室町時代 |
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足利氏の邸宅は、尊氏の二条高倉、義詮の三条坊門万里小路(までしょうじ)にありました。三代将軍義満になって北小路室町に室町第(むろまちだい)が建てられました。花の御所と呼ばれるように絢爛たる造作で、ここに室町幕府の基礎もようやく固まりました。 |
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室町幕府は、尊氏・義詮の時代には、独自の機構や制度を作り上げる余裕がなく、多くは鎌倉時代のものを踏襲しなければいけませんでした。3代目の義満の時代になって、その体勢固めや多くの課題に取り組みました。 |
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1379(康暦元)年、管領は細川頼之から斯波義将に代わり、鎌倉時代以来政所の執権を勤めてきた二階堂氏に代わって、足利氏譜代の家臣の伊勢氏が就きました。以来、伊勢氏がこの職を世襲します。 |
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1394(応永元)年、義満は将軍職を子の義持(よしもち)に譲り、太政大臣も辞して、出家しました。しかし、将軍後見役、大御所として実権を握っていました。 |
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義満の専制の下での矛盾や課題は、4代将軍義持の時代に出てきます。1416(応永23)年、前年まで関東管領の犬懸(いぬかけ)家の上杉禅秀(氏憲)が東国の守護大名や豪族の支援を得て挙兵し、鎌倉の公方邸を攻撃しました。公方足利持氏は管領山内家の上杉憲基邸に逃げ、憲基は越後に逃げます。これを禅秀の乱と言います。 |