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〜古代婦負郡の生産拠点〜 |
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向野池遺跡は、呉羽山丘陵の北西側に広がる射水平野に立地する旧石器・弥生・平安時代の集落・生産遺跡です。これまでの調査で、平安時代(約1100〜1000年前)の土師器焼成遺構4基、井戸3基、掘立柱建物約15棟、焼壁土坑、瓦塔(寺院の塔をまねた高さ1〜2mの素焼きの塔)が出土しました。甕や鍋などの日常容器とともに仏具も製作していたと考えられます。 |
●18年度の調査
平安時代の掘立柱建物8棟、井戸1基、鍛冶跡と推定される炉跡1基、焼壁土坑21基、弥生時代の竪穴住居跡2棟、縄文時代の竪穴住居跡1棟、土坑が出土しました。
調査区東よりには掘立柱建物が集中し、3時期にわたって建物が建て替えられていますが、いずれも軸方向はほぼ同一であり計画性をもって建てられたと推定されます。 |
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| 3面に廂が付く大型掘立柱建物 |
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| このうち1棟は、北・南・東の3面に廂が付くのが特徴です。東西6間(廂を含めて約15m)、南北2間(廂を含めて約9m)で、建物面積は約136u(約82畳)ある大型建物です。柱穴からは、底部に「三」と記された須恵器の墨書土器が出土しました。この建物の南側には並行して4間×2間の掘立柱建物が同時に建ち、建物内から炉跡1基が出土しました。 |
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周囲の柱跡から多量の鉄滓、ふいごの羽口、鍛造鉄片が出土していることから鍛冶跡と推定されます。掘立柱建物群の周辺に所在する焼壁土坑からは炭化物が出土し、遺物の出土は数点でした。ここでは炭焼きを行っていたと考えられます。炭の時期を年代測定したところ掘立柱建物群の構築年代の前後にも作られており、長期にわたって炭焼きが行われていたことが推定されます。土師器の焼成や鍛冶を行うための燃料として生産されていたのでしょう。
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| 律令体制化では郡の役所に「郡雑器所」と呼ばれる土師器などの容器類を生産する施設が存在したことが推定(下野国府出土木簡から 『都可郷進一荷□ 検領(藤)所返抄 郡雑器所 申送』)されています。本遺跡もそのような役割を持っていた可能性があり、今回確認した廂付きの大型建物は、土師器生産や鍛冶を行うための工房、生産を統括するための管理施設のいずれかの性格が推定されます。 |
| 県内の遺跡を見ますと廂が付く大型掘立柱建物は郡家(郡におかれた役所)・荘園など公的な遺跡で確認されています。当時、向野池遺跡周辺は婦負郡に属すると考えられることから、婦負郡との関わりが深い遺跡と推定されます。 |
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