■ 蜆ヶ森貝塚 ■
(富山市北代地内・白鬚神社境内)
 
 この貝塚は、小竹貝塚の東方約200m、北代の白髭神社境内にある淡水産貝塚で、縄文時代前期(6000年〜5000年前)の北陸地方を代表する貝塚の一つです。縄文海進の際広がった旧放生津潟べりに貝塚が形成されたものと考えられます。
 「蜆ヶ森」という遺跡名があらわすように、この貝塚からは出土する貝殻のほとんどが蜆です。そのなかでもヤマトシジミが79%を占め、ヒメニホンシジミ、マシジミ、サルボウなどが確認されています。他にもシカ、イノシシ、アナグマの獣骨や骨角器・人骨・石器・縄文土器などが出土しています。
出土した縄文土器の胴部は羽状文で、口辺に無文帯がつくられたり微隆起線文をひいたりする特徴的なものです。このような特徴をもつ土器は縄文時代前期後半の「蜆ヶ森式土器」として標識化されています。
江戸時代に書かれた野崎雅明著「肯構泉達録」には、この貝塚と近くの姉倉比売神社にまつわる伝説が残されています。
 
 「昔、姉倉比売(あねくらひめ)という美女が機を織っていると、青、黄、赤の蝶がむらがりきて手助けした。蜆の宮に満ちている蜆の殻が蝶になってきていたのである。比売(ひめ)はこの蝶を大変かわいがり、郷里の舟倉山(大沢野)へ帰るとき、いつもそばにいてほしいと願ったら、蜆はみな蝶になって飛んできた」
江戸時代の人たちにとっては、内陸部での貝殻の散乱は神秘的であり、このような解釈がなされたのでしょう。