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長岡八町遺跡は、呉羽山丘陵北西麓の富山市長岡・北代新地区に位置します。
遺跡は縄文時代後期後葉〜晩期前葉(約3,500年前)の集落跡で、射水平野を見下ろす高台にあります。南側約500mには縄文時代中期後葉(約4,000年前)の国指定北代遺跡が所在します。集落の北側には湧水のある深い谷が入りこんでいます。
調査では、後期〜晩期の掘立柱建物や大型柱穴、貯蔵穴と考えられる土坑などが検出されました。 |
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発掘調査区(南から) |
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さまざまな祭祀遺物が出土 |
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谷の斜面からは大量の縄文土器や石器とともに、土偶や石棒、石刀、御物(ぎょぶつ)石器、独鈷(どっこ)石など祭祀に用いられたと考えられる遺物がまとまって出土しました。熱を受け欠損した石棒などがみられることから、祭祀行為が行われたあと意図的にこわされ、谷に廃棄(はいき)されたと考えられます。
これら祭祀遺物の中で、本遺跡を代表する遺物として北陸最大級の土偶の頭部の出土があげられます。土偶は仮面をかぶった様子が表現されています。 |
→土偶の頭部について |
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| 谷から出土した縄文土器 |
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土偶祭祀の変化と長岡八町ムラ |
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縄文時代の人々は、魔よけや自然界の動植物の繁殖、子孫の繁栄を願って土偶を製作しました。
土偶に仮面をつけることによって、それまでの土偶が備えた呪力を、より強化することを期待したのかもしれません。
昭和48年の試掘調査で出土した赤彩された土笛状土製品は、これを用いて精霊や祖先の霊を呼び寄せ、来る新しい時代の変化に備えるための力を求めたとも考えられます。
2点もの大型土偶が用いられていた背景には、この遺跡が周辺の村々から人々が集まり、大がかりな祭祀をとり行う拠点集落としての役割があったのかもしれません。
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