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発掘調査では竪穴住居4棟が検出されました。
2号住居、3号住居は、楕円形の平面プランです。2号住居は長径約6mを測り、3号住居は約10m以上の大型住居です。これらの住居の炉は、地面が焼けた地床炉(じしょうろ)で、またロート状ピットと呼ばれる特殊な穴を持つという特色があり、縄文時代中期前葉のものです。
4号住居は、1〜3号住居の位置から西に約60mの所で検出されました。
楕円形の平面プランで、小型の石組炉を1基とロート状ピットを2基(切合い関係を持つ)持ち、中から深鉢などが出土しました。住居跡全体の規模は調査区外に延びています。また西側の住居の肩が後世の削平により検出できませんでした。
1号住居は隅丸方形の平面プランで、約2.5m×2.5mと極めて小さいものです。4本の主柱と2本の棟持柱(むなもちばしら)で骨組みを作り、中央に石で組んだ方形の石組炉があります。炉は一度作り直され、2回目はひとまわり小さくなっています。住居の廃絶後には土器などの廃棄がなされていました。類似した住居は大山町東黒牧上野遺跡に認められます。
また、1号住居内の北東の柱穴の基底部には礎石が置かれていました。この柱穴と南西の柱穴からクリの炭化したものが4点出土しました。
住居の炉の形態は、縄文時代中期前葉に地床炉から石組炉へと変化します。4号住居から見つかった炉は、石組炉が出現した初期のもので、野沢狐幅遺跡(立山町)、永代遺跡(上市町)とともに県内で最も古いタイプです。
これらのことから、住居は、2号住居・3号住居→4号住居→1号住居といった変遷をたどることができます。
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