金屋南遺跡は、富山市中心部から南西約5kmの富山市金屋地内に所在します。西側には呉羽山丘陵が広がり、東側には井田川が流れています。遺跡は、井田川の自然堤防上、標高11mに立地しています。
 富山市教育委員会が平成8年度から企業団地造成に伴い、発掘調査を行っています。
 これまでの調査で、遺跡は鎌倉〜室町時代(12〜15世紀)を中心とした集落跡であることがわかりました。
鎌倉・室町時代の集落跡のようす
1. 溝で区画された計画的な集落構造がわかりました。
建物跡・井戸跡・畠跡・鉄生産の跡・土壙・道路跡など
2. 建物跡は、集落の北東側で9m×10mの大きなものが15棟見つかっています。南北方向を主軸にして整然と並んでいます。
3. 土坑からは、土器や銅銭(中国の北宋銭)、刀子などが出土しています。埋納品の有無により、集落内で身分の格差がみられます。
4. 井田川の西岸に築かれた白鳥城・大峪城・安田城の中間に位置しており、鉄の供給地として役割をもったのではないかと推測されます。

 製鉄炉は円形竪型炉で、下部が壊されずに残っていました。炉は東西65p・南北76pの大きさで、炉壁の厚さは6〜8pです。
 周辺には鉄滓や炭・焼土などが廃棄され、何層にも堆積しています。その広がりは幅約10mで、南北34m、厚さは約1.5mにもなります。そのなかには、鉄鍋の鋳型もあり、鋳物を行なっていたと考えられます。
 「金屋」の地名起源と関連があると推測されます。

 中世の溝跡から、馬歯が口を北側に、右あごを上に向けた状態で発見しました。当初は、馬の頭がそのまま埋められたと考えられますが、頭骨は腐食し、歯のみが残っていました。
 雨乞い儀式との関連が注目されます。

 木組み井戸は直径約3.5〜4m、深さ約2.8〜3.2mで、中に一辺70pの木製の井戸枠があり、その下には直径60pの曲物が埋められていました。
 石組み井戸は、直径3mで、河原石を組んで井戸枠をつくっています。深さは2.3mです。


金屋南遺跡出土の鏡について