1 調査結果の概要
 遺跡の所在する富山市水橋中馬場地区は、白岩川右岸の沖積平野に立地し、標高は約8mを測ります。

 富山市教育委員会では、平成11年度から、県道農道整備事業に伴い、富山県富山農地林務事務所の依頼を受け、水橋金広地区及び水橋中馬場地区に所在する水橋金広・中馬場遺跡、若王子塚古墳の発掘調査を実施してきました。

 平成11年度は、今年度調査区の北側に隣接する地区1,200uの発掘調査を行いました。ここでは、鎌倉時代(約700年前)から江戸時代前期(約300年前)にかけての館跡が確認されました。館は周囲を堀で区切られ、内側に88基の井戸跡や、掘立柱建物跡、土坑などが存在し、中世期後半期における館跡のようすが明らかになりました。

 今年度は、920uを対象に発掘調査を行いました。現在の水田耕作土真下に、古墳時代前期末から中期初頭(約1,600年前)と室町時代から江戸時代前期(約500年前〜300年前)にかけての遺構を検出しました。
(1)古墳時代(約1600年前)
若王子塚古墳
@これまでの知見
 水橋金広・中馬場遺跡内には、今年度調査区の東に若王子塚(八幡社)、西に宮塚(神明宮)があります。現在、両塚は神社地になっています。これらはいずれも古墳ではないかと推定されていたものの、決め手を欠いていました。
 なお、「若王子塚」という名の由来はよく分かりません。
A周溝の検出
 今年度の調査区内で若王子塚古墳の西側の周溝を検出しました。現存する墳丘の直径は約25mですが、今回検出された周溝を元に復元すると、直径約46mの大型古墳となることが判明しました。
 周溝の幅は約4m〜5mを測り、深さは約0.1〜0.3mを測ります。
 周溝の深さが浅いのは、古墳の周囲に後の時代の集落が形成されており、その際に幾らかの削平を受けたためと考えられます。また、昭和40年代のほ場整備の際にも削平を受けています。
 古墳の北側水田の追加試掘調査では、周溝幅5.4m、深さは0.35mを確認しました。これによって周溝は少なくとも0.4〜0.5mの深さがあったと推定されます。
 この試掘調査結果も合わせて古墳の直径を復元すると、約46mの大型円墳になることが明らかになりました。
 なお、現在のところ古墳の外表施設としての埴輪や葺石などは確認されていません。
B古墳の年代について
 若王子塚古墳を巡る周溝の中及び周辺部から、古墳時代前期末〜中期初頭(4世紀後半、今から約1,600年前)の土師器の破片が数十点出土しました。
 このことから、若王子塚古墳が古墳時代前期末から中期初頭の時期に属することが推定されます。
C若王子塚古墳の意義について
@)県内最大級の円墳
 これまで富山県内で確認された円墳で最大のものは稚児塚古墳(立山町)、近年発見された泉1号墳(氷見市)の直径46m、次いで四十九1号墳(高岡市)の直径44mがありました。
 30m級の円墳は、県西部を中心に多く見つかっています。近隣では、塚越古墳(立山町)の35m、清水堂古墳(富山市)の30mなどがあります。若王子塚古墳の直径は46mを測り、稚児塚古墳、泉1号墳と並んで円墳では県内最大規模となることが確認されました。
 この地域(新川郡)では、直径30m以上の大型円墳が少なくとも4基集中しており、規模からみると4世紀後半から5世紀前半にかけて他郡(射水郡、砺波郡、婦負郡)よりも有力な勢力が台頭していたことが分かります。
 これまでの県内の古墳形成史では、4世紀に前方後円墳が築かれ、5世紀になって稚児塚古墳で代表されるように大型古墳が突如出現するとされてきました。今回の発掘調査によって、これまでの大型円墳出現の歴史的背景を見直すための資料になると考えています。
A)白岩川流域古墳群成立の貴重資料
 周辺地域では、第2図のような古墳群を総称して「白岩川流域古墳群」と呼ばれてきました。これらは、弥生時代後期から古墳時代中期(3世紀前半から5世紀前半)の県内での一大勢力の存在を示すものです。これまでそれらを代表するものとして竹内天神堂古墳(舟橋村、前方後円墳・全長38m)、稚子塚古墳(5世紀前半に築かれた円墳)などが知られていました。
 特に稚児塚古墳は県内最大の円墳で、葺石・周庭帯を持つなど県内の他の古墳では見られない造り方をしていて、5世紀代の新川平野(白岩川流域)に他地域に傑出した大勢力形成の象徴とされてきました。
 このような中で平成11年度には、白岩川をやや上流にさかのぼった(直線で約800m)水橋清水堂地区の清水堂南遺跡で、方形周溝墓と円形周溝墓(3世紀前半)が並んで見つかりました。今回の調査でも稚児塚古墳に先だつ4世紀後半の同等規模の大円墳が確認されたことで、当地域の大勢力の成立過程を解明する上で貴重な資料となりました。
(2)その他の時代
 奈良〜平安時代の遺物と、室町時代から江戸時代前期にかけての多くの遺構・遺物が見つかっています。
@奈良〜平安時代(約1,200年前)
 須恵器・土師器が約20点程出土しています。遺構は未確認です。
A室町時代〜江戸時代前期(約500年前〜300年前)
@)遺構
・道路跡
 路面幅約2.7m(9尺)の道路跡で、両面に幅3〜4mの大きな側溝(大溝)が伴っています。溝が形成された段階(中世)で、若王子塚古墳の裾を一部削りながら残存する古墳の墳丘裾に沿って北へ向かっています。
 旧地割図を見ると、大溝が埋まった後も、ほ場整備前までほぼこの位置に道が存在していました。
・大溝跡
 今回の調査区の北端に2条(浅いものと深いものが重複している。)見つかっています。
 この大溝は、平成11年度の北側の道路跡のほか、井戸2基が確認されているにすぎません。
・井戸跡
 一辺2.5mの方形の井戸跡と、直径1.7mの円形の井戸跡を各1基づつ検出しています。井戸跡からは、中世〜近世にかけての土器や陶磁器の他に、箸状や板状の木製品、植物の種子などが出土しました。
 方形の井戸からは、五輪塔の空風輪や、宝篋印塔の相輪部が出土しました。井戸を使うのをやめた際に投げ入れたもので、井戸祭祀の一形態と考えられます。
水橋金広中馬場遺跡