この塚は地元では、常願寺川氾濫防止祈願の法華経一字一石納経塚と伝えられています。
 塚の上部には、古来より西の番熊野社の神木とされてきたケヤキの樹根(径1m)が2本残っています。
 塚からは、宝筐印(ほうきょういん)塔の相輪部・五輪塔の火輪部・珠洲焼の一部が出土しており、付近(太田本郷地内)に残る山伏塚(やまぶしづか)との関係から、熊野修験者たちによる遺構とも考えられています。
 この塚は現在広さ7m四方・高さ1.7mありますが、かつては一辺10m前後の大きさで、塚の前を横切る道路の中央ぐらいまで広がっていたと言われています。 

(富山市教育委員会 S63 『富山市の「文化財・史跡案内」』)