〜石垣の刻印〜

 石垣の石には刻印が見られるものがあります。

 刻印は、石を選定し、切り出し、城で積むそれぞれの過程で付けられた目印で、それぞれ担当した石工集団の識別のため付けられたという説もあります。

 塩照夫氏の調査により10種類20個余りが見つけられていましたが、これまでの調査により、実に90種以上、300個以上もの刻印を確認しました。これまで確認が困難だったのは、度重なる火災により花崗岩の表面が劣化して刻印が剥がれ落ちたり、積み替えのとき見えない側に入ってしまったことが主な原因と思われます。
富山城石垣にみる刻印(2005年3月現在)
 富山城で最も多く確認されているのは「十」と「卍」です。「十」は記号または漢数字あるいは十字架(クロス)と考えられます。金沢城ではキリシタン大名高山右近が築城に関与しており、同じ刻印を十字架と理解する説は説得力がありますが、富山城において確実なことはわかりません。
卍形の刻印

 富山城・金沢城・高岡城の3城では11種類の刻印が共通しています。「十」と「卍」もその中に含まれています。

 中でも注目されるのは星形の刻印です。この刻印は、大手升形石垣入口右手に一つ、同じ大手升形左側石垣の南西角に二つの計3個があります。後者の位置は、本丸内の藩主御殿中央からみて、ちょうど南西方向(裏鬼門の方向)にあたります。藩主ひいては城自身の裏鬼門を守護する意味を持つ「清明印」であったと考えられています。

 この星形刻印は、他の刻印と異なり、大きな星形が石面いっぱいに彫られています。このような大型刻印は、金沢城においては寛永年間(1624-1644)以降の特徴と考えられており、富山城では寛文元年からの石垣改修の際に、新たに石垣に彫りこまれたものと考えられます。
           (古川)