戦国時代 |
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1493(明応2)年、細川勝元の子の政元が将軍義材(よしき、後、義尹よしただ、義稙よしたね、と改名)を廃して、足利義遐(よしとう、義高よしたか、義澄よしずみ、と改名)を擁立します。このクーデターの狙いは、幕府の実権を畠山政長から奪うものでした。 |
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この頃の将軍は名ばかりで、京都を中心とする不安定権力でしたが、京都や畿内の持つ政治・経済的地位は特別のものでした。大内義興はこの後10年間在京しますが、その主な狙いは対明勘合貿易を独占することにありました。幕府の体制は既に崩壊していました。 |
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この時代、地方では守護体制を打ち破る戦乱が起こってきます。 |
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北条早雲と同様に出自・前歴がはっきりしないのが、斉藤道三です。早雲と道三は60以上も歳は違いますが、早雲が60歳で史上に登場するのに対し、道三は20代で美濃で活躍します。 |
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守護代から戦国大名になった例に、山陰の尼子経久(つねひさ)がいます。尼子氏は出雲守護京極家の守護代の家柄でした。 |
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守護から戦国大名になった例を見ます。駿河の今川氏親(うじちか)の家は足利家の一族であり、南北朝時代以来、駿河の守護職を世襲していました。 |
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室町から戦国時代にかけて、稲作の生産力は増加しましたが、飢饉の年には餓死者が出るという不安がありました。そして、そんな不安の中、穀物の売買は意外に広く行われていました。 |
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百姓・地侍の結合が宗教を媒介にしてもっと強くなったのが、加賀門徒の惣国でした。応仁の乱で、守護富樫家は分裂し、政親は東軍、弟幸千代は西軍に分かれ、互いに国人達を集めて争っていました。弟幸千代はこの地方で力のあった真宗高田派の門徒を味方に入れました。これに対し、政親は本願寺派門徒を味方に引き入れました。 |
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1498年、ヴァスコ=ダ=ガマの率いるポルトガルの船隊は喜望峰を回ってインドに到着しました。このインド航路の開拓はポルトガルの東方貿易に巨万の利益をもたらしました。 |
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1549(天文18)年、ザビエルは鹿児島に上陸しました。 |
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鉄砲と並んでこの時代渡来したものに木綿があります。木綿が普及する前は絹の他は苧(お)・麻が繊維の主力でした。江戸時代に入ると、木綿の時代になります。 |