江戸時代3 |
|
江戸時代は、士農工商という身分制度で区分され、居住地も町方(まちかた)と在方(ざいかた)という都市と農村で区分されていました。在方は一次産業地域で、農業・林業・漁業を営む人々の集合体の村で構成されていました。 |
|
農民が領主に、暴力または非合法な手段で抵抗するものを百姓一揆といいます。世の中の矛盾が激しくなるに従い、一揆は多くなりますが、寛永・享保・天明・天保といった大飢饉の時、一段と発生件数は多くなりました。 |
|
国学は仏教や儒教などの思想が伝来し、我国固有の道(古道)が衰退してしまったので、古典を研究することにより、回復しょうというものでした。 |
|
浮世絵は大量生産ができ、大衆相手の芸術でした。菱川師宣が浮世絵の画風を作り上げました。師宣に続いて鳥居晴信・清倍(きよます)などが芝居絵を、懐月堂安度(かいげつどうあんど)・宮川長春(みやがわちょうしゅん)・奥村政信などが美人画を描きました。 |
|
江戸中期から明治初めにかけて、西廻り航路に北陸・山陰の廻船が就航しました。これが北前船で、加賀藩が米を大坂に船で運んだのが始まりだといわれています。北前船は北国の海産物・木材・米を積んで、日本海から関門海峡・瀬戸内海を通って大坂に運びました。そして、大坂・兵庫で繊維製品・薬種・塩などを仕入れて下関・山陰・北陸・東北・松前に運びました。北前船は荷主の依頼によるものでなく、船主が寄港地で商売をしながら、日本海側と瀬戸内海側を往復するのが主体でした。 |