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花尾山は皿倉山の西北西に位置し、山頂を八幡東区と八幡西区の境界線が通っています。標高351mで、花尾城の古城跡があります。 |
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河頭山の麓に駐車場があります。その横が都市高速道で、河頭トンネルがあります。この付近のバス停に「屋形船」という名前が残っていますが、都市高速道ができる前は池があり、料亭があって、屋形船が浮かんでいました。 |
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河頭山の山頂を目指して登って行きますと、「河頭山不動明王 頭山満翁」の案内板が出ています。そちらに向かいます。このあたりの山や土地を所有していた木村孔爾氏が心酔していた玄洋社の頭山満の名を刻ませた石碑が建てられています。 |
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頭山満翁の石碑の先に不動明王像が建てられています。更にその横を通って登るか、元に戻って山頂を目指します。 |
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広場に出ます。大きな岩に歌が刻まれたり、その上に石碑が建てられたりしています。大岩の上に仏像、そしてその横に人物像が建てられています。仏教済世軍・済世幼稚園の創立者眞田増丸の坐像です。 |
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広場の一段上が河頭山の山頂です。山頂には石碑が八幡西区黒崎の市街地を背景に立っています。 |
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下りは広場に戻り、登って来た道とは違う、左側の道を下ります。途中に「忠孝」の文字を刻んだ大岩の碑があります。戦前、頭山満に木村孔爾氏が揮毫してもらったものだそうです。 |
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忠孝碑を過ぎて下って行きますと、人工的にそこに置いたように、大きな岩がごろごろしている所に出ます。これは花崗閃緑岩という御影石の一種だそうです。以前は、河頭山にも石切り場がありました。 |
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河頭山を下りて、花尾山に向かいます。左が花尾山で、右はその先の帆柱山です。花尾山の登山口は西と東にあります。 |
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花尾山の西登山口を入っていった所から河頭山を見ています。登山道は左端の斜面になります。 |
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花尾山の東登山口は、河頭山と花尾山の間の道路を、東の元城町方面に下り坂を下りた所にあります。東登山口から花尾山に入って行きます。すると、墓地があります。道路から左に入って行きますと、河頭山に坐像があった眞田増丸の墓所があります。 |
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眞田増丸の墓所の左隣に、木村孔爾氏によって泉岳寺の忠臣蔵の四十七士の墓所を模したお墓が建てられています。 |
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墓地の前のアスファルト道路を上って行きます。いよいよ花尾山登山道になります。登山道は東・中・西登山道の3つあり、すべて頂上まで所要時間20分です。つまり、登山口は東西にあり、入って行くと、登山道が3つあるということです。 |
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三の丸跡を過ぎて登って行くと、西登山道と合流します。更に登って行くと、本丸の西、二の丸跡になります。 |
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花尾山頂が花尾城本丸跡になります。東南東に、皿倉山が望めます。 |
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花尾山頂からは、麻生氏の所領が望めます。 |
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本丸跡より、東に一段低い所が出丸跡です。本丸を中心に東側にも城跡が残っています。これからは東登山道になります。 |
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花尾城跡のみどころとして、井戸の遺構があります。これは傾斜の激しい北側斜面を出丸跡から下りて行きます。石階段の石塁があり、井戸があります。 |
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井戸から東の方に向かいます。しばらく行くと、堀切になり、右は出丸の方向で、左は手前に一段高くなり、休憩所になっています。櫓台の跡と思われます。その先は馬場跡です。 |
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馬場跡の東隅から下りて行きます。その先に堀切があって櫓台跡になっています。 |
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