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吉祥寺藤まつり     八幡西区吉祥寺町  [2009/05/09]

4月下旬から5月上旬にかけて、香月の吉祥寺(きっしょうじ)本堂前の大藤棚いっぱいに薄紫の藤の花が咲きます。吉祥寺の裏の岡と隣の岡は吉祥寺公園として整備され、藤棚が設けられ、藤の花が咲きます。毎年4月27〜29日の3日間吉祥寺藤まつりが行われ、香月の町は多くの見物客で賑わいます。
中世、ここ香月を支配していた豪族が香月氏で、吉祥寺を開山した鎮西上人は、平安末期、香月氏の一族として生まれました。
藤まつりの期間、吉祥寺の門前には多くの露店が出ます。佐々木病院の前の様子です。

日本武尊が熊襲征伐の際に、この地に泊まり、花香り月清き里と呼んだので香月の名が付いたと伝えられています。香月は勝木、加月とも記されました。
通りを北側に曲がると、吉祥寺の参道になります。先方、岡の中腹に吉祥寺はあります。

江戸時代から明治22(1889)年まで、香月は香月村でした。1889(明治22)年、香月・楠橋・馬場山・畑村が合併して、遠賀郡香月村になりました。1931(昭和6)年香月町になり、1955(昭和30)年八幡市に編入されました。
明治時代、筑豊御三家のひとつ、貝島太助の貝島炭鉱の大辻炭鉱が香月にあり、その輸送の鉄道、香月線も開通しました。1968(昭和43)年大辻炭鉱は閉山となり、1985(昭和60)年香月線は廃線になりました。
吉祥寺の石段は左右に分かれていて、左が上り、右が下りになっています。
吉祥寺は鎮西上人が開山された寺で、上人を出産後、難産のため亡くなられた母の菩提を弔うため、産屋の跡に建てられた庵がそのもとだといわれています。
鎮西上人(聖光房弁長、1162-1238)は、平安時代末期、筑前国遠賀郡香月の領主香月氏の一族として生まれました。
石段を上って左に行きます。この銅像は、鎮西上人14歳の折の修行に旅立つ姿をあらわしています。上人は筑紫の観世音寺や比叡山延暦寺で学びます。
左に行くと、左右に仁王像が立っています。この石段を上ると山門です。
鎮西上人は浄土宗を開いた法然上人と出会い、その門に入り、その法灯を引継ぎます。鎮西上人は浄土宗の第二祖であり、浄土宗鎮西派の祖です。
山門に着きました。本堂前は藤の花でいっぱいです。
後、鎮西上人は九州に戻り、多くの寺を創建します。その中で大本山といわれるのが、筑後の善導寺で、ここで上人は亡くなりました。
山門から左手に来ました。さらに左は、裏の岡に上る階段になります。
左の本堂は1834(天保5)年に建築されたものです。
本堂から山門までの大藤棚が藤の花で埋まっている様子を、裏山に上る階段の上から見ることができます。
吉祥寺本尊の木造阿弥陀如来坐像は、鎮西上人が亡くなった母の菩提を弔うために彫ったものと伝えられ、安産子育てに霊験あらたかといわれ、信仰をあつめています。まつりの間開帳される秘仏になっています。
階段を上った一段高い所に、香月牛山翁寿塔が立っています。
香月牛山(通称啓益、本名則真、1656-1740)は、香月氏の子孫で、江戸中期の名医です。隣国豊前中津藩小笠原候の侍医になり、後、京都に出て医家の門を掲げました。61歳の時、小倉藩小笠原候の招聘に応じ小倉に住みました。75歳で任を辞してこの寿塔を建て、85歳で亡くなりました。分骨の墓が上の墓地にあります。
寿塔の裏には、次の歌が記されています。

所から花の香月も清ければ かげをならびの岡にたぐえん
吉祥寺の本堂前から裏の岡に上る階段を上ると、途中に鎮西上人の父母の墓があります。その上に墓地が続いています。
吉祥寺の本堂前から裏の岡に上る階段が吉祥寺公園入口の一つになります。吉祥寺の裏手の岡とその東の岡は吉祥寺公園になっています。
本堂前の藤棚の中を向こう奥まで進みます。右手が本堂です。
香月牛山は、先祖の香月七郎則宗の坐像を刻ませ、吉祥寺に奉納しました。
1217(建保5)年、誕生山吉祥寺は鎮西上人により開山され、香月城主香月則宗により開基されました。
本堂前は薄紫の藤の簾です。
源平合戦の際、山鹿秀遠は平家方について亡くなりました。その叔父の香月秀則の所領勝木荘は、その子の香月則宗の時没収されそうになりますが、梶原景時のはからいで免れます。しかし、景時の謀反の際没収され、後、返還されます。承久の乱では則宗は京方につき、没収されますが、舞の名手の則宗の息子が将軍の目に止まり、後返還されます。
薄紫の花から甘い香りが漂います。蜜や花粉を求めてクマバチがやって来てます。
本堂前の藤棚は4本の藤の木から伸びています。
樹齢150年の紫野田藤3本は、北九州市の保存樹に指定されています。1904(明治37)年に樹齢50年の藤をここに植えました。
奥の東側に白藤の藤棚があります。
上って来た石段の右側が下り専用になります。その石段を下り切る直前の左手に、井戸があります。鎮西上人の誕生水といわれています。
石段を下りて、左手に岡の麓を沿うように、車一台が通る程度の道を進みますと、道も広くなり、この石段の前に着きます。東の吉祥寺公園入口です。左右に駐車場があります。
入口の石段を上って行きますと、三重塔を模した展望台があります。その前に大藤棚があります。
展望台の前の大藤棚です。大藤棚の前に芝生広場が広がっています。こちらは、吉祥寺の裏の岡の東隣の岡です。
展望台の階段です。2階、3階に上ると眼下に眺望が広がります。
展望台から北東の眺めです。香月から小嶺にかけての住宅地が望めます。緑の屋根と隣のコンクリートの建物は千代小学校です。先方の一番高い山が皿倉山です。手前は公園の芝生広場です。
展望台から南東の眺めで、前は香月の市街地です。遠くにぼんやり見えるのは、福智山です。
展望台から西の眺めです。通路に藤棚があります。
展望台から下り、藤棚の下の通路を西に進みます。
こちらの岡と吉祥寺の裏の岡との間の谷に、木の歩道橋が架かっています。
歩道橋を渡ると、上り坂になります。こちらが吉祥寺の裏の岡です。
坂を上り切って、左に行くと、この吉祥寺の裏の岡の最高部に出ます。このロータリーになっている所を左に行くと、吉祥寺の本堂の方に下りて行けます。
先ほどの坂を上り切った所を直進して、坂を下って行くと、西側の紅葉の森になります。春は若葉とつつじがきれいです。
林の中を西に下って行きます。
この石段は西側の吉祥寺公園の入口になります。


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