打出遺跡は、富山市北西の海岸部に位置する集落跡で、弥生後期〜古墳前期(約1800〜1600年前)の集落跡及び中世(650〜800年前)の館跡です。
遺跡の北側はかつての神通川跡で、1〜3mほど低くなっており、集落は河川に面する河岸段丘上に立地します。
 
 弥生時代後期〜古墳時代前期(約1800〜1600年前)の集落は岸辺に存在し、中世(650〜800年前)の集落はそこよりやや内陸側に営まれています。
旧神通川跡
川辺の集落  −弥生〜古墳時代−
 弥生〜古墳時代の集落は、方形の竪穴住居5棟が検出されています。

遺跡の北部で検出された旧神通川跡(古くは「カンの川」、「古古(ふるふる)川」と呼ばれた)の岸辺の傾斜地には、古墳時代前期に木道と見られる木の集積や、赤く塗った祭祀用の高杯(たかつき)や壷(つぼ)など多数の土器が廃棄された場所が確認されました。

 土器が廃棄された場所から、三連壷(さんれんこ)と呼ばれる特殊な土器が見つかりました。

 この土器は小型の壺を3つ積み重なった形をしており、上から7.3p、7.0p、5.6pと下に向かって小さくなっています。口の部分は欠けており、現存する高さは14.2cmです。
 
 表面全体をヘラのようなもので削って仕上げており、赤色顔料(ベンガラと呼ばれる酸化鉄)を表面全体に塗っています。
三連壺
  この特殊な土器は、古墳時代前期ごろに畿内を中心に作られた土器(二連壷・三連壷・四連壷)の一種で、本遺跡が最北端の出土例として注目されます。
 
 四連壷は東大阪市馬場川遺跡(集落遺跡、井戸から出土)、三連壷は奈良県添上郡都祁村ゼニヤクボ遺跡(集落遺跡)から出土しています。

 この遺跡では、水または河川に対する鎮(しず)めや、穢(けが)れの清めなどの目的で祭祀が行われたと想定されます。 
湊に関わる館か―中世―
 中世の集落は、方形に堀で囲った屋敷地に、掘立柱建物・井戸・溝・土坑などを配置する館で、複数が所在します。この館群の南側には両側に側溝を有する幅90cmの道路が存在します。この道路跡は、下村(射水郡)の加茂神社方向に向かって延びています。

 中世には旧神通川河口に三津七湊(さんしんしちそう)のひとつ「越中岩瀬湊(いわせみなと)」の存在が推定されており、この遺跡が湊町と関連しているのかもしれません。
古墳時代の竪穴住居から出土した土器 中世の道路跡