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●●10月14日(日)●●
今回は私の車で行くことになったので、私が順々にみんなの家を訪ねて拾って行きました。最初に隣の隣の区に住むでぐりん、そして枚方まで行きひらと流樹を拾う。京都南から名神高速に乗り目的地である中央道の小牧東ICへ向かう。明治村の開村時間は9時30分。ちょうどその時間頃に着いて入村。
明治村は広さ100万平方メートルに及び、大小8つのブロックに分かれています。建物の数は全部で67。重文に指定されている建物も9つあります。何しろ広いので村内にはバスや京都市電・蒸気機関車・馬車などが走っており、それで移動が可能。
私たちの第一の目的である帝国ホテル中央玄関はどうやら正門から一番遠い様子。どうするか相談した上、正門側から順々にまわって行くことに決定。(→は明治村の正門。元は名古屋の旧制第八高等学校の正門)
まず最初に1号地の大井牛肉店、三重県尋常師範学校・蔵持小学校、皇宮警察署別
館、赤坂離宮正門哨舎、聖ヨハネ教会堂、学習院長官舎、西郷從道邸、森鴎外・夏目漱石住宅を見学。
大井牛肉店では牛鍋を実際食べられるそうです。まさか朝一から牛肉を食べるわけにもいかないので見学だけしておさらば。
次の三重県尋常師範学校・蔵持小学校(←の写
真)ではひらと一緒に燃える!教室の中にも入れるのですが、小さい机や教卓・オルガン・体重計(何故教室にあるか謎)も置かれていました。もちろん先生ごっこ(謎)もやりました。しかし、なんてハイカラな学校なんでしょうねぇ。さすが西洋の文化を取り入れようとしていた明治時代の建物。個人的には今のコンクリの学校の方が落ち着きます。
皇宮警察署別館は中で明治時代の偉人と触れ合おうって感じの展示がしていました。偉人の等身大のパネルが置いてあり、そこで写
真が撮れるようになってたり。この時代の人って身長低いんですよね〜。私とたいして変わらない方々ばかり。そうすると戦国時代の人って…。他には過去の新聞をプリントアウトできる機械もありました。それぞれ自分の誕生日の一面
を選ぶ。しかしたいした大事件もなかったらしく政治についてのことでした。平和だった証拠なので良いのでしょうが、面
白みに欠けたなぁ。
重文に指定されている聖ヨハネ教会堂。鎖国以来キリスト教の禁教令が出ていたが明治6年にそれが解かれ、各地で教会が建てられていった中の一つです。2階建てで、1階は子供の遊び場で2階が礼拝堂になっていました。子供に混ざって、力いっぱい遊ぶ大人4人。(精神年齢が子供?)積み木などの遊具や謎の坂がありました。謎の坂では急斜面
を力いっぱい登っては滑り、登っては滑り…という遊びをする。スカート履いてる奴らがすることでないです。靴下履いていると滑り易くてまた楽しいvしかし日頃の運動不足がたたってすぐに息が切れるあたりが情けない。ここは1階がレンガ、2階が木造になっています。外観・内観とも素晴らしく私的にお気に入り。特に2階内部の礼拝堂は、私の知っている教会とは一風違ったもので興味深い。私、仏教徒なので教会は観光目的以外には行ったことないのですが(罰あたりですみません)知る限りの教会は1階建てで天井までがとても高く、少し薄暗い雰囲気でステンドグラスから漏れる光が内部を照らしているという感じです。しかしここは2階建てなので当然、その分天井も低いです。また骨組みが見えるので実際より広く感じさせられます。そして元々あった京都の気候を考慮して天井は竹の簀。私の知る限りの教会より明るい雰囲気ですし。(写
真上が外観、下が2階の礼拝堂内部)
学習院長官舎は和館と洋館が混ざった造りでまさに明治時代!ちなみにこれが建立された当時の長官は第10代目にあたる乃木将軍。玄関には乃木将軍のパネルが置かれていました。昔、彼についてレポート書いたことあったので、ちょっと親近感が沸いたり(笑)。レポートと言っても「海軍と陸軍」というタイトル(自由に決めて良かった)の軽いレポートだったのであまりくわしく調べてはないのですが。ただ単に海軍について書きたかったので比較するため陸軍を持ってきただけ…
大井牛肉店もそうでしたが、明治村内の建物では実際お店として使われているものがいくつかあります。西郷從道邸(重文)もその一つで、一部が「ティールーム西郷」と言う名の喫茶店になっていました。ちなみに從道とは西南戦争で有名な西郷隆盛の弟です。この洋館は和風の本館とは別
に建て、接客の場として使用していたそうです。白い建物が青空に映えて素敵でした。また中も豪華。ソファや寝椅子、ベッドにくつろぎまくり。バルコニーから見える景色もなかなかなものでした。でもこんな家って泊まるくらいならいいですが、絶対住みたくないです。ベッドに落ち着いて寝られない日本人体質なきしきし。
この次に行った森鴎外・夏目漱石住宅が、私の理想の家。明治時代のごくごくありふれた一般
住宅。日本風の造りで一部屋ずつ離れておらず、隣の部屋を通らないと次に部屋に行けないというもの。これは元は東京にあったもので、森鴎外・夏目漱石の著名人が数年借りて住んでいたそうです。何故か、私たちは一緒に住んでいたと勘違いしていたのですが、家でガイドブックをよくよく読むと住んだ年代は違いました。(この辺に無知ぶりが現れている)夏目漱石の『吾輩は猫である』の文中に表記されている家の様子はここの家をよく表しているそう。私は『坊っちゃん』しか読んだことないのでよく知らないのですが…。(しかもこれ読んで泣いた覚えが。『路傍の石』で号泣したこともありますι)家の中には夏目漱石のパネルと猫の人形がありました。しかもどこからか猫の鳴き声が聞こえてきたり…。猫好きなきしきしはうひょうひょvこんな家で猫と一緒に暮らせたらいいでしょうね〜。あぁ、憧れですわ〜。
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