戸畑祇園
戸畑区 [2007/07/30] |
|
|
|
|
|
江戸時代の1802(享和2)年、戸畑村で疫病が蔓延したため、飛幡(とびはた)八幡宮の祭神須賀大神に祈願したところ終息しました。翌年1803(享和3)年7月、村人が山笠をつくり神社に寄進しました。このことが戸畑祇園の始まりといわれています。 |
||
|
|
かって浅生通りといっていた中央通りを西に行くと、右手に飛幡(とびはた)八幡宮があります。この前の浅生第1公園の周辺で、土曜の夕方、戸畑祇園大山笠競演会が行われます。 |
|
|
|
中央通りは県道271号下到津・戸畑線を成しています。先に行った天神交差点を右折して南下すると、天籟寺交差点になります。その南を西方向に右折して、坂道を上って行くと、右手に菅原神社があります。 |
|
|
|
|
|
中原(なかばる)は戸畑区の北東部で、小倉北区と隣接しています。かって中原は、境川を境にした筑前と豊前の国境地域の地名でした。中原村は筑前福岡藩の村でした。1889(明治22)年戸畑村と合併し、戸畑村となりました。 |
|
|
|
市営の若戸渡船は、若戸大橋の下の洞海湾を航行して、大橋完成後も若松と戸畑の間の市民の足となっています。その戸畑側の渡船場から戸畑駅方向に少し行った所に、恵比須神社があり、そこが西大山笠の宿になっています。 |
|
|
|
|
|
|
土曜お昼から飛幡八幡宮で神事が始まります。境内には中原を除いた大山笠3基が集まっています。大山笠のほかに、小山笠3基も整列しています。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
山笠の台は、四面が幕で覆われています。緋のラシャ地に武者絵が縫い取られていてます。上が水引幕で、下が切幕です。これは東大山笠のもので、左上が前、左下が後、右上が右側、右下が左側になります。 |
|
|
戸畑祇園に参加している他の山笠も、飛幡八幡宮に集まってきます。 |
|
|
|
飛幡八幡宮の本殿では神事が行われていて、この後左の神輿に神霊が移されます。 |
|
|
|
|
|
当番山笠が先導して、飛幡八幡宮から洞海湾の若戸大橋のたもとのお汐井汲み場に向かいます。 |
|
|
|
神輿が続き、神輿に他の2基の大山笠が随います。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
お汐井汲みは海水で山笠台の四本柱を清め、関係者も手を清めて、祭りの安全をお祈りする行事です。東・西・天籟寺の大山笠はこの場所で、お汐井汲みを行います。 |
||
|
|
中本町商店街から続く飛幡八幡宮参道は、露店が左右に並び、夜になるに従って人波で一杯になります。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
18:30から戸畑祇園大山笠競演会が開会されました。大山笠4基・小山笠4基が勢揃いしています。 |
|
|
|
|
|
|
開会式が終わると、山笠はまず昼の幟大山笠の姿で運行されます。 |
|
|
|
|
|
幟大山笠から幟や飾りや幕が全て取り外されます。提灯がついた木枠を取り付ける柱が立てられます。 |
||
|
|
|
|
|
まずは、先端部の5段を頂上に担ぎ上げられます。これは五段上げと呼ばれています。更に次々と6段目から12段目までが組み上げられます。 |
||
|
|
|
幟大山笠は重さ2.5t、高さ10m、12段、309個の提灯大山笠に変身しました。 |
|
|
あたりも暗くなり、三角形の通りの会場を提灯山笠は次々と運行し始めます。 |
|
|
|
|
|
若い衆に担がれて三角形のコースを駆けます。 |
|
この頃になると、会場内の公園や周辺の歩道は立錐の余地のないような人出になります。 |
|
|
|
|
|
光のピラミッドの大山笠が左右に揺れています。 |
|
|
|
|
|
小山笠も運行します。小山笠は当該校区の中学生によって担がれます。 |
|
|
|
観客からも「よいっとさ、よいっとさ」の掛け声がかかります。 |
|
|
|
|
|
21:00まで大山笠競演会は続きます。 |
| You Tube でこのページの動画がご覧になれます この先をクリックしてください → 戸畑祇園 |
| 掲示板 → 北九州から、北九州に |