクル・グシャグシャと丸まって、1個のタンパク質分子になる。グシャグシャといったが、よく調べると、種類ごとに決まった形に丸まっている。構成原子どうしの各種の結合力によって、落ち着く形が決まっている。その形と、周囲に及ぼす結合力によって、それぞれのタンパク質の機能が現れる。
  糖鎖は、合成後に周囲から付加される。翻訳後の修飾という。糖質のほか、リン酸や脂質が結合したり、複数のタンパク質が集合して機能を現す例もある。

 タンパク質を基本から調べるには、そのアミノ酸と糖鎖などの、配列 −−1次構造−− を調べることが出発点になる。ついで、その実存する形 −−高次構造−− を調べ、それが発現する機能を調べて理解する、という順序になる。

 1次構造を調べる方法は、数十年来、いろいろ開発されてきた。 古典的には、エドマン法が長らく広く用いられてきた。 試料タンパク質のN末端側から、アミノ酸を1個ずつ遊離させる特殊な試薬を用いて、遊離アミノ酸の組成を順番に調べていく。 自動化装置が発達しているが、時間とコストを費やす方法である。試料も多量に消費する。

 前節の途中にチラと紹介した[MS/MS]質量分析法は、たくさんのタンパク質の1次構造を、ごく短時間に、ほとんど自動的に、分析することができる。

 調べたいタンパク質は、からだの中に無数にある。ある器官で何かの反応が進む時、ある細胞で何かが合成される時、ある細胞が病変しつつある時、その環境では、たくさんのタンパク質が存在し、互いに関係し合ってている。それらタンパク質のすべてを調べなければ、その状況、反応の仕組み、機序、は把握できない。
 その場、その系、その時、に存在するすべてのタンパク質の1次構造を、短時間に、ごく微量の試料から、自動的に調べ上げることができれば、既知のタンパク質類がどのように存在し、未知のタンパク質がどのように作用しようとしているか、次にどれを調べればよいか、判然とする。
 キーとなるタンパク質の高次構造を調べるにも、1次構造の把握が肝要だ。

 田中耕一さんが最近に完成させた MALDI-TOF QIT MSn 分析装置は、そのような「かたっぱし分析」に必要な能力を備えている。さまざまな知恵、くふうを集積した 調べる技術の典型として、これを眺めてみよう。

 

その仕掛け

 下の図に、装置の仕組みの中心を、しごく単純に示した。 実際の装置には、種々の補助装置や改良手段、情報処理系が、さまざまなアイデアを込めて付加されているが、ここでは要点だけを述べよう。もちろん、全体は、真空の中で作動する。

 図の中央に位置する電極群 QIT は、イオンを捕まえるトラップ(=わな)である。電極どうしの間に、適当な大きさと周波数の高周波信号を加えておくと、電極の中心に、イオンを捕らえ、保持しておくことができる。電極内に形成される高周波電界によって、イオンは細かく振動しながら中心部分に閉じこめられるのだ。
  そして、信号の大きさや周波数を変えていくと、あるm/zのイオンが不安定になって、外部に放り出される。信号をうまく制御すると、あるm/zのイオンだけを内部に残すこともできる。これ自体が、質量分析計の能力を持っている。

電極が3個なのに四重極(シジュウキョク:quadra-pole)と呼ぶのは、中心から見れば、リング電極が両側に現れるからだ。それぞれの電極の曲面は、円筒や球面ではなく、双曲面がベースになっている。細かい原理や改良の記述は略す。原理は古いが、近年、さかんに利用されるようになってきた。

MS/MS測定法

1. 試料を MALDI法でイオン化して、最初は QITを作動させないで、イオン検出器に直進させれば、分子イオンのTOF質量スペクトルが得られる。  (MS)

2. 試料をもう一度イオン化して、適当な電界でQITに引き込めば、全イオンがトラップされる。
  前方イオン路に偏向電極を設けて、時間的にスイッチすれば、必要なm/zのイオンだけをトラップすることもできる。
 または、トラップしたイオンから、高周波信号を制御して、必要なm/zのイオンだけを残して他のイオンを追い出せば、純粋な分子イオンだけがトラップされる

3. QITの内部に薄い不活性ガスを流しながら、高周波電界を少し振って、保持イオンを揺すってやると、イオンがガス粒子に衝突して、分子の結合部が開裂して、部分イオン群ができる。(これを、プロダクト・イオン、開裂イオン、フラグメント・イオン、などと言う)。分子の構造を調べるための処置である。

4. 高周波信号を制御して、保持イオンが不安定になるm/zを少しずつ変えながら、出てくるイオンを後方イオン路を通してイオン検出器に向けて走らせると、プロダクト・イオンの質量スペクトルを得ることができる。
 このやり方は、QITから出すイオンのm/zを、後方イオン路を走行する時間で測り直すことになるので、スペクトルの分解能を高めることができる。

