平安時代2 |
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朱雀天皇のもと、藤原忠平は関白となり、朱雀天皇が譲位し、村上天皇になった後も関白でした。しかし、忠平が死去すると、村上天皇は関白を置かず、摂政は中断しました。 |
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一条天皇の中宮は伊周の妹の定子(ていし)でしたが、道長は娘の彰子(しょうし)を女御(にょうご)として入内させます。入内してすぐに彰子は中宮になり、定子は皇后となりました。ここに一帝二后の前例ができましたが、定子は間もなく世を去ります。この時代、皇后・中宮・女御には才色兼備な女房がつけられました。定子につけられた女房に「枕草子」の清少納言がいました。彰子には「源氏物語」の紫式部がいました。 |
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960年に宋の太祖が帝位に就きました。日本と宋とは11世紀後半まで宋船の来航で結ばれていました。10世紀末には我が国は許可なく海外に渡航することを禁止していました。 |
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外国商船との貿易は政府の承認の下、大宰府で行うのが建前でしが、それらが守れなかったこともあったようです。宋船と接する大宰府官人は商品を入手する機会も恵まれていました。藤原隆家は道長や彰子にそれらを献じていました。輸入されたものは高級織物、香料、薬、書籍等でした。また、宋船によって宋に渡った僧侶もいました。 |