戦国期富山城の発掘
〜鍛冶工房〜
鍛冶工房土間

 江戸期に「西の丸」と呼ばれていた場所では、以前の発掘で小鍛冶工房跡が確認され、鍛造剥片や砥石の存在から、武器の鍛造から完成までを行っていたことが明らかになっていました。

 17年度の発掘では、小鍛冶工房跡の東側で、多量の鉄滓(鍛冶滓)や木炭のほか、鞴の羽口、工芸品とみられる透し彫り唐草意匠の銅合金鋳物製品が出土しました。ここでも硬く締まった土間遺構が検出され、工房の床であることが確認されました。

 鍛冶滓には、炉底にたまった椀形滓(わんがたさい)があり、それを分割して捨てていました。また、ねずみ鋳鉄(ちゅうてつ)と呼ぶ鋳造用の鉄の塊もありました。

 このことから、この地点は銅や鋳鉄を用いた鋳造工房であった可能性が高いことがわかりました。小鍛冶工房からは鉄鍋の破片が出土しており、鉄鍋を鋳造していたとみられます。

 これらの成果から、戦国期には、二の丸の北部を中心に広い範囲で鍛造・鋳造といった多彩な金属器生産が行われていたことが明らかになりました。
                    (古川)