5. プロダクト・イオンのスペクトルを解析すると、試料分子の1次構造を推定することができる。 (MS/MS)

6. 試料に複数分子が混じっていても、2の処置で1分子だけを選別することができる。

7. プロダクト・イオンの正体がよく分からなければ、そのイオンだけを残し、それを開裂させたスペクトルを得て、解析を進めることができる。 (MS/MS/MS)
 これを何重にも繰り返すことができる。 (MSn

 以下に、分かりやすい実分析例を示す。

 

合成タンパク質の分析

 理化学研究所(和光市。通称、理研)において、糖鎖を含んだタンパク質を分析する技術の研究が進められている。神経伝達機構の解明を究極の目的としている研究室*の、鈴木 實さんが、田中耕一さんとともに進めている最新の研究である。強引に御願いして、ここに成果の一部を披露していただいた。この研究の目的を、鈴木さんはメールで、次のように説明されている。

この試料(GP-1)は、糖ペプチドの質量分析法による構造解析の為に、理研の伊藤先生にお願いして合成してもらったものです。天然に存在する糖蛋白質で糖鎖の結合する様式は二種類に限定されていて、一つはAsnでもう一つはSer又はThr結合型です。 各々はN(エヌ)-linked糖蛋白質、O(オー)-linked糖蛋白質と呼ばれています。N-linked糖蛋白質の場合は、既に酵素とHPLC(高速液体クロマトグラフ)を用いた構造解析法が確立されておりますが、O-kinked糖蛋白質の場合は適当な構造解析法が確立されておらず、従って長い間解析法の確立が待望されておりました。今回の試料は、このO-linked糖ペプチドの中で最も構造の単純なものです。
   (注.三文字略号   Asp: アスパラギン N  Ser: セリン S  Thr: トレオニン T)

 試料「GP-1」の分子構造を、下図に示す。 鈴木さんに教えていただいて、構造の細部まで描いた。
 分子は、7個のアミノ酸で構成されていて、3番目のセリンに、環状構造になった糖鎖分子が結合している。
(このような小さなタンパク質は、 習慣的に「ペプチド (peptide)」と呼ぶ。アミノ酸100個以上が連なると、タンパク質と呼ぶようだ。)

 

 この試料を、上述の MALDI-TOF QIT MSn 分析装置にかけて、以下の操作を加えると、
下図に示すようなMSnスペクトル(n=1, 2, 3, ... )が、順次、得られる。

(A)MSスペクトル
     MALDI法でイオン化し、TOF-MSで測定すると、m/z:1078に、際立ったピークが得られる。
     GP-1の分子イオン[M+H]+(親分子にプロトンHが付いて正イオンになったもの)である。

(B)MS/MSスペクトル
     もう一度イオン化し、分子イオン(m/z=1078)だけを選んでQITに保持して、
    暫時、わずかな不活性ガスを流しながら保持イオンの運動を強めると、
    結合の弱いところが外れて、たくさんのプロダクト・イオンに開裂する
    QIT内のイオン群を、検出器へ向けて、低m/zから高m/zへ順に送り出して、
    飛行時間を加味しながら記録すると、MS/MSスペクトルが得られる。
    これは、分子イオンを構成する部分分子の質量を表現している。

    最初に選んだイオンを 「第1プリカーサー・イオン」と呼ぶ。
    プリカーサー:precursor とは、スキー競争の先行(試走)走者の意。
     化学の世界では、反応前の「前駆体」という意味で使う。

(C)MS/MS/MSスペクトル (MS3
    上のスペクトルの中から、さらに調べたい「第2プリカーサー・イオン」を決めて、
     操作を最初から繰り返して、これをQITに残し、
    これのプロダクト・イオンを作って、スペクトルを測定する。

(D)MSnスペクトル
    上のスペクトルの中で、正体をもっと調べたいピークがあれば、
    操作を繰り返して、さらに高次のスペクトルを求める。
    試料は消耗するが、解析は完全になる。

 このような操作によって、供試試料のスペクトルが、下図のように得られた。 この図を子細に検討すれば、試料の1次構造を明確に推定することができる。(プロダクト・イオンの記号の意味は、図中に説明している。部分分子の分子量を加算しながら、ピークの位置を確かめてみてほしい。)

 

スペクトルの解析

 さて、こうして得られたスペクトル図から、元の供試タンパク質の構造が推定できるか?

