〜富山城の割石技術〜
(8) 矢
A近代矢

 近代の石垣修復の際補充された新石には、矢穴を穿って石割を行ったものが見られます。

 矢穴は江戸時代のものに比べ小形で、上幅1.5〜3寸、下幅1寸、深さ1.5〜2寸の寸法で、幅が狭く、深さが深い傾向にあります。

 このような矢穴は、通称「豆矢」と呼んでいます。豆矢においても、江戸時代の技術と同様、石ノミを使用して矢穴を彫り込んでいます。
豆矢のある築石 江戸期通常矢
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 この豆矢は、明治時代から昭和40年代頃までの石割に使用されました。富山城には、この豆矢のある割石が石垣天端に多数みられます。これらは、昭和28年の富山産業大博覧会の工事や、昭和40年代の城址公園整備工事などで調達されたと推定されます。

 豆矢のある石は、流紋岩や安山岩が主体で、早月川産とみられる花崗岩石材はほとんど見られません。

 これまでに確認された豆矢の矢穴列が残る安山岩は、常願寺川上流の富山市岡田(大山地区)で1石が確認されています。ここから川底までは相当の高さがあり、人力で引揚げることは困難です。付近に矢穴のある石が存在しないことから、商業ベースの生産ではなく、一時的に選択され、石割が試みられたものと考えられます。
(古川)
常願寺川の矢穴石