北九州点描

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  門司区  [2007/03/03]
 

 北九州市には畑という地名が2箇所あります。八幡西区の畑と、今回紹介する門司区の畑です。八幡西区の畑は「北九州点描」の「畑貯水池」をご覧ください。門司区の畑にも貯水池があります。
畑の北は猿喰(さるはみ)、南は吉志(きし)、西は大里、東の海沿いは今津になります。
1889(明治22)年猿喰・畑・今津・吉志・恒見・伊川の6ヶ村が合併して松ヶ江村ができ、旧村は大字になりました。1942(昭和17)年松ヶ江村は門司市に併合されました。6つの大字は門司市に引き継がれました。松ヶ江の村名はなくなりましたが、施設などには松ヶ江の名称が使われています。

 

門司の都市高速の大里インターから、東の新門司方向に県道を進みます。二つのトンネルの口が見えます。この鹿喰隧道(かじきずいどう)は、1932(昭和7)年に鹿喰峠の下に掘られました。鹿喰峠は、江戸時代以前から関門海峡と周防灘を結ぶ間道でした。
現在鹿喰峠付近には砕石所があり、峠を歩くことはできません。

 

トンネルを抜けて坂を下りて行くと、すぐに左に行く道がありますので、左折します。道は右にカーブして下って行きます。右手に豊前坊下宮の鳥居が見えます。

 

豊前坊下宮の鳥居の隣に友石タ堂(ともいしてきどう)の碑があります。
友石はこの地に生まれ、京都郡上稗田村の村上仏山(ぶつざん)の水哉(すいさい)園に学びました。水哉園については「北九州の近隣」の「行橋市」をご覧ください。
維新後友石は、郷里で私塾を開いて、子弟の教育に当りました。

 

豊前坊下宮の下に玉泉寺があります。玉泉寺は室町後期の文明年間の創建といわれています。かっては広大な寺域を誇っていたようで、付近に山門や御堂などの玉泉寺に因む地名が残されています。
小倉時代の森鴎外(鴎外の鴎の正字は區に鳥)と親交があった玉水俊こ(たまみずしゅんこ、こは交に虎の字です)は、この寺の出身で、のちの安国寺の住職の時、鴎外と知り合いました。玉水俊こについては、「北九州点描」の「森鴎外旧居」をご覧ください。

 

玉泉寺の本堂の前に、阿南哲郎の民謡碑があります。
阿南哲郎は童謡作家、詩人として北九州の文化発展に貢献しました。石碑には1932(昭和7)年の作詞「小笠原音頭」の一節が刻まれています。
石碑は1971(昭和46)年に足立山麓に建てられましたが、1998(平成10)年ここに移されました。玉泉寺の花祭りがある5月8日、阿南哲郎民謡碑祭が行われます。

 

玉泉寺の前の道路を下りますと、トンネルを抜けて左折した道は、直進の道と合流します。県道の前方に九州道の高架道が見えます。高架道をくぐって、すぐに右折し、九州道沿いの下の道を進みます。NTTの無線中継所の側を通り過ぎると、九州道が高架道になりますので、その下を右折して山手に上って行きます。寺の側で道は車両通行止めになります。
歩いて上って行くと、程なく堰堤が見えます。畑貯水池です。地図では畑貯水池、堰堤入口の銘板には松ヶ江貯水池になっています。

 

貯水池は門司市によって建設され、1960(昭和35)年に完成しています。
堰堤から望んでいます。高架道は九州道で、遠くは周防灘の水平線です。

 

貯水池の奥まで来ました。堰堤が見えますので、歩いてもそれほど時間はかかりません。

 

貯水池の奥を更に進みますと、大正池があります。貯水池と大正池の真ん中が畑と吉志の境界になります。

 

県道の九州道の高架道の所まで戻ります。県道を東に進みます。左手に門司松ヶ江病院があります。更に進みますと、県道25号門司・行橋線に出ます。その交差点を直進します。
その先は細い昔ながらの通りになります。左手に松ヶ江北小学校があります。そこから通りの先を望んでいます。この辺りが畑の東端で、その先は今津になります。
今津の先は新門司北の埋立地で、フェリーターミナルがあります。

 

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