本研究の目的は以下の三点です。
1. 糖ペプチドを構成する各アミノ酸の同定とその配列情報を得る
2. 糖ペプチドを構成する糖鎖部分の構造解析
3. 糖ペプチドを構成する糖鎖部分の結合位置決定     (鈴木さんのメールより)

 1については、プロダクト・イオンを組み合わせれば元の構造が現れるに足る情報がある。確認するには、プロダクト・イオンのいくつかについて、さらにMS4スペクトルを得て、構成要素を調べればよい。
 2については、上の測定では追求していない。糖鎖分子のピークを求めて、それのMSnスペクトルから追求することになる。

 3. 糖鎖がどのアミノ酸に付いているか? は最大の課題だ。
   b7-H2O(=677), y5-H2O(=511), PSR-H2O(=323), b3-H2O(=254) などのピークは、SerからOHの抜けたイオンの存在を示唆しているようにも思える。b6, b5, b4, y6 などにも、-H2Oのピークが出現しないか?
 分析条件をいろいろ探って、部分イオンがもっと確実に現れるように、開裂操作の最適化を図り、さらに上記イオン群などのMS4スペクトルを求めれば、確実な推定ができるであろう。疑念が残らないように断定するには、第1プリカーサー・イオンとして、糖鎖を持ったピークを選んで、そこから得たスペクトルで、検証しなければならない。高分解能質量分析などの別の手段での確認も求められる。

 実はこの研究は、昨秋はじめに上のデータを得て以降は停滞してしまっている。田中耕一さんの業務復帰を待っている状態にある。
 QIT-TOF MS は広範な適応性を持つが故に、新規な分析対象に対する最適な分析条件を探索するには、対象物、イオン化法、測定法についての、該博な知識経験と処理や操作の腕前、そして最適状態を追求して定式化し、ソフトウェアに組み込むまでの創造的技術力、が必須になる。これらは余人をもって代え難い。研究の早期再開が望まれるところである。

 

タンパク質のかたっぱし分析 = 「モノを調べる技術」の好例

 とにあれ、このようにして、タンパク質の1次構造=基本構造を、確実に調べる手段が提供された。方法が安定すれば、分析操作は、対象ピークの自動選択までも含んで、ほとんど自動化することができ、試料1点当たりの解析所要時間はきわめて短くできる。サンプル自動供給装置と組み合わせて、かたっぱし分析を実行できる。通常のタンパク質に対しては、すでに実用化されている。

 タンパク質の分離手段には、また、便利な手法が開発されていて、自動化装置が完成している。液体クロマトグラフなどもよく使われているが、「2次元ゲル電気泳動法」は、タンパク質群を、寒天状のゲル媒質の上で、タンパク質分子の大きさ電気泳動度の2種の違いで、平面上の位置に分離させる手段である。
 生体内のある組織の、ある状態にあるいろいろなタンパク質、を集団で抽出してきて、2次元ゲル上に展開させると、数百のスポットに分離する。自動機はスポットをカメラで調べながら、たくさんのタンパク質を順に吸い取って、TOF MS用のサンプル・プレートに並べる。試料の化学的前処理も施す。
 これを分析すれば、その場に存在するすべてのタンパク質のリストができあがる。これを利用する研究者の役目は、それが生物の機能にどのように関与しているか、を探ることだ。

(このような 装置の実際は、製作所のホームページなどに、にぎやかに紹介されている。)

 こうして、生物学、医学の分野において、物質の基礎をなすタンパク質を調べる基本の技術が、田中耕一さんが点けた<イオンの灯し火>を道しるべに、物理学、化学を活用して、<生きている状態>を捉えるために活躍している。
  げに、この発見:「タンパク質のソフトなイオン化」は、ここまで利用されてみると、世紀の大発見、であったと言える。

 なお、タンパク質の、分子の実際の立体的な形=高次構造を探るには、単結晶に対するX線回折現象から解析を進める「X線結晶構造解析技術」や、今回のノーベル賞化学賞の半分を獲得した「NMR(核磁気共鳴)による水素原子位置決定法」が用いられる。
 対象物の精製を完全に行い、大がかりな装置を用いて多量のデータを測定し、高度の数学的処理を援用して、分子の構造を推定する。その推定の出発点には、確定した1次構造が必要になる。


 このようにして、種々のくふうを織り込みながら、モノを調べる装置は、いろんな分野の探索、その世界の把握のために活躍している。

 調べる技術は、いろいろあって、どんどん進歩していて、役に立って、結局、人の生き方を示している、と私は思う。

[2003. 1. 15 喜利 元貞 記]

謝辞

 本節を作成するに当たり、理化学研究所(下記部門*)の鈴木 實さん(医学博士)には、さまざまなご教示、ご支援をいただいた。厚く御礼申し上げます。

*フロンティア研究システム 生体超分子研究グループ スフィンゴ脂質発現制御研究チーム

 